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結婚!?

 とうとう私も三十歳の誕生日を過ぎて、新年を迎えた。

 織音籠(オリオンケージ)の活動も順調らしくて、ユキちゃんたちは音楽以外のバイトをせずに生活ができるようになってきた。


 地震の翌年、ユキちゃんが歌ったあの鎮魂歌は、毎年一月のライブ限定で演奏することに決められたらしい。あれから三年がたった今年も、年明けのライブからの演奏が行われており、そのうちの一回。丁度、震災の当日に行われたライブを聞きに行った。

 毎年、少しずつ手が加えられた曲は、ジン君のコーラスが入って、さらに言葉の重みが増した気がする。そして、常連のお客さんだろう。曲の存在を知っている子が増えてきたらしく、曲の前に挟まれるジン君の言葉で『次の曲は、鎮魂歌だ』と気づいた子から、静かにするように周りへと注意が促される。

 静まり返った空間に響く、ユキちゃんの高い声と、それを受け止めるようなジン君の低い声。その歌声の重さに、無意識に頭がたれる。



〈 明日の朝が来る保障は、誰にも、どこにもありません。もし、先延ばしにしていることが何かあるなら。ためらわずに行動してください。後悔だけはしないで 〉

 これも恒例となった、曲の後でユキちゃんが客席に語り掛ける言葉。

 初回とは異なって、標準語を使うようになったその口調に、私は、”織音籠のYUKI”の姿を見る。


 けれども、『ずっと、そばにおってな。えっちゃん』と、相変わらずの口調ですがりつく彼は、誰にも見せない私だけのユキちゃんだから。

 私たちは、互いの隣。誰よりも近いところに居る。 



 ライブの翌週。金曜の夕方、仕事帰りに待ち合わせて、学生時代に彼らが懇意にしていた定食屋さんへと二人で食事へ行った。

「あら、ユキちゃん。いらっしゃい」

「こんばんはー。女将さん、奥、かまへん?」

「どうぞー」

 デビューもして、そこそこ売れてきて居るにもかかわらず、彼らは相変わらずこのお店をひいきにしているらしい。『お久しぶり』でも無く、すいすいっと奥の小上がりへと通される。


「彼女さんは、おひさしぶりね」

「はい、おひさしぶりです」

「相変わらず、仲良さそうで」

「あたりまえやん。こんな彼女、誰も手ぇ離さへんって」

「あらあら、ごちそうさま」

 そう言って笑いながらお茶とお絞りを置いた女将さんに、注文をして。


「あんな。えっちゃん」

「はい?」

 真剣みを帯びたユキちゃんの声に、手にしたお湯飲みをテーブルに戻す。

「俺と結婚、してくれへん?」

「はい、って。えぇ?」

 結婚? 

 確かに、三十歳を目前にしたころから、両親から暗黙のプレッシャーのようなものを感じることはあったけれど。

「『なんとか食べていけるようになったくらいで、何言うとるん』やろから、返事は何年後でもかまへん」

「はぁ」

「ただ、『嫌や』とは言わんとって。えっちゃんと一緒に、この街の子になりたいねん。この街で、一緒に戸籍をつくらして?」


 トン  トン  トン トトトン

 ゆっくりとしたリズムを紡ぎだすユキちゃんの右手。

 気まずいような、恥ずかしいような。なんとも表現のしにくい空気の中で響くリズムに、深く考えないままうっかり『はい』と言いかけて。 

「おまちどうさま」

 女将さんの声に、我に返る。


 今、私。何をしかけていた?

 フルフルと頭を振って、意識をはっきりさせる。


「あら、彼女さん。虫でも?」

「あ、いえ。ちょっと……」

「大丈夫?」

「はい」

 怪訝そうな女将さんに笑顔を見せると、ほっとしたような笑顔が返ってきた。

「じゃぁ、ごゆっくり」

 そう言って戻って行こうとする彼女に、会釈を返す。


 そのまま、食事は他愛の無い会話を交わしながら、進んで。

 その日の別れ際。

「えっちゃん」

「はい」

「さっきの話しやけどな」

 あ、話がもどってきてしまった。

「いつもみたいに、『嫌やったら、ちゃんと言い』とは言わへんからな。『嫌や』って、なんぼ言うても、何遍でも『結婚して』って、繰り返すからな」

「……」

「その代わり、何年でも待つ。『ええよ』って言うてもらえるように、俺自身が、がんばるから」

「は、い」

 まっすぐ彼の顔を見ることができなくて、なんとなく地面に視線を落とす。

 その頭の上で、彼の手が跳ねる。

 ポムポム  ポポポム。

「これ以上、俺の居場所、無くしたくないねん」


 その言葉に、さっきのプロポーズの言葉が、胸のうちに浮かんでくる。

 『この街の子に、なりたい』


 ゆきちゃん、まだ地震のこと引きずっているの?

 それとも、”一月”だから?



 年度末に向けた決算や来年度予算の関係で、例年どうりの忙しさの中。

 帳簿を広げて電卓を叩いていた私は、一瞬、意識が他所へとお出かけしてしまった。


 ユキちゃん、『やっと食べて行けるようになった』と言っていた。結婚したとして、私たちの生活はどうなるのだろう。


「灰島さん?」

「あ、はい」

「この帳簿なんだけど……」

 係長に声をかけられて、物思いから覚めた。

 いけない、仕事中だ。


 気持ちを切り替えて、目の前の帳簿へと意識を集中させる。



 漠然と『結婚するのはユキちゃんと』、だとは思っていた。

 だけど、改めて申し込まれて、自分が何も覚悟をしていなかったことに気づかされた。

 うわぁ。どうしよう。

 どうすればいいのだろう。


 通勤の電車に揺られながら、窓の外を眺めて、”人々のくらし”に思いを馳せる。

 この街に住む人々はみんな。朝、起きて。ご飯を食べて、子供を学校へ通わせて。働いて、買い物をして、税金を払って。そして、それぞれの家に帰って。夜、眠る。

 それぞれの家庭に家計があり、役所と同様、予算を立てては決算をして。

 総務に配属されてから、毎年、帳簿を扱う仕事をしてきたというのに。私は、”家計”が何も分かっていない。

 何から手をつければ、分かるようになるのだろう。

 誰に訊けば、分かるようになるのだろう。


 ああ。こうして居る間にも。

 織音籠はもう一つ、羽ばたいて。広い世の中に出て行ってしまうかもしれないのに。



 ずるずると、返事を引き延ばしたまま秋が来た。

「えっちゃん、聞いて。俺らの曲、CMに使われることになってん」

 うれしそうに報告してくれたユキちゃんの泣き黒子が、『すごいやろ』と言っている気がする。

「本当? すごい!」

「やろ? これでちょっとギャラが変わってくるから……」

 そんな事を言っている彼は、あの日以来、結婚のことについて口には出していない。

 けれども、彼の言った『ギャラ』という言葉に、多分、意識をしているのだろうと思う。

 ああ、早く決心をつけないと。

 そう思いながら、あいまいに笑ってみせる。


 どうしよう。

 感情は、『YES』と言っている。

 でも、理性がストップをかける。


 このまま、織音籠が飛び立って行くなら、いずれ彼らは東京へ行く日が来るのかもしれない。

 看護婦さんをしている ゆりちゃんなら、付いて行っても仕事ができるだろう。それに引き換え、手に職の無い私には次の仕事の当てはない。

 大学を卒業してすぐなら……まだ何とかなったかもしれない。けれども、数年前にバブル景気が崩壊して、新卒の採用も『土砂降り』を通り越して、『氷河期』と言われている。

 地方公務員。それも一介の事務員である私に、東京への転勤なんてありえないし。


 逆に、織音籠がここでストップするなら。

 ユキちゃんの子供を生んで、育てて、という未来は、無理かもしれない。

 ああ。どうすればいいのだろう。



 決心のつかない私を急かすことなく、待っていてくれるユキちゃんに申し訳なく思いながらも、時間は待ってくれない。

 誕生日、クリスマス、と時間が過ぎて。

 暦の上では、そろそろ春が来る。


「えっちゃん、元気?」

「ゆりちゃん。久しぶり」

 ライブの後の楽屋で、一年ぶり? いや、もっとかな。久しぶりに ゆりちゃんと会った。

「なかなか、ライブに来れなくって」

「やっぱり、忙しいの?」

「うーん。三交代勤務だからねぇ。なかなか、ライブの日に体が空かなくって」

 苦笑しながらマサ君にお茶を手渡す ゆりちゃんに、リョウ君が横から話しかけてくる。

「ゆり、先にMASAに予定言っておけって。お前の仕事にあわせて、ライブ入れてやるからよ」

「いいわよ。そこまでしなくっても」

「ゆりさん、ひでぇ。聴きにきてくれねぇんだ」 

 サクちゃんが泣き真似をしてみせる。

「もう、サクちゃんたら」

「そんな先の勤務表は出ない、って言えば済む話だろうが」

 マサ君が目で笑いながら、渡されたペットボトルの蓋をひねる。

「ゆりの頼みなら、一ヶ月前でも、ねじ込んでやるよ」

「やめて。これ以上、まっくんがご飯抜いたら、こっちが困るの。妙なふうに仕事を増やさないで」

「MASA。飯食え、やって」  

 数年前に、食事を抜いたせいで練習中に倒れたというマサ君が、首を絞めているユキちゃんの腕をはがしながら、面白くなさそうに

「分かってる」

 と、答える。


 一通り片づけを終えて、『さあ、打ち上げへ』というところで、一足早く帰って行くジン君。”お気に入り”の子が来ているらしい。

 私も一度だけ、ちらりとファミリーレストランで食事をしているところを見かけた彼らのことを、興味津々な様子の ゆりちゃんが、みんなに尋ねていた。



 そのまま居酒屋へと流れて、打ち上げになる。

「今度、結婚することにした」

 乾杯の後、なんでもないことのようにマサ君が言って。

 けっこん、って。結婚?

 頭に言葉の意味がたどり着くまでの数秒の後、うぉーと、低く歓声があがる。

 しれっとした顔で、グラスにビールを注いでいるマサ君とは対照的に、ゆりちゃんが真っ赤な顔でうつむいた。


 うふふ。照れてる。ゆりちゃん、可愛いなぁ。

 ゆりちゃんは普段、大人の雰囲気なのに、時々すごく可愛い表情をすることがある。

 ちらりちらりと、正面に座る ゆりちゃんを見ながら、ビールをなめる。

 でも、やっぱり大人、だ。

 ちゃんと、ゆりちゃんは、心を決めた。


「ね、ゆりちゃん」

 へんな盛り上がり方をしているユキちゃんたちは放っておいて、ゆりちゃんにそっと声をかけると、やっと俯いていた顔が上がった。

「結婚、悩まなかった?」

 じっと大きな目で私の目を見つめると、ゆりちゃんも小さな声で尋ねてきた。

「えっちゃん、悩んでる?」

「ちょっと。踏ん切りがつかなくって」

「ユキくん、申し込んでくれてるの?」

 一つ頷いた私に、うーん、と言いながらウーロン茶のグラスのほうを手に取る ゆりちゃん。

 地震の影響をまだ引きずっているようなユキちゃんのことを、掻い摘んで話す。

「命の危機に面したら、子孫を残したくなるって、アレ?」

「かも知れないけど……」

 ちょっと違う気もする。

「私も悩んだ、けど、方向性が違いそう」

 そう言って、ゆりちゃんが一口お茶で、口を湿らせる。

「方向性?」

「うん。まっくん、いつまでたっても結婚のこと言ってくれなくって」

「はぁ」

 夫婦、なのに。というか。夫婦だから、今更、なのかな?

「それ以前に、このままの まっくんと”もしも”結婚したとして、やっていけるかなぁって思って時に、友達が言ったのよ」

「なんて?」

「『歌い続けないと死んじゃうなら、歌わせてあげたら?』って」

「はい?」

「ああ、ごめん。ええっと……」

 話を整理しなおしてくれた ゆりちゃんによると。

 生活できないからと言って、音楽をやめるとマサ君は、マサ君じゃなくなる。なら、ゆりちゃんががんばったら? という意味だったらしい。

「そうは言ってもねぇ。プロポーズもしてくれないのに、身動きできないじゃない?」

 小首をかしげた ゆりちゃんの言葉に、戸惑いながら頷く。

 ゆりちゃんなら、自分から言いそうな気もするのだけれど。

「で、あるとき、ああそうか。結婚とかの形式にこだわって、まっくんを世俗にまみれさせなくっても、ただ音楽を続ける彼の傍に居れば、それでいいんだって」

「それで、いいの?」

「うん。形じゃなくって、私がまっくんのことを好きで、一緒に居られるならそれでいいじゃない、って」

「はぁ」

 おとな、だ。やっぱり。

「でねぇ」

 何かを思い出したような顔で、ゆりちゃんが今度はビールのグラスを手に取る。

「そう心を決めた途端よ。『結婚しよう』って」

 何考えてるのよねぇ、と言いながら、ビールを飲む。 


 『歌い続けないと死ぬなら、歌わせてあげれば?』

 ゆりちゃんが聞いたという言葉を、自分の心に吸い込ませる。


 織音籠に入ったときのユキちゃん。

 大学では見せないような表情で笑っていた。

 彼の居場所は、すでに織音籠にあるのに。

 それでも彼が不安だというなら。

 私のとるべき道は、

 既に……決まっている?

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