仕切りなおしの打ち上げ
学祭の熱気もそろそろ冷めた十一月の下旬に、織音籠の皆と”仕切りなおし”の打ち上げをすることになった。
「えっちゃん、場所やねんけど」
「はい」
今日も、学食でお昼ご飯を食べるのがデート。
「俺の部屋でやろか、って」
「ユキちゃんの?」
「うん。ちょーっと皆、金欠やねん。で、ツマミを持ち寄って、な?」
「はぁ」
「えっちゃんには、何を持ってきてもらおうかなぁ」
ユキちゃんは、そう言って、ズルズルとラーメンをすする。
「ご飯のおかず、みたいな方が良い?」
「いや。えっちゃん、遠いし。そうやなぁ。乾き物を買うてきて?」
「そう?」
「うん」
いいのかなぁ。本当に。
そうして、迎えた当日。
オツマミの入ったタッパウェアを持って、ユキちゃんの部屋へと向かった。中身は、ユキちゃんの好きな明太ポテト。これなら嵩張らないし、さめても美味しいし。後は、ユキちゃんに頼まれている”乾き物”を買って。
通い慣れた道を辿って、ユキちゃんの部屋のチャイムを鳴らす。
集合には少し早いけれど、準備とか手伝いたい、と思って。
「相変わらず、早いなぁ」
ユキちゃんが目じりを下げるように笑いながら、ドアを開ける。
「明日は、雨?」
「いや。掃除とかは終わってるから。俺の勝ち」
どうぞー、と言ってつっかけたスニーカーを脱いで、部屋に上がるユキちゃんの後ろに続いて、私も靴を脱ぐ。
「ええっとね。おつまみと……」
トートバッグから出したものを、テーブル代わりの家具調コタツに置く。大ぶりのタッパウェアをあけたユキちゃんが歓声を上げて、早速ひとつ摘んでいる。
「めっちゃ、うまいやん」
「そう? よかった」
お皿、出さなきゃ。
勝手知ったお台所に足を運んで。戸棚に手をかけたところで、ちょうど炊飯器が炊きあがりの合図をたてた。
「ユキちゃん」
「うん? どないしたん?」
「ご飯、炊けたみたいだけれど」
「ああ、うん」
「おかず、よかったの?」
「ああ。それは、ジンの担当」
「ジンくん?」
アイツ、そこそこ上手やで、と言いながら隣にやってきたユキちゃんが、グラスを三個、戸棚から出す。両手を使って器用にグラスを持っているけれど……三つなんて中途半端な数じゃない?
ああ、でも。七人で集まるのに、グラスは全部で五個しかない。
「ユキちゃん、紙コップか何か買ってこようか?」
「いや、三つあったら十分」
何かいたずらでも思いついたような顔で笑ったユキちゃんが、両手に持っていたグラスを”テーブル”に置くと、私の頭を軽く叩く。
ポポ ポンポン。
壁の時計を見上げると、そろそろ皆が来る時刻。
最初に来たのは、二リットルのペットボトルでウーロン茶を持ってきたジン君。三本も、誰が飲むんだろう。
受け取ったお茶をひとまず冷蔵庫に入れたユキちゃんが、代わりに野菜とベーコンを取り出す。その間に、ジン君は軽く腕まくりをして、流し台で手を洗っている。
「ユキ。油は?」
「ええっと、そこ。ああ、冷ご飯無かったから、炊いたで」
「ん、だったら、保温切って冷ましておいてくれ」
「はいよー」
二人がそんなことを言いながら、何かを作り始めた。
チャイムが鳴る。
「えっちゃん、ドア開けて」
「あ、はい」
やって来たのは、リョウ君。今日は、インコじゃなくなってただの金髪になっている。
「よう、悦子さん」
「こんにちは」
荷物を受け取ろうと手を出すと、『重いから』と断られた。そして、またチャイム。
器用に体を捩ったリョウ君が、ドアを開ける。
「やっぱり、リョウだったんじゃねぇか」
「俺だったら、なんだって言うんだよ」
「後ろから呼んだのに、聞こえてなかったのかよ」
「悪ぃ」
「べーつに良いけどよ。早く入れよ」
次に現れたサク君は、ドアを開けたままリョウ君が靴を脱ぐのを待っている。
なんだか、一気に玄関が狭くなった。
「えっちゃん、ちょっと手伝ってー」
奥からのユキちゃんの声に返事をして、リョウ君たちより一足先にお台所へ戻る。
お台所では、ジン君が慣れた手つきで野菜を刻んでいた。ユキちゃんはその横で玉ねぎをむいている。
「えっちゃん、ごめん、冷蔵庫から玉子出して。二個ほど」
「いや。今日は……三個、頼めるかな?」
「はい」
冷蔵庫を開けている横で、リョウ君が手にしたレジ袋から缶ビールを出してきた。
「悦子さん、これ冷やす場所ある?」
「あ、はい」
玉子を取る前に、ビールを入れて……。うわぁ。一杯になってしまった。
「こら、ジン」
振り返ったリョウ君が、とがめる声を出す。
「ん?」
「お前、どれだけ買ってきたんだよ」
「んー、飲むだろ?」
「こんなに、飲むやつ居ねぇよ」
「余ったら、次の練習のときにでも飲めばいいだろ?」
「ビールが入らねぇから、一本出すぞ」
そう言いながらお茶を一本とり出したリョウ君は、私が玉子を出すのを待ってから、冷蔵庫の扉を閉めてくれた。
両手に玉子を持って向かった流し台では、ジン君が包丁を洗っていた。
「っ痛ぇ」
「切ったん?」
「んー」
ジン君は左の親指を口に入れて、顔をしかめている。化粧ポーチに絆創膏が入っているのだけれど、まず玉子をどこかに置かないと。あ、またチャイムが鳴った。
何から手をつけたらいいのか、とオロオロしていると、壁に立てかけてあった折れ脚テーブルを広げていたサク君が、リョウ君を呼ぶ。
ほんの一言、名前を呼ばれただけのリョウ君が、軽やかに立ち上がって玄関に向かう。
まさに、阿吽の呼吸。
「ジン君、怪我したって?」
入ってくるなり ゆりちゃんが心配そうな声で、かばんの中から絆創膏を出した。
「Thank you.さすが、ゆり」
「どういたしまして、っていうかねぇ。いつまで、マネージャーが必要なのよ」
まったく、と言いながら ゆりちゃんは、ジン君の指に絆創膏を貼っている。
その後ろには、レジ袋を提げたマサ君が立っていた。
傷の手当をしてもらったジン君が鮮やかな手つきで作った炒飯と、ゆりちゃんが持ってきたキンピラ牛蒡もお皿に入れて。その横に三つのグラスと数本の缶ビールを置くと、大きいわけでもないテーブルは結構一杯になった。
なのに、まだ増やす人が。
「ユキ、もう一個グラスくれ」
「はいよ」
ユキちゃんが取ってきたグラスを受け取ったマサ君は、黙って ゆりちゃんの前に置いた。
みんながテーブルを囲んだところで、三つのグラスにジン君がウーロン茶を注ぐ。そのうち二つが、ゆりちゃんと私の前におかれた。そして、残りの一つはジン君の前に残ったままだった。
「ジン君は飲まないのですか?」
「悦子さんだって、飲まないんだろ?」
ペットボトルにふたをしながらのジン君の切り返しに、ユキちゃんが答える。
「えっちゃん、未成年やもん」
ポーン ポンと私の頭を軽く叩きながらのユキちゃんの言葉に、誕生日まであと一ヶ月ほどなのだけど黙って頷いておく。
いつものように『体質で』と言う暇を与えなかったユキちゃんには、何か考えがあるのだろう。
「俺だって、未成年だもーん」
ジン君が目で笑いながら、ユキちゃんのまねをする。
「そう、なんですか?」
「ん、俺、一月生まれ。多分、この中で一番年下」
一番大きな子が一番年下、なんだ。
誰からともない乾杯の声に缶ビールがあけられる。
そういえば……。
「ゆりちゃんも? って、あれ?」
乾杯の時には確か、ウーロン茶を持っていたはずの ゆりちゃんが、いつの間にかビールのグラスを握っている。
「どうしたの?」
「ゆりちゃん、さっきはウーロン茶……」
「ウーロン茶は、こっちー」
彼女が指差したテーブルの上には確かに、ウーロン茶のグラス。
「時々お茶を飲んで休憩しながら、ちょっとずつお酒を飲むことにしているの」
はぁ。そんな風に自分の酒量を加減する方法があるんだ。
感心しながら、なんとなくテーブルの上を見て。
あれ?
リョウ君が丁度、缶に口をつけていて。その隣のマサ君の分の缶ビールはテーブルに載っている。で、ゆりちゃんと私の前にはウーロン茶のグラスで、ゆりちゃん自身はビールのグラスを握っていて……。
「数が……あわない?」
「どないしたん?」
私のつぶやきに反応して、隣のユキちゃんが明太ポテトをつまみながら尋ねる。
「ゆりちゃんの分のビールの缶は?」
「マサが飲んでる」
「はい?」
「マサと仲良く半分こ、やんな?」
「気の抜けたビールなんか、まずいだけだろうが」
冷やかすようなユキちゃんの言葉に、しれっと答えながらマサ君は、手に取ったビールの缶に口をつける。
そんなやり取りに咽喉の奥で笑いながら、ジン君が炒飯を取り皿に取っている。そのお皿をすっと、サク君の前に置く。
すごい山盛り。とてもじゃないけれど、”ツマミ”とは言えない。
「おい、どれだけ食わす気だよ」
「食事は基本だぞ。飲んでばっかりいないで、食え」
「へぇへぇ」
サク君は、気の抜けたような返事をしながら器用にお箸で炒飯を食べ始める。
「えっちゃんも食べてみ?」
「あ、はい」
ユキちゃんに勧められて、とりわけ用のスプーンでお皿にとったけれど。食べるのにもスプーンが欲しいかも。
「ユキちゃん、スプーンを出してもいい?」
「あ、ほんまやな」
戸棚に向かおうと立ち上がると、ゆりちゃんがお皿に取り分けながら声をかけてくる。
「えっちゃん、私とまっくんにも、お願い」
結局、大小を取り混ぜて、人数分のスプーンを出す。
「おいしい」
ジン君が作った炒飯は、どこか懐かしいような味がした。
「やろ? 誰かのところで飲む時は、ジンが飯担当やねん」
「誰が作っても同じだって」
顔の前で手をパタパタと振ったジン君が、ウーロン茶のお代わりをグラスに注ぐ。
すごい。二リットルのペットボトルを片手でつかめるなんて、すごく大きな手。
「悦子さんもいる?」
差し出されたボトルに、一瞬緊張をしたけれど。横からユキちゃんの手がそっと、背中に当てられて、肩の力が抜ける。
大丈夫。これは、お酒じゃない。
「はい、いただきます」
一センチほど残っていたお茶を飲み干して、差し出したグラスにお茶が注がれる。
「ありがとうございます」
「ん」
トントントトトン。
背中を叩く、ユキちゃんの手の感触。
そっと見たユキちゃんの垂れ気味の目が、ほっとしたように笑っている。
「ゆりは?」
「まだ、いらなーい」
あっさりとお茶を断った ゆりちゃんは、マサ君のお皿に明太ポテトを取り分けている。
その横で、マサ君はゆりちゃんのグラスに残っていたビールを飲み干すと、新しくあけた缶からビールを少しだけ注ぐ。
「何で、これだけ?」
「飲んだら、また入れてやる」
ぶーっと膨れながら、マサ君の前にお皿を置くゆりちゃん。
「ゆりが潰れて困るのは、マサだもんな」
のどの奥で笑いながらジン君がペットボトルにふたをしている。
「はいはい。その節は、ご迷惑をおかけしましたー」
ゆりちゃんも、潰れたことがあるんだ。
ゆりちゃんに妙な親近感を覚えたのと同時に、それを笑い話にしてしまえる彼らに、安心感のようなものも芽生える。
織音籠のみんななら、大丈夫。
この中に、私を潰そうとするような悪意のある子はいない。
テーブルの上の食べ物が半分ほどに減った頃。
突然、サク君がかばんからノートを取り出して、何かを書きだした。
「サク君は、何を書いているのですか?」
緊張もほぐれた私の質問に、ペンを止めたサク君が、じっと私の顔を見る。
ええっと。
どこを見ればいいのか、視線が戸惑う。
「悦子さん、この前から思ってたんだけどよ」
「はい」
「ゆりさんみたいに、『サクちゃん』でも、いいぜ?」
「はい?」
「今、噛んだだろ? 俺の名前」
「……」
ばれた。
ゆりちゃんみたいに酔ってたわけでもないのに。
「いいじゃない。えっちゃんも『サクちゃん』って呼んじゃえ呼んじゃえ」
「由梨、おまえ酔ってるだろ」
はしゃぐ様な笑い声を立てたゆりちゃんが、マサ君にたしなめられている間、私はユキちゃんと顔を見合わせていた。
「いいの、かな?」
「ええのと違う?」
『えっちゃんも、ゆりさんと同じくらい俺らの仲間やってこと』
耳元でそう囁いたユキちゃんの言葉に、私の居場所が広がった気がした。
「あの、じゃぁ。サクちゃん、何を書いているのですか?」
「作詞のため材料」
ふわぁ。そうなんだ。作詞は、サクちゃんの担当なんだ。
「まだ、ひとつも形になってねぇよな」
「っるっせー。リョウの曲だって、まだできてねぇじゃねぇか」
「二人とも、宿題やんな?」
リョウ君とサクちゃんの言い合いを、ユキちゃんが混ぜ返す。
「ユキは、曲も詞も書かねぇだろうがよ」
「その代わり、俺のパートは全部、自分で作っとうもん」
すごい。知らなかった。
「ええっと。じゃぁ、作詞は結局……?」
「俺」
すっと、ジン君の大きな手が挙がる。
「ジンも、さっき何か書いてたやろ?」
「そう?」
「ほら。こいつら、律儀に中学校の先生の言うことを守って創作ノート書いてんだよ」
リョウ君が、ジン君の後ろから大学帳をとりだすと、パラパラと捲って見せる。
ちらりと見えた帳面には、ちらほらと筆記体の英字も見える。
「英語、ですか?」
「んー。そのうち、英語でも書けたらいいなぁとは……」
軽く視線を伏せながらジン君が、グラスに口をつける。
「さすが、外大ー」
パチパチと手を叩いた ゆりちゃんに、ジン君が顔をしかめてみせる。
「おい、マサ。そろそろ止めさせろ。酔ってるぞ」
「止めろって言って、止めるならな」
マサ君はそう言いながら、ゆりちゃんのグラスに残っていたビールを飲み干す。その間に、ジン君は黙って ゆりちゃんのお茶の方のグラスを一杯に満たす。
「酔ってなーい」
「分かったって。とりあえず、お茶、飲んどけって。それ飲んでから、次のビール開けてやるから」
「ふーんだ。まっくんのばーか」
あっかんベーをしたゆりちゃんは、自分で作ってきたキンピラ牛蒡をマサ君のお皿にガバっと入れた。
時々じゃれあうユキちゃんたちを眺めながら、テーブルの上が空になるまで、飲んで食べて。
お開きの後は、ユキちゃんと一緒に駅まで向かう。
他のみんなはそれぞれ自分の部屋へと帰っていった。私同様、自宅生であるはずのマサ君は、ゆりちゃんの部屋に泊まるとかで、駅とは別方向へと帰って行った。
「えっちゃん、どうやった?」
「すごく楽しかった」
「そっかぁ。よかった」
「また、みんなとこうやってご飯、食べれたらいいなって思うくらい」
ユキちゃんの左手に握られた私の右手。握り合った指が、グーパーグーパーと動くけれど。
それも何かのリズムになっている。
グーグー パーグー パーグーグー。
そのリズムに合わせるように握り返しながら、初冬の夜空を見上げる。織音籠の名前を象る星座の特徴的な三ツ星は、建物の陰になっているのか見えていないけれど。
織音籠がユキちゃんの居場所である限り。
彼らの隣に私の居場所が、いつまでもありますように。




