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ハイ、しか言えない……

イジメについての描写があります。注意をしてください。

 中学二年生の初冬。

 定期試験前の部活休止期間の初日だった、その日。美化委員の私には清掃点検の当番が当たっていた。


 チェックを終えて、人気の無い教室へと向かう。とっくにクラスメートは帰ってしまって、相方の男子はサボりで。一人、静まり返った廊下を歩いていた。


「じゃぁさ、明後日の放課後に体育館裏ってどうよ?」

「えぇー。あそこ、裏通りから見えるじゃない」

「じゃぁ……北校舎横の焼却炉のところとか?」

「そんなところに呼び出す女、居ないって」


 誰も残っていないと思っていた教室から、男女の声。

 クスクスとどこか隠微な笑い声も聞こえて。

 私は、教室の戸にかけた手をどうしようか、迷った。これ、開けたら……まずいのかな?



 戸惑っている私の姿が、すりガラスに映っていたらしく

「誰?」

 勢い良く、引き戸が開けられる。

 目の前に立っていたのは、野球部のエースの小林君。

「なんだ、ハイジ。まだ残ってたんだ」

「あ、はい」

 教室の中には、室谷さんとその取り巻き、みたいな子達。後、野球部の男子が三人。彼らは教卓の正面、前から三番目の机を囲むように立っていた。

 自分の席へと向かうために、彼らのほうへと近づく私に、

「ハイジ? ここで見たことは、ナイショね?」

 華やかという形容がこれほど似合う子も居ない、という微笑でピンク色の封筒を口元に当てて首をかしげる室谷さん。

 ちらりと見えた封筒の宛名は……足立君??


 足立君は、お世辞にも勉強ができる方ではない子で、いつも授業中は居眠りをしている。さらに体型も……どちらかといえば、お相撲さんで。

 そんな子に、室谷さんがラブレターなんて信じられない。

 たとえば小林君とか、生徒会長の吉野君とかだったら……分かる気がするけど。

「ハイジ? 返事は?」

 室谷さんの横に居た男子が、声をかけてくる。

「はい、分かりました」

「それでこそ、”ハイ”ジ」

 キャハハッと、馬鹿にされたような笑い声が起きる。


 灰島(はいじま)という苗字からついたはずのあだ名は、いつしか、『”ハイ”しか言わない、ハイジ』になっていた。

 私にだって、言いたいことが無いわけじゃないんだけれど。

 言ってしまったら、私の居場所が無くなってしまいそう。

 そんな自分でもよく分からない不安感のせいで、いつも私は、『ハイ』としか言えない。



 私に興味を失ったらしい彼らが自分たちの会話に戻るのを聞くともなく耳にしながら、自分の机から通学カバンを手にする。

「でさ、差出人、誰にする?」

 え? 差出人を『誰にする?』って?

 そんな男子の問いかけに『五組の、ほら……』と、室谷さんが出した名前は、彼女と学年で一、二を争う美人といわれる子。

「あの子、嫌いなのよね」

「だろうな。洋子とタイプかぶりすぎだし」

 小林君が室谷さんのこと名前で呼んだことに、胸の奥がチクンとする。

 淡ーく、小林君って、かっこいいな、とか思ってたけど。

「アイツが足立に告白なんて、ありえないんじゃないの?」

「ありえないことを足立が信じるから面白いんじゃない?」

 交わされる会話に、ほのかな失恋が、影も無く飛び散る。

 この子達、偽のラブレターを足立君に出そうとしているんだ。それも、気に入らない五組の子の名前で。



「ハイジ? 聞き耳たててるんじゃないわよ」

 手が止まっていた私を見咎めた女子が、とがった声を出す。

「あ、はい。ごめんなさい」

「なぁに? 仲間に入りたい?」

 毒液でも垂れてきそうな目つきで見てくる室谷さんから、慌てて顔を俯けて視線をそらす。

「仲間に入る気なんか無いだろ? 早く帰れよ」

 遅くなるぞ、なんて、小林君が優しそうなことを言う。

 だけど、恐る恐る見た彼の顔も、室谷さんそっくりの毒を含んでいた。



 そそくさと、教室を出た私は。

 耳にした彼らの会話が、一晩中、頭から離れなかった。



 彼らは、そのまま”ラブレター”を足立君の机に入れたらしく。

 翌日、私が登校した時。真っ赤な顔で、ピンク色の封筒を握り締めている足立君と、廊下で声を殺して笑っている小林君たちが居た。


 怖い。

 人の悪意って。


 足立君がラブレターの内容を信じたのか、呼び出された待ち合わせの場所に向かったのか、私はそれ以上のことは知らないけれど。



 その日の昼休み。

 廊下ですれ違った小林君が、小声でささやいた。

「ナイショ、だぞ。ハイジ」

 そう言って目配せをしてくる彼に、背筋がゾッとした。


 なんだか、嫌だ。

 こんな子、ちょっとでもかっこいいなんて思った自分が。




 『”ハイ”としか言わない、ハイジ』のまま、中学高校と、成長していって。

 気がつけば、私も大学生になっていた。



 楠姫城(くすきのじょう)市にある経済大学の一年生になった私はその日、新入生ガイダンスのために登校していた。

「ね、新入生?」

「サークルとか、興味ない?」

 校門を入ってすぐ、二人組みの男子学生に声をかけられた。

「あの、ええっと……」

「ああ、ごめん。驚かせたね」

 爽やか、を絵に描いたような背の高いほうがにっこり笑って、自己紹介をしてきた。

 彼らは近所にある総合大学の二年生で。

「ここと、合同サークルやっててさ。新入生の勧誘をしてるわけ」

「はぁ」

 背の低いほうが、チラシをくれる。

 テニスと、スキーのサークルで。飲み会が、月に二回程度、とか。 

「ありふれた、って言ってしまえばそれまでのサークルなんだけど」

「学校の枠にとらわれないで、友達とかできるし。どう?」

 『別に、興味ない』と言えれば苦労しない。”ハイジ”のままじゃいけないとは、自分でも分かっているんだけれど。

 曖昧にうなずいた私に、彼らは”入会申込書”なるものをクリアファイルから出してきた。促されるまま、連絡先とか氏名とかを記入する。

 こうして、なし崩しに私のサークル入会が決まった。



 『来週の土曜日にサークルの新歓コンパをやるから』という内容の電話が、女の人からかかってきたのが、四月の半ばの夜だった。

 当日の夕方。午前の講義の後、私は一度家に帰ってから、待ち合わせ場所である総合大の校門前に向かった。

 最寄駅を降りるまでは、いつもの講義の時と同じだった。けれど、一歩ずつ近づくにつれて、足が重くなる。

 

 待ち合わせ、が実は……嫌い。

 友達との待ち合わせだけじゃなく、校外学習や修学旅行なんかのイレギュラーな集合も含めた、『何時に、どこで集まりましょう』というのが、とにかく苦手。

 待ち合わせの度に、中学校での足立君の一件が心に浮かぶ。

 私、だまされたりしてないよね、と不安になる。

 私だけが、待ちぼうけを食らって。みんな、どこかの物陰から笑ってたりしていそうで。

 

 ああ、嫌だ。行きたくない。待ち合わせなんて、したくない。

 だけど、”ハイジ”な私は、ドタキャンすることもできずにノロノロと足を運ぶ。



 校門前にたどり着いたのは、約束の十五分前。

 待ちぼうけも怖いけれど。遅れたせいで一人置いて行かれるのは、もっと嫌。

 だから、『嫌だ嫌だ』と思いながらも、人より早く来ては、『騙されてないか』と、ドキドキしながらみんなを待つ。


 そして、余計に疲れる。



 誰もいない校門前で、ボーっと立っていたのは……何分くらいだっただろう。

「あー」

 男性の声に顔を上げる。

 うわ、おっきい。

 垂れ気味の目をした背の高い男子が、困ったような顔で私を見下ろしている。

「新歓、やんな?」

 男子にしては、少し高めの声が尋ねてきた。

「はい」

 同じサークルの人、かな?

「一年、やんな?」

「はい」

「ああ、よかった。俺一人やったら、どうしようかと思った」

 ほっと息をついて笑った左の目元に、泣き黒子がひとつ。

「俺も、一年。経済大の野島(のじま) 和幸(かずゆき)

 よろしくー、と言いながら首をかしげる。

 これは……私も名乗るべきなのかな?

「私も、経済大です。灰島 悦子っていいます」

「えっちゃん、か」

「ええっと……はい」

 『えっちゃん』なんて、呼ばれたの。幼稚園以来かもしれない。


 そのまま、二人で他の人が来るのを待つ。

 野島君は、何かと話しかけてくれるけれど。やっぱり、私は”ハイジ”のままで。

 ふと見た野島君は腕組みをして、その人差し指がイライラと腕を叩いていた。

「あの」

「うん? どないしたん?」

「退屈、ですよね」

「いや? えっちゃん、待ちくたびれた?」

 私じゃなくって。


「ごめんごめん。待たせた?」

 突然かけられた大きな声に、会話が途切れた。

「新入生だよな? 俺、一応、代表をやってる佐々木な」

 明るい茶髪の男性が、ニコニコと愛想よく笑いながら私たちを見比べている。

「はじめまして。野島、いいます」

「灰島です」

 そつなく自己紹介をする野島君に倣って、私も名乗る。

「うんうん。一年生は全部で十人ほど入ったから。仲良くしような?」


 佐々木さんが来たのをきっかけにしたように、三々五々と人が集まってくる。

 根岸さんと名乗った女性が、出欠確認を取る。確か、電話で今日のことを教えてくれた人。

「佐々木君、全員そろってる」

「よし、じゃぁ。移動するぞ」

 一クラスにはちょっと少ないほどの集団が、ぞろぞろと動き出す。



 連れて行かれたのは、いわゆる居酒屋さん。

 奥のほうにあるお座敷に通された。

 上座に腰を下ろした佐々木さんに続くように、二列に並んだテーブルの奥のほうから、先輩らしい人たちが次々座っていく。

 なんとなく同じ一年生だろうな、という感じの子達で互いに顔色を伺っていると、まだ座ってなかった根岸さんが、

「ほら、どこでもいいから座っちゃって。どうせ、飲みだしたら移動するから」

 そういいながら、末席に座る。

 私がオロオロしている間に、今度は下座側からパタパタと席が埋まって。

「なんか、Aが出てしもた『七並べ』みたいやなぁ。あ、えっちゃん、ここ座ろ」

 野島君の声に引っ張られるように、あいている席に座る。私の左隣が野島君。

 うわぁ。野島君の反対側は、先輩らしいヌリカベみたいな大きな人だし。その向かいは、いかにも女子大生という感じの、なんだかキラキラしたお姉さん。  


 どうやら、私は一年生と上級生の境目に座ってしまったみたい。


 佐々木さんの音頭で乾杯が行われて、自己紹介が始まる。

 一年生は女子が私を入れて五人。同じ経済大の横田さんと坪内さんは高校から一緒だったとか。あとの二人の総合大の子同士も前からの仲良しらしい。

 男子は、野島君と木下君、広尾君の三人が経済大で、後の四人が総合大。

 先輩は……微妙に総合大の人が多くて、男性が多い感じ。今日来ているのが、私たちを入れて、合計二十八人。


「ね、高校生のときって、なんて呼ばれてた?」

 右斜め向かいに座っているキラキラのお姉さん、坂口さんが話のきっかけを作る。

 右から坂口さん、広尾君、そして横田さんと並ぶ向かいの三人と、私の隣のヌリカベさん……いやいや、大山さん、それから私と野島君の六人が話すような感じになっていた。

「まずは……広尾君?」

「ストレートに、苗字呼び捨てっす」

「ま、ごく普通だな」

 大山さんが、ビールを飲み干したグラスをテーブルに置きながらウンウンと、一人で頷いている。そのグラスに坂口さんが、お代わりを注ぎながら

「横田さんは?」

「ヨッコでした」

「ようこちゃん?」

「いえ。横田の……」

「ああ、『ヨッコ』ね」

 坂口さんの相槌に軽く頷きながら、『ヨッコちゃん』が大皿のチーズフライに手を伸ばす。  

「野島君は?」

 この次、私に順番がくるんだ

 大山さんが野島君を呼んだ声に、ちょっと緊張する。

「ユキって」 

「いやーん。かわいい!」

 彼の応えに、ヨッコちゃんが悲鳴を上げて。坂口さんも口元を押さえて目を丸くしている。

「和幸やから。親に小さい頃からそう呼ばれとったもんで」

 照れたように頭を掻きながら、野島君が首をすくめる。

「じゃ、最後は灰島さん」

 この流れで、『ハイジ』は言いにくい。

「あ、はい」

 言いにくいんだけど。

「なんて呼ばれてた?」 

 追い討ちをかけるように尋ねながら、半分に減った私のグラスにビールを継ぎ足す大山さん。

「ハ、イジ」

 です。

 語尾が、口の中で掻き消える。

「きゃー。ユキちゃんに、ハイジなんて!」

 今度は、坂口さんが身悶えする。

 だから、言いたくなかったんです。往年の世界名作アニメみたいで。


「えっちゃん。あんまりその呼ばれ方、好きやないの?」

 盛り上がる皆について行けなくて俯いた私にだけ聞こえるような、小さな声が聞こえた。

 ちらりと顔を上げると、野島君が首を傾げてこっちを見ていた。

「は、い」

「ふうん」

 彼の右の人差し指が、軽くリズムを取るようにテーブルのふちを叩いている。

 トントン、トトトン、トントトトン。

 ふっと、指がとまる。

「坂口さん」

「なぁに? ユキちゃん」

 クスクス笑いながら、返事をする坂口さん。笑い方ひとつに、一歳違いとは思えない大人の色気がこぼれる。


「ハイジは大人になったらペーターのモンになるから、子ヤギのユキとしては、あんまり嬉しないのやけど?」

「あらら」

「できたら、ハイジは止めて?」

 顔を上げてそっと覗くように見た野島君の顔は、穏やかに笑っていて。

 でも、その目が『ね、お願い?』って言っているように見える。

「えぇー? アレってそんな終わり方だっけ?」

「続編、があるらしいねん。作者 別人やけど」

「野島君、よく知ってるわねぇ」

 ヨッコちゃんが、半分呆れたような声を出す。

「うちの姉貴が、続編読んで怒り狂とった」

 怒るんやったら、読まんかったらええのにな。

 そんなことを言いながら、ビールに口をつける野島君。  

「えっちゃんは、読んだことある?」

「あ、はい」 

 確か、中学生の頃。学校の図書室に置いてあった。


「そうねぇ。確かに、顔立ちとギャップもあるしねぇ」

 坂口さんが、グラスを片手にマジマジと私の顔を覗き込む。お酒のせいか、顔が燃えるみたいに熱くなる。

 引き目鉤鼻、って平安絵巻みたいな私の顔は、確かに欧米の顔立ちから程遠い。

「色白やから、えっちゃんのほうが『ユキちゃん』やな」

「さっきから、おまえずっと『えっちゃん』って呼んでるな」 

 前からの知り合いかって、広尾君。

「いーや。さっき初めて会うたけど。皆が来るまでに、交流を温めてん。早いもん勝ちー」

 野島君はそう答えて、取り箸を手にイカの炒め物を取り分ける。


「えっちゃんも、要る?」

「あ……はい」

「俺にも、入れてくれ」

 横から大山さんがとり皿を出してくる。

 先に、大山さんの分を入れた野島君が、私の前に手を出してくる。

「ほら、えっちゃん。お皿ちょうだい?」

「あの、他の人は……」

「みな、勝手に食べとうやん。えっちゃん、食べてへんやろ?」

 いえ、それなりに食べてるけれど。

 野島君の勢いに押されるように、お皿を渡す。

「ユキちゃんが、当たり前みたいに呼んでるから。灰島さんは『えっちゃん』に決定ね」

 坂口さんのその一言で、私は『えっちゃん』と皆から呼ばれるようになった。 

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