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成人式

 今年も、スキーの季節がやってきた。

 バンドに本腰を入れだして、今年もパスすることを決めたユキちゃんは、『えっちゃんが行くのまで、止めへんで』と言っている。

 どうしようか。夏の合宿はパスしたし。

 それに、大学生活も半分を終えようとしている。このまま、ユキちゃんが一緒で無ければどこにも行けないのは、よくない。気がする。

 もう一つ、成長のつもりで。参加、してみようか。


 母にスキーのことを話したのは、夕食の準備を手伝っているときのこと。

「じゃぁ、スキーウェアとか買いに行かないとね」

「このあたりだったら、どこに売っているかな?」

「浩介だったら、知ってるんじゃない?」

「ううーん。サッカーとスキーって関係ないと思うのだけど……」

「どっちもスポーツショップで扱っているでしょ?」

「そう、かなぁ?」

 和え衣のゴマを擂りながらそんな話をしていると、上の弟が帰ってきた。

「ただいまー」

「お帰り。模試はどうだった?」

「あー、楽勝楽勝」

 飄々とした物言いで、母の言葉を受け流しながら冷蔵庫を開けている。

「ちょっと、浩介。ツマミ食いしないでよ。もうすぐご飯なんだから」

「だって、頭使ったら、腹減ったんだもん」

 魚肉ソーセージの包装を剥きながら口を尖らせた弟に、丁度良いタイミング、と、さっきの話題を切り出す。

「ね、コウ君。このあたりでスキーウェア売っているところ、知らない?」

「何、姉ちゃん、スキー行くわけ?」

 『いふわへ?』と、不明瞭な言葉でたずねた弟に、頷きながら擂り鉢にお醤油を垂らしていると、口の中のものを飲み込んだらしいコウ君が不満そうな声を出した。

「姉ちゃん、俺が受験生だって、分かってる?」

「うん」

 今日もお弁当持ちで、大学受験のための模試を受けに入っていたのだから。

「分かってて、行くんだ。”滑りに”」

「あ」

「こら、浩介。自分の勉強不足を棚に上げて。受験の結果をお姉ちゃんのせいにしないの」

 母が、お玉を振り上げて弟を睨む。

「そりゃ、合格するために、俺の努力が必要なのは分かってるけどさ。でも、感じ悪いと思わない?」

「そうね。ごめん。スキーはやめておくわ」

 確かに、デリカシーが無かった。

「悦子、そんな理由で止めなくっても」

「ううん。もし、コウ君が不合格だったら私の寝覚めも悪いから」

 それに、どうせユキちゃんも不参加だし。

 だったらスキーの費用で、一回でも多くライブを見に行くほうがいいなぁ。

「悦子。分かってる? 来年は、慶介が高校受験よ?」

「うん」

 どうしても、行きたいわけでもないし。

 社会人になってからだって、チャンスはあると思う。


「えっちゃんも不参加やねんな?」

 翌日、講義の合間の休憩時間に幹事の亜紀ちゃんに不参加を伝えると、隣でそのやりとりを聞いていたユキちゃんが、しばらく考えこむようにしたあと、尋ねてきた。

「はい」

「俺が行く、言うたら参加にする?」

 腕組みをした指が、リズムを取る。

 トトント トントン トン トトトン

「上の弟が受験生だから、あまり”滑る”のはって……」

「ああ、なるほど。やっぱり、お姉ちゃんやな」

「そう?」

「うん。そこで我慢してまうところが。うちの姉貴なんか、遠慮なく俺の受験の年にスケートしまくってたで」

「スケートを……」

「うん。地元にリンクがあるからって、友達と。それこそ、いつでも行けるやんな?」

「それでも、ユキちゃんはちゃんと合格したのだから」

「そうやな。ここに来れて、皆と会えた」

 にこっと、うれしそうに笑う。

「それやったら、えっちゃん」

「はい?」

「冬休み、スケート行こうか?」

「ええっっと……」

 スキーはだめで、スケートはOK、なわけないよね?

「お姉ちゃんが、かわいい弟の身代わりに”滑る”ねん」

「どういう理屈?」

「アカン?」

「ううん」

 スケートリンクは確か、自宅のある鵜宮(うのみや)市内に去年オープンしたところがあったはず。

 日帰りだし、準備も要らないし。何よりユキちゃんが一緒だし。

 そんなことを考えながら頷いた私を、ユキちゃんが覗き込んでくる。

「えっちゃん、かわいい弟のために止めとこうと思うのやったら、ちゃんと言いよ?」

 そう言いながらも、彼の泣き黒子は『行こうよ』と、誘っている。

 私のいる場所は、コウ君の”お姉ちゃん”じゃなくって。

 ユキちゃんの”彼女”だから。

「ユキちゃん、スケート行こう」

「オッケー」

 うれしそうに笑ったユキちゃんと、次の講義の教室へと階段を下りる。階段の手すりをユキちゃんが叩く。

 コンコン コココン コン コココン



 冬休みは、忘年会、スケート、お正月のバイトと、あっという間に時間が過ぎる。


 そして、この年。私たちは成人式を迎えた。

 お正月に帰省していたユキちゃんは、そのまま地元の式に出席するとかで、しばらく顔を合わせられない日が続く。

 

 市内のホールで午後から行われた成人式は、退屈で退屈で。その上、美容室で着付けてもらった大振袖が、苦しい。

 上の空で市長の挨拶を聞きながら、帯の間に指を入れて少し緩める。

 ふー、ちょっとまし、かな。

 あっちでザワザワ、こっちでザワザワしている客席を見渡す。こんなに同い年の人が集まっているのに。一番そばにいて欲しい”同い年”の彼は、午前中の式典に出席をして、今頃はこちらへと戻る新幹線を降りた頃。

 その事実が、寂しさになって胸の奥に降り積もる。

 私の居場所は、ここじゃない。と。



 やっと終わった式の後、ホールのロビーではあっちこっちに人の塊ができている。

 この中のどこかに、かつての同級生が何人もいるのだろうけれど。積極的に探す気にもならずに、旧交を温めているらしい人の群れをすり抜けるように玄関を目指す。


「ハイジ!」

 後は、数段の段差を降りるだけ、というところで、背後から聞きたくも無い呼び名が聞こえた。

 聞こえなかったふり、したいなぁ。

 今の私の居場所が無くなる訳じゃないし。


 一瞬、止まってしまった足を再び動かそうとしたところで、肩を捕まれた。

 目の隅に映るのは、男性の大きな手。

 心拍が跳ね上がる。

 

 いやだ。怖い。

 助けて。ユキちゃん。


「無視するなよ。ハイジ」

 頭の上から聞こえる声に、恐る恐る振り返る。

 ユキちゃんより少し背は低めだけれど、がっしりした男の子が私の肩を掴んでいて、離してくれそうな気配も無い。

 そして。

「久しぶりね。ハイジ」

 聞き覚えのある声の方に顔を向けると、振袖姿の室谷さんが数人の男の子を背後に従えて立っていた。

「……はい」

 逃げずに返事をしているというのに、肩を掴む手は緩むことがなく。その手の力が、より一層『捕まってしまった』という感覚を私に与える。恐怖感で視線が床をさまよう。肩が、全身が強張っていく。


 いやだ、離してほしい。


「洋子、よく分かったな。絶対、人違いだって思ったのに」 

「馬子にも衣装って言うけど。化けたわよねぇ。私も去年、逢わなかったら分からなかったかもよ?」

「へぇ」

 室谷さんを取り巻く男子たちに珍獣のようにジロジロと見られて、体が縮こまる。

「で、ハイジ。彼は元気?」

 彼? ああ。

「サクちゃんは、元気ですよ?」

「誰が、サクの話をしたのよ!」

 あ、違った、のか。

 室谷さんの勢いに押されるように、顔がうつむく。

 けれども。

「あー。なるほど。そっかぁ」

 なにやら一人で納得している室谷さんに、つい顔を上げてしまった。

 キレイに塗られた唇に、整えられた爪の先が添えられた。

「とうとう別れたの?」

「洋子、こいつ、男いたの?」

「いたのよ、それが」

 クスリ、と彼女の口から笑い声が漏れる。

 

 『お守りやから、ずっと着けといてな』

 ユキちゃんの言葉を思い出しながら、今日も着けている右手の指輪を握り締める。着物には合わないのを承知で着けてきた、厄除けの指輪。

 ユキちゃん。私を守って。


「へぇ。ハイジにも男がねぇ」

 肩を掴んでいた子が正面に回りこんできた。やっと手を離してくれたけれど、今度は顔を覗き込まれて、目をそらす。

「その割りに、男慣れしてなさそうじゃん」

「義弘、趣味悪いんじゃない? ハイジなんかがいいの?」

 と、室谷さんの声。

「いや、こんな反応の子、俺の回りにはいないって」

「へぇ?」

「俺が声をかけてるのに、普通、顔そむけるか?」

「大学でも野球部って、もてるんだ?」

「高校ほどじゃないけどな」

 ”野球部”で、”義弘”って言ったら……。

「あの、……小林君?」

「なんだ、今まで分かってなかったんだ」

 そうだよー、エースの小林君だよー。と言いながら、両手を掴まれる。


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 振りほどきたいのに。体が強張っていうことを聞かない。


 いやだ、いやだ

 い  や  だ  !   


「ワレェ、何しとんどいや」

 後ろから押し殺したような声がした。驚きに身をすくめたところに、男物のスーツの腕に抱きつかれて、さらにパニックになる。

「嫌ぁ! ユキちゃん、ユキちゃん!」


「……ちゃん。俺や。大丈夫。落ち着き、な?」 

 ユキちゃんの名前を呼び続けていた私が息継ぎをする合間に、耳元で声が聞こえる。後ろから回された男性の左手が、私の右の肩口で軽く弾む。

 タムタム タタタム タムタタタム

 このリズム、は……。

「えっちゃん。大丈夫やから。俺やで? もう、大丈夫やからな」

 ユキちゃんだ。

 ほっとして膝から力が抜けた私を抱えるように、肩から腋へと彼の手が移動した。その腕と、背中を温める彼の胸に体重を預けて、支えてもらう。


 涙でにじんだ視界の中で、背後から伸びた右腕が、私の手首を掴んでいる小林君の手にかかる。

「この手、どないして欲しい?」

 『離さんかったら、折ってまうで?』と、物騒なことを言うユキちゃんが、ぐっと相手の右手を握る。その力に恐れをなしたかのように、小林君の手が離れる。


「俺の女に手ぇ出すなや。このダボが」

「知らなかった、から……」

 ユキちゃんの剣幕に、小林君がぼそぼそと口の中で言い訳を言う。

「知らんかったわけ、ないやろが。なぁ? 洋子さん?」

「……」

 こめかみにユキちゃんの唇が触れる感触がする。

「それとも、あの遣り手婆ぁから、頼まれたんか」

「遣り手婆ぁ、って……」

「女、世話してまわっとるヤツのことや。知らん、言わせへんで」

 小林君から手を離したユキちゃんの腕が、体に巻きついた。

 そのまま、おなかの辺りで手が弾む。

 トン   トン   トン   トン


 なんとなく顔を見合わせるようにしながら、室谷さんたちが後じさりをする。

「もう、コイツに構うなや。次はホンマに怒んで?」

 コクコクと壊れたように頷いた小林君が、みんなを促して背中を向けた。



「怖かったな。だいじょうぶか?」

 私の正面に回ってきたユキちゃんに顔を覗き込まれた。彼の垂れ気味の目を見た瞬間、安堵で涙がこぼれた。 

「ユキちゃん、ユキちゃん」

「うん、ここに居るから。えっちゃんと居るの、俺やから」

 頬ずりをするユキちゃんの体温に、自分の頬が強張っていた事を知る。

 ほーっと、体の底から深呼吸をして。

 ああ、ここが私の居場所だと、緊張が解ける。

「ごめんな。成人式に出んと、帰って来ればよかった」

「ううん」

 本当は明日、デートをするはずだった。

 だけど、互いの式典の時刻が大きく異なって、何とか戻ってこれそうと知ったユキちゃんが『えっちゃんの振袖姿が見たい』と言い出して、今日のデートが決まった。

 無理、をしてくれたのだと思う。

 でも、ユキちゃんがここで待ち合わせにしてくれたからこそ助かった。

「ユキちゃんありがとう」

「遅くなってしもて……ホンマにごめんな」

 彼の腕の中で、頭を振る。

「怖かったんやろ? 我慢、せんとき」

 額、こめかみ、まぶたとキスが落ちてくる。

「魔よけ、っちゅうか……厄落としのおまじない、な」

 ユキちゃんの囁き声が耳元で聞こえて、もう一粒、涙がこぼれたのが分かった。


「あのぅ」

 控えめな声が背後からかけられて、それまで頬に添えられていたユキちゃんの右手が項にかかる。彼の胸元に抱き寄せられかけて、とっさにスーツに化粧がつかないように自分の手を添える。

「ちょっと、ここではそういった行為は……」

 そういった行為?

 行為!? 行為!! 

 さっきまでの自分たちの”行為”を思い出して、顔から火が出る思いをする。

 ここ、ホールの正面玄関!!

 なんて場所で、抱き合って。キスまで……。

「あ、すんません。ちょっと、感極まってもて」

「そろそろ閉めますし。お早めにお引取りください」

「はい、すんませんでした」

 係員らしき女の人とそんな会話をしているユキちゃんの胸元から、私は顔を上げられずにいた。


 ゆっくりと五十数える間そのままの姿勢でいた私は、やっと手を離してもらって改めてユキちゃんの顔を見る。

 そういえば……。

「お帰りなさい、ユキちゃん」

「ただいま」

 いつもの顔で笑ったユキちゃんが私の手をとる。

「遅くなったけど、晩飯、行こ?」

「うん」



 その夜、帰り道で室谷さんたちと再び出会うことを心配したユキちゃんに、家まで送ってもらった。

 道々、さっきのやり取りで気になっていたことを尋ねる。

「ユキちゃん、『遣り手婆ぁ』って?」

「どないしたん? 急に」

「さっき、室谷さんに、言っていたから」

「ああ、あれなぁ」

 つないだ手を、幼稚園児のようにブラブラと振りながら、ユキちゃんが言葉を捜すように黙り込む。

「ユキちゃん?」

「うーん。ちょっとな、洋子さんの知り合いで、チョロチョロしとるやつが居るねん」

「チョロチョロ?」

「そ。彼女居る、言うとるのにしつこいねん」

 そう、なんだ。

 いつだったか、もれ聞いてしまった合コンの話だけじゃなくって。ユキちゃんの周りには、女の子が集まってくる。

 しかた、ないのかなぁ。

 ヤキモチを焼くのは、”身の程知らず”かなぁ。

「えっちゃんから、俺を奪えると思っとるなんてな。”身の程知らず”も、ええところや」

「はい?」

 何か今聞いた言葉。間違っていない?

「俺が、他の女に乗り換えるわけ無いやん。こんなにえっちゃんのこと、好きやのに」

 なぁ、と、同意を求められても……。

「あれ? 通じてへんの?」

「ええっと」

「うわぁー。ショックー」

 はぁとぶれいく、やわ。

 つないでいないほうの手で胸を押さえて、よろけて見せる。


 おどけて見せながらも、彼の目は真剣で。

 『本気やで?』と、泣き黒子も言っていた。  

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