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大きな”震”の災い

タイトルからも分かるように、今回は震災のお話です。

苦手な方は注意してください。

 それは卒業から五年目の冬、だった。

 三年目に異動になった総務課での仕事にもすっかり慣れて、そろそ年度末に向けた仕事にとりかかる時期だ、と一人前に考えていた一月の中旬。



 三連休が明けた、火曜日の未明。


 ユキちゃんの故郷を大きな地震が襲った。



 ユキちゃんの実家が、市内のどこにあるのか。ご両親や、三人のご兄姉は無事なのか。

 私には知るすべもないまま、テレビの映像を見ているうちに出勤の時刻が迫る。


 それからの一週間は私にとっても、悪夢を見ているような時間だった。

 仕事先では、応援要請に応じるための予算の確保や、備品の調達に残業が続く。それと並行して、自分たちの市の防災を確立するための会議も行われて、上司は役所内を走り回っている。

 クタクタに疲れて帰宅すれば、テレビで繰り返される壊れた街の映像。


 唯一、地震の翌日にかかってきたユキちゃんからの電話で、彼の家族も実家も無事なことを聞いて、ほっと胸をなでおろした。

 ユキちゃんは、その翌日から帰省した。戻ってきたら電話すると言い残して。



 人心地ついて、彼からの連絡がまだないことに気づいたのは、月が変わろうとしている金曜日の事だった。

 翌朝、彼の部屋へ電話をかけてみた。

〔もしもし?〕

 応えたのは、ユキちゃんとは違う低い声。

 かけまちがえた、かな?

〔あの。野島さんの……〕

〔ああ、はい〕

 間違えてないみたいだけれど。誰?

〔あ、もしかして、悦子さん?〕

〔はい〕

〔おはよう。JINです〕

 ああ、なんだ。ジン君。 

〔あの、ユキちゃんは?〕

〔んー〕

 言いよどんだジン君が、声を潜めるように尋ねてきた。

〔悦子さん、今日ひま?〕

〔あの、ええっと〕

〔YUKIのところ、来れる?〕

〔はい。休みだから、大丈夫、だけれども。あの、ユキちゃんは……?〕

〔こっちに帰っては、きているんだけど。ちょっと……〕

 言葉を濁したジン君と訪問の時刻を決めて、電話を切った。



 年末以来になるユキちゃんの部屋のチャイムをそっと押す。

 すぐにドアが開いて、ジン君の大きな体が出てくる。

「ごめんな。悦子さん。呼び出したりして」

「いえ。あの、いったい……」

 人差し指を立てて、シーっというジェスチャーをしたジン君に導かれるまま、部屋へと入る。

 

 もう、日が高くなっているというのに。ユキちゃんは胎児のように体を丸めて眠っていた。



 寝室にしている部屋からそっと出て、ジン君が淹れてくれたお茶を貰った。

「YUKIな、今週になって、こっちに戻ってきてたんだけど」

 低い声をさらに潜めるようにボソボソと話すジンくん。


 故郷へと帰っていたユキちゃんは、壊れた街を目の当たりにしたせいで、抜け殻のようになって戻ってきたらしい。 

「あの日、地元に居なかった自分は、卑怯な方法で生き残ってしまった、っていう罪悪感、かな? そんなものに打ちのめされて、”自分”がグラグラしているらしいな」

「卑怯だなんて、そんな……」

「本人も違う、と分かってはいるらしいけど。それでも”何か”、しいて言うなら……”あの街”に責められている気がするって」


 『下手をしたら、命を絶ちかねない』

 戻ってきた当日のユキちゃんと顔を会わせて、そんな危機感を覚えたジン君たちは、交代でユキちゃんに付き添ってくれていた。特にジン君は、一日一度はユキちゃんにご飯を食べさせて、時間の許す限りユキちゃんの話を聞き続けてくれたらしい。

 私が、そんな詳しい話を聞いたのは、かなり後になってからのことだったけれど。



「悦子さんにも知らせたほうがいいかと思ったけどな、忙しいだろ? 市役所も」

「あ、はい。でも、少し目処は……」

 現地の混乱に比べれば、情報も物品も手に入る私たちは、まだマシ。残業があるとはいえ家に帰れているし。現地の職員は、当日役所に出勤したまま、ずっと泊まりこんでいる人も居ると聞く。

「今日は、少しついててやってくれるかな?」

「はい」

「夕方になったら、MASAが来るから交代して」

「はい」

 自分の分のお茶を飲みきったジン君は、慣れた手つきでお湯飲みを洗うと、

「特別なことはしなくても、大丈夫だと思う。ただ、いつもどおり、そばに居てやって」

 そう言って、玄関を出ていった。 



 壁掛け時計の秒針の音が耳につく。

 ベッドを使わないユキちゃんの、畳の上に延べられたお布団の横に腰を下ろして彼の寝顔を見守る。

 眉間に皺がより、歯軋りの音が聞こえそうなくらい顎にも力が入っている。そして、大きな体を丸めるように眠っているその体勢に、心が痛む。


 ポム   ポム   ポム   ポム

 いつも彼がしてくれるように、そっとお布団の肩のあたりを叩く。

 大丈夫、大丈夫。

 ユキちゃんが、生きていること、誰も責めたりしていないよ。

 大丈夫、大丈夫。

 みんな、元気なユキちゃんを待っているよ。

 ポム   ポム   ポム   ポム



 結局ユキちゃんが目を覚ましたのは、お昼前だった。

「あれ? どないしたん?」

 音を立てるように、パチリと目を開いたユキちゃんは、開口一番そう尋ねてきた。

「鍵、かけてへんかった? って、あれ?」

「ジン君が……」

「ああ、アイツは?」

「帰った、よ?」

 ゴロンと上を向いて体を伸ばしたユキちゃんが、じっと天井を見つめる。

「ユキちゃん、おなか空いていない?」

「……あんまり」

「ジン君がお昼ごはん、買って来てくれているけど」

「ああ、アイツ、飯食えってうるさいから」

 しゃぁない。食べるか。

 そう言って、やっと体を起こしたユキちゃんが、フラリとよろけるのを慌てて支える。


 そのままの体勢で、ユキちゃんに抱きこまれた。

「えっちゃん」

「はい?」

「えっちゃん。えっちゃん」

「うん。どうしたの?」

「”あの街”みたいに、なくならんとってな。”あの街”みたいに、俺のこと他所モン扱いせんとってな」

「よそ者?」

「うん。『おまえ、ウチの子やないやろ。この裏切りモンが』って、”あの街”に言われとる気がすんねん」

 ユキちゃんが顔を押し付けている襟元が、濡れる感じがする。

 タム  タム  タム  タム

 ユキちゃんの背中を叩きながら、彼だけに聞こえる声でささやく。

「居なくなったりしないから。ユキちゃん、あの街の子じゃなくなったなら、私たちの街の子になって、ね?」 

 私の隣に居る子、になって。このままずっと。



 音楽活動が全国的に自粛、という状態だったのは、彼にとって良かったのか悪かったのか。

 生活を維持するためのバイトだけは何とかこなしながら、ユキちゃんは私かメンバーの誰かと常に一緒に居る生活をしばらく続けた。 



 そして、ポツリポツリと、世の中に音楽が戻ってきたころ。

 

 トントン トコトコ トコトコ トントン

 

 ユキちゃんの両手がテーブルを叩いた。スパゲティを食べていたフォークの手を止めて、彼のリズムを聞く。こうやってテーブルを叩く彼の姿を見るのは、あれ以来、初めてだった。

 

 トトトト コンココ ココッコ トントン

 ココッコ トコトコ トントン ッココ


 そっと息を吐く。

 無意識、らしく彼の視線はぼんやりとしていて、私の背後、たぶん冷蔵庫のあたりを彷徨っているけれど。

 もう、大丈夫。

 彼のリズムは、私にそう言っているように思えた。



 様子見、のような感じで、彼らも音楽を再開し。

 ユキちゃんも元通りに笑うようになった。それでも、時々不安に陥ることがあるらしく、傍に居る私の手を捜して、握り締めてくることがある。

 

 そして。

「えっちゃん。居らんようにならんとってな」

 何度も何度も、彼の腕の中で聞く、すがりつくような声。声と同様に、全身で絡みつくように抱きしめる彼の力。


 ユキちゃんがすがり付いてくれる、それが私の”身の程”だと。

 うぬぼれさせてね。



 翌年、年明けのライブで、ひとつの新曲が披露された。


〈 去年。たくさんの涙が流れました。今日、ここに集まってくれたみんなにも、もし。会えなくなった人、しばらく会えていない人がいるなら。その人を思い出しながら聞いてください 〉

 そう言ったジン君が、マイクから離れる。

 ざわつく客席の中、ユキちゃんがドラムセットから立ち上がった。


 イントロが流れ、歌声が聞こえる。

 ジン君とは違う、高めの声。

 ユキちゃんが、歌っていた。


 いつもの陽気なユキちゃんとはまったく違う。胎児のように体を丸めていた、”あの日のユキちゃん”の歌。ジン君もユキちゃんもタイトルを言わなかったけれど。この曲は……鎮魂歌。

 

 ファルセットのサビが、室内に響く。

 壊れてしまった街への、そして望まぬ別れを告げられた故郷への、思いをこめた悲しい歌が、高く澄んだ声に乗って空間を満たす。


 最後の一音が、消えた。

 静まり返った客席を見渡しながら、ユキちゃんが口を開いた。

〈 喋るのは、ホンマはJINの仕事やねんけど。今日は、これだけ言わせてな。明日の朝が来る保障なんか、誰にも無いから。俺、この前の震災で、ホンマ身にしみたから。先延ばしにしていることが何かあったら、ためらわずに行動しよな。後悔だけはせんように、お互いガンバロな 〉

 そう言って、一礼をしてドラムセットに戻るユキちゃんの、背中が泣いているように見えた。


 ひとつ、息を吸い込んで。目をつぶるようにして、声を出す。

「YUKI、泣かないで!」

 と。人生で、一番の大声を。

 遠くない。ステージの上のYUKIは、私の隣のユキちゃんだから。


 私の声は、彼に届いたのだろうか。

 客席から沸き起こった拍手に、もう一度礼をしたユキちゃんが顔を上げた時。私と、目が合った。たぶん。



 じわじわと織音籠(オリオンケージ)の名前が、世の中に知れてきた。

 あの日、私の声が届いたと錯覚でも思えたようなサイズのライブハウスでは、客が入りきらなくなってきて、一回り、二回りとライブの規模が大きくなる。 

 飛び立ち始めた彼らの姿に対するうれしさと、誇らしさの反面、『身の程知らず』といわれる日が近いうちに来るのではないか、と怯える。

 そんな内心の葛藤を知らず、ユキちゃんは『バイトを減らしても、食べていけるようになったから、時間ができた』と言って、時々だけれど職場での飲み会の日には迎えに来てくれる。店の前で私に声をかけるユキちゃんの姿に、同僚たちの間から『あれ、YUKIだ』という囁きが聞こえてくる。



「だって。えっちゃん、一人にしとくの、不安やもん」

 この日も、私を西隣の市にある我が家まで送ってくれる電車の中で、そう言いながら手を握る。

 十九の誕生日に貰ったシルバーのリングとは別に、左の薬指にタンザナイトのリングを貰ったのは、去年の誕生日。

 両手のリングを指でなぞるユキちゃんの手に、飲んで居ないはずのお酒が体に注ぎ込まれる気がする。

「そんなに、頼りない、かな?」

「学生の頃に比べたらマシやけど、それ以上にキレイになったもん」

「ええ? そう?」

「うん。頼むから、誰かに連れて行かれんとってな」

「そんな物好き、ユキちゃんだけだよ?」

「そやけど。心配なんやって」

 その言葉に、体がフワリと浮くような気がする。


 まだ、大丈夫。

 私は、ユキちゃんの隣に居ることを許されている。

 一日でも長く、彼の傍に居られたら……。

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