初ライブ
あらん限りの『怖くないか』『大丈夫か』の言葉を重ねた、ユキちゃんとの”二回目”の夜を越えたことで、彼の隣に居ることが更に自然になった気がする。
今回は爪も剥がれなかったし、彼が謝るような出来事もなかったし。
今年のお盆は、ユキちゃんの帰省の前に一度ライブがあるらしい。その前の週に練習を見に来ていた ゆりさんに、ユキちゃんが話をつけてくれて一緒に見に行けることになった。
当日、早めに西のターミナル駅で待ち合わせた ゆりさんと、軽く夕食をとろうとファストフードに入った。
トレーを手に空いた席を探していると、『えっちゃん』と呼ぶ声がする。斜め前のテーブルで、総合大の二人組が手を振っていた。
「恭子ちゃん、久恵ちゃん」
「あれ? 野島君は?」
恭子ちゃんが、心底不思議そうな顔で尋ねる。どれだけ、周りにもユキちゃんと一緒なのが当たり前と思われているのだろう。
「今夜は、ライブで」
「あぁ、そうか。だから二人とも合宿来なかったんだ」
「ええ。まあ」
恭子ちゃんの言葉と足元の大きなバッグとラケットに、サークルの合宿が今日までだったと思い出す。
「じゃぁ、えっちゃん、ひとり?」
久恵ちゃんの言葉に、ゆりさんを見る。その視線をたどった恭子ちゃんたちが、隣のゆりさんに気付いてくれた。
「あ、ごめんね。お友達が一緒だったのに引きとめて」
「いえ」
バイバイと手を振る二人に軽く会釈を返して、ゆりさんが見つけてくれた空いている窓際のテーブルへと移動した。
「ね、悦子さん」
「はい」
バニラシェイクにストローを刺しながら、ゆりさんが話しかけてきた。
「ユキくんとか、さっきのお友達みたいに私も『えっちゃん』って呼んでもいい?」
「はい。どうぞ」
「私も、呼び捨てでいいから」
「呼び捨て、ですか?」
「うーん。嫌?」
「ええっと」
ちょっと抵抗が……。今まで、呼び捨てにした友人もいないし。
「サクちゃんと同類?」
「はい?」
「サクちゃんにもね、初対面のときにそう言ったら、『彼女じゃない子は、呼び捨てにしねぇ』だって」
「はぁ」
「でもねぇ。女同士で、ゆりさんって呼ばれるのも、他人行儀じゃない?」
照り焼きバーガーの包みを開けながら、ゆりさんが小首を傾げてみせる。左に寄せるようにして緩く纏められた髪が、耳の下で揺れる。
今日の彼女はどちらかといえばラフな服装だけど、不思議と大人っぽい。
「あの、じゃぁ。『ゆりちゃん』だったら、どうでしょう?」
大人っぽい人に、『ちゃん』付けもどうかと思うけれど。
「あぁ。それ良いわね。あと、敬語もなしにしようよ。同い年なんだし」
「はい」
「まだ、返事が硬いなぁ」
そう言って、”ゆりちゃん”はクスクス笑いながら大きな口で、バーガーに噛り付いた。
そろそろ時間だと、会場へと向かった。
ゆりちゃんの話では、今日は織音籠の前に三組、他のバンドの演奏があるらしい。
「真正面の、前のほうはちょっと危ないこともあるし」
そう言いながらの ゆりちゃんに連れられて、客席へと入る。ステージの真ん中、後方にドラムセットが置いてある。
「前のほうで見たかったら、どっちかの壁際が安全かも」
「マサ君はどっち側?」
「ああ、左側ね。右がサクちゃん」
「じゃぁ、左にします?」
「まっくんの弾いている姿なんて高校から見ているから、今更なんだけど。でも……左側でも、いい?」
ちょっと照れたような顔で笑った ゆりちゃんだけれど。
「まぁ。演奏が始まったら、まっくんを気にしてなんていられないんだけど」
なんだか意味深な ゆりちゃんの言葉に、私は曖昧に笑い返した。
初めてのライブハウスの様子にキョロキョロしているうちに、開演となり。凄まじい音量に意識を揉みくちゃにされて。
「次、出てくるわよ」
ゆりちゃんの言葉に、ハッとして。意識をステージに集中させる。
でてきた。ユキちゃんが。
あのリョウ君の南国の鳥のような髪や、サク君のツンツンに立った髪型。それから、ジン君の首からジャラジャラとぶら下がったアクセサリーに度肝を抜かれて。
そして、そんな彼らと並んでも違和感のないユキちゃんの服装に、更に開いた口が塞がらなくなる。
ふぇー。ユキちゃん、こんな風になるんだ。そして。ココが、ユキちゃんの居場所なんだ。
〈 こんばんは。今夜も俺達、織音籠を聞きに来てくれて、Thank you.どうぞ、目一杯楽しんでいって、ください。 Are you OK? 〉
ジンくんの、そんな言葉で、彼らのステージが始まる。
最初のカウントはユキちゃんだった。
多分、彼の”音”を意識して聞いていたのは、ほんの数小節。
ジン君の歌が入った瞬間、彼らの音楽に全ての意識が奪われた。
彼の低い声が、空間を支配する。
初対面のときの、恐怖感とは違う種類の鳥肌が立つ。
そして、その歌声に従いつつ、さらに高みを目指すような音たち。
「えっちゃん、大丈夫?」
ゆりちゃんの声に我に返った。
ステージ上には、すでに織音籠の姿は無く、次のバンドの出番に備えた準備が行われていた。
「あ、はい」
夢、を見ていた気分。
「この後、もう一組で終わりって、聞いているけど。もう帰る?」
「ゆりちゃんは?」
「そうねぇ。全部が終わっってから他のバンドの人たちと打ち上げだって、まっくんは言っていたから、私も待たずに帰るつもりだし」
なるほど。打ち上げ、とかもあるんだ。
「ゆりちゃんが帰る時に、一緒に」
多分、ユキちゃんはそれも見越して、ゆりちゃんにお願いをしているのだろうから。
「じゃぁ、見るだけ見て、帰ろうか」
ゆりちゃんが、そう結論を出すのを待っていたように。ステージには、最後のバンドが出てきた。
翌日、午後からのバイトの前に、ユキちゃんと西のターミナルで待ち合わせて、お昼ご飯を一緒に食べた。ユキちゃんは午後の新幹線で帰省するので、一週間ほど会えなくなる。その前に、ゆっくりとデート、にはならないけれど。せめて、改札で見送りたい。
「えっちゃん、昨日は大丈夫やった?」
「はい」
注文したオムライスを待ちながらの話題は、昨日のこと。
すごかった。音に良い意味で”酔う”様な感じだった。と話していて。
「でね、ゆりちゃんが」
「あ、そこまで仲良くなれたんや」
珍しく、ユキちゃんが話の途中で口を挟む。
「はい?」
「『ゆりちゃん』って今、呼んだやろ?」
「あ、はい。ゆりちゃんが『えっちゃん』って、呼ぶようになったので」
「ええ、感じやん? 呼び方って、親しさのバロメーターみたいなもんやし」
そうか、そうか、と嬉しそうに微笑みながらお水に口をつけている。
「あれ?」
「どないしたん?」
「だったら、ゆりちゃんは『サクちゃん』と、一番の仲良し?」
「あれは、酔った勢いらしいで」
運ばれてきたサラダとスープを受け取りながら、ユキちゃんが言うには。
ゆりちゃんも、最初は『サク君』と呼んでいたものの、ある時、酔いのせいか『サクくくくん』みたいに、妙な呼び方になったらしい。
で、呼びにくいなら……と、今の呼び方で落ち着いたらしい。
確かに。時々私も舌をかみそうになる。
「一番はどう考えても、『まっくん』やろ? あんな呼び方できるん、ゆりさんしかおらへんって」
「ああ、なるほど。それに、夫婦だし?」
「そうそう」
ユキちゃんがサラダにフォークを刺しながら、頷く。
「そうよね。マサ君の演奏なんて、高校から聞いてるし、って昨日言ってた」
「サク以外の三人は、高校の文化祭でも演ってたらしいわ」
「そんなに、前から?」
「うん。偶然そのステージを見たサクが、去年の俺みたいに、『一緒にやらせろ』って言うて。だったらって、学園町の大学にそろって進学したみたいやな」
「うわぁ」
バンドのために、進学先を決めるって。
すごい。
「そんな無茶をアイツらがせんかったら。俺とは逢うことなかってんなぁって思ったら、すっごい運命みたいなモン、感じる」
何か大切なものを眺めているような表情のユキちゃんに、一つの曲のイメージが思い浮かぶ。
「なんだか、昨日の曲みたい」
「ラストのアレ、やろ? えっちゃんが聴きにくるから、って演ってもらってん」
「わたし?」
「そうやで。俺、こっちに来なかったら、えっちゃんとも逢えんかったもん」
運ばれてきたオムライスを受け取る私の脳裏に、うろ覚えのジン君の声が流れる。
時空を超えて、友人や愛する人と出会えた喜びを歌った歌。
昨日の帰り道に聞いたゆりちゃんの話では、高校生のマサ君が初めて作曲した歌らしい。
私自身、ユキちゃんや織音籠、そしてゆりちゃんと出会えたことは、きっと人生の奇跡。
目の前でオムライスを頬張るユキちゃんを眺めながら、私もスプーンを手にとる。
この奇跡を、手放す日が来ませんように。
残りの夏休みは、九月の前期試験に向けた勉強と、バイト。その合間に時々デート。
そんな感じで、過ぎて行く。
無事に前期試験を終えて、後期の履修登録を考える時期が来た。
そろそろ、周囲では必要な単位の修得に目途がついて、必要最低限の履修のみで済ませようとする学生が増えてくる時期、らしいけど。
「単純に、授業料を講義数で割ってみ? 俺のバイトの時給よりはるかに高い金払ってるねんで?」
もったいない、と、言いながらユキちゃんは経営の科目を多めに、かなりの数の履修を登録していた。そのうえで、放課後はみっちりとバイトと練習の予定を入れているみたい。
確かに。私も通学の定期代のことを考えれば、毎日コンスタントに講義を受けたほうが効率はいいと思うし、何よりも大学に来ればユキちゃんに会える。
そんなわけで、二年の後期も私たちは、相変わらず学食でデートをしている。
そして、今年も学園祭のシーズンが来た。
”三ヶ所めぐり”とユキちゃんがいつだったか言っていた、ステージの皮切りが私たちの経済大でだった。
準備があるからと、途中からユキちゃんとは別行動になって。この日は、ヨッコちゃんたちと模擬店を回っていた。
「なんだか、すごい子がいる」
亜紀ちゃんがボソッと呟いたのは、カキ氷屋の模擬店の前だった。
場違いなほど、というのは、言いすぎかな。
細いピンヒールに、目の痛くなるような原色のボディコンスーツを着た女の子が四人、向こうから連れ立って歩いてくるのが見えた。
「イケイケ姉ちゃんって、ああいうの?」
「かな? 俺も初めて見た」
木下君と広尾君が呆れたような声で話している。
「ねぇ、トミィー」
あたりを憚らない彼女たちの会話に、なんだか聞き覚えのある名前が出てきた気がする。
「なぁにぃ?」
返事をしたのは……トミさん? リョウ君の彼女の。
「合コン、いつやるのぉ?」
「今日、リョウに聞いてみるー」
「お願いねぇ。私、マサって、いいと思うんだぁ」
マサって、マサ君のこと? ゆりちゃんがいるのに?
「怖そうじゃない? 目つきとか」
「そーぉ? 私どっちかって言うと、強面のほうが好みー」
「えぇー」
「ねぇねぇ。五人だから……もう一人は、誰を誘う?」
五人って、織音籠の五人、って意味?
唖然と、立ち止まった私に気づくことなく、キャァキャァと彼女たちのグループが通り過ぎていく。
合コン、って。なに?
ユキちゃん、関係あるの?




