私のたった1つの目的
今年の作物はよくできた。
丹精込めて育てた野菜たちはどれもみずみずしくて、収穫途中ではあったが我慢できずに1つかじる。
レディとしてはしたない行為だけど、ここには私を咎める人なんていないし、野菜は採れたてが一番美味しいのだ。
口の中に広がる爽やかな甘味をうっとりと堪能していると、ねぇ、と涼やかな声が聞こえた。
突然のことに振り返れば、そこには声と見事にマッチした爽やかイケメンが立っていた。
「そんなにその野菜美味しいの?」
私の噛じりかけの作物を指してそう言った彼に同じ物(もちろん私の噛じりかけじゃないもの)を籠から渡す。
渡されたそれと私をしばらく交互に見ていた彼はやがてゆっくりとそれを食べた。
動く口元をじっと見つめていたら唇が小さく弧を描いて、内心で小さく拳を握る。
「本当に美味しいんだね。あぁ俺はアル。こっちに仕事できたんだけど、道に迷っちゃって」
人好きのする笑みを浮かべて彼が手を差し出した。
確かにこの辺りは地元民でもたまに迷うくらい道が入り組んでいる。迷うのも仕方がないというものだ。
差し出された手は華麗にスルーしてどこに行きたいのか尋ねれば、ここの領主様の家だと言う。
それならばこの森を抜けて東に5キロほど行ったところだ。日が影ってきた今からでは森を抜ける前に夜を迎えてしまう。
ありのままに伝えると彼は眉根を寄せて困ったな、と呟いた。
その瞳は私がなんとかしてくれることを多分に期待していて、では今夜は我が家にお泊りくださいと言うしかなかった。
今思い返せば、いや思い返さなくても、どこの誰ともしれない男を我が家に招き入れたのが私の人生最大の過ち。
「そんなに難しい顔をしてどうしたんだい?」
アル、正確にはアルジャス・フォンドールはソファに座る私の肩を抱き、自分の方に引き寄せる。
彼を泊めたその夜に無理やり手篭めにされてしまった私は、次の日やってきた彼の護衛の方々に城まで拉致された。
どうやら国家の第三王子という身分を隠してお忍びにきていた彼に気に入られてしまったようで、細々と自給自足の生活を送っていた一般人だったはずなのに一夜にして豪華絢爛な部屋でお姫様のような生活を強いられた。
その後彼に恋するお嬢様たちからの陰湿な嫌がらせに遭ったり、第一王子との確執に巻き込まれたりとわずか3年の間に様々なことが起きた。
もしも彼が王位継承権を放棄してお母上の生家を継がなければ私は今頃城内で誰かに殺されていただろう。
「そんな顔をしていてはお腹の子どもが心配するだろう?」
彼が貴族になってすぐ、私のお腹の中には小さな命が宿っていることがわかった。
それを彼に伝えた時の喜びようは尋常ではなくて、今はまだペッタンコなお腹をことあるごとに撫でてくる。
「もし君やお腹の子に何かあったら俺は死んでしまうんだから」
「では死んでください」
穏やかな熱情を含んだ瞳が、甘やかに弧を描いていた唇が、そのままの形で固まる。
それと同時に胸のあたりが苦しくなって咳が出る。
口に当てていた手にはべっとりと血がついていて、それを見てようやく彼が我に返る。
「なっ、ど、どうしたんだ!?」
「どうしたもこうしたも自ら毒薬を飲んだのです」
頭が痛くなってきて、目の前が歪む。
いつもは冷静な彼がこれほど取り乱しているのを見るのは始めてで、苦しいのに自然と口元が緩んでしまう。
「私はあの日貴方に襲われたときからずっと貴方に復讐する機会を伺っていました。それを今日実行したまでです」
貴方が来なければ私は今も自分の畑で野菜を作っていられたのだ。質素な生活だったけれど十分満足していた。それを何もかもこいつが私から奪った。
「この3年間貴方に徐々に心惹かれていく自分を演じるのに苦労しました。でも、おかげで今貴方はこんなにも苦しそう」
驚愕、悲しみ、怒り、様々な感情が入り乱れている彼の頬にそっと手を当てる。
あぁでもそろそろ体に力が入らなくなってきた。
自分の腕が力なく床に落ち、彼の頬に血のあとを残す。
「自分の無力さを呪って、生き続けてくださいね」
絶望に満ちた彼の顔に、やっと身に渦巻く怒りが鎮まるのを感じながら静かに目を閉じた。
「悪趣味な奴」
目を開けるとそこには顔なじみがいて、久しぶり、と返した。
「今回は長かったんだな。19年?」
「19年と35日」
間髪いれずに返すと、小さなため息が彼から漏れる。
「もうさ、そうやって自分を犠牲に他人を陥れるのやめろよ」
「自分の思い通りに動くと信じてる奴らが嫌いなの、知ってるでしょ?レイプしといて好きになってもらおうとか意味がわからない。私も同じ人間だってこと理解してないのよね。だから自分の都合のいいようになるって思ってるし、それが当然だと信じて疑わない。そんな奴らに報復する機会をくれた貴方には感謝してる」
形ばかりのお礼を述べると、彼はそんな私の心など見透かしたように自嘲気味に笑った。
「俺へのあてつけでやってるくせによく言うよ」
「あてつけじゃなくて復讐ね。そこんとこ間違えないで」
普通にOLやってた私はある日目の前にいる神様によって異世界に召喚された。
正確には魔王討伐を目論むどっかの国の王族に呼び出されたんだけど、この男は面白そうだという理由でその召喚に手をかした。
それによって本来なら失敗していたはずの召喚が成功しちゃって、私が呼び出されたのだ。
いきなり勇者様!と祭り上げられ、あれよあれよという間に魔王討伐の旅へ。
もちろんただのOLが戦えるわけなかったけど、死にたくない一心で神様からもらった聖剣を振り回して一心不乱に魔物を殺していった。
自分の手で命を殺めることに対する抵抗はすぐになくなって、私はめきめきと強くなり、なんとか魔王を殺すことができた。
国に帰還した時にはすでに私の心は壊れていて、神様が現れてお前を元の世界に返してやる、と言われても全然嬉しくなかった。
「それよりも私は貴方に叶えて欲しい願いが3つあります」
「何でもいいぞ、言ってみろ」
私は前世の記憶を持ったまま何度でも生まれ変われること。
死ぬたびに天界へと1度帰ってくること。
神様は一生私の人生を見ていなければならないこと。
彼は神様の加護を受けて人生を送りたいんだ、と都合よく解釈してくれたようで、快くそれらの願いを叶えてくれた。
本当に馬鹿だ。自分の都合で振り回したくせに悪いとさえ思っていない。
おかげで私は彼にずっと復讐することができるけれど。
「じゃあまた次の人生に行ってきます」
「次は100歳ぐらいまで生きろよ」
そんなことは無理だとわかっているくせに、神様は毎回私を送り出すときにそう言う。
「私を振り回す人がいなかったらね」
かわいそうだからあと100回くらい生まれ変わったら許してあげるつもりだ。