紅い瞳
緋乃から聞かされた話は、まるでお伽噺だった。そもそも、小夜はあまり非科学的な事は信じない性質だったので、どうにも彼女の話が受け入れられないでいた。
「まず、この世界には人ならざる者が存在する。それが鬼の血を引く夜叉族だ。彼等は、人間より優れた体と力を持っていて人間と対立関係にあった」
「はぁ…………」
「しかし、ある時彼等と対等に渡り合える力を持つ者達が現れた。そして、長きに渡る争いが始まった。ここまでは理解出来るかい?」
「信じがたいですけど」
「あぁ、お嬢は非科学的な事は信じない性質なんすよ。幽霊とかUFOとか」
「だって、生まれてこのかたそんなもの見たことないもの。私は、自分が見たものしか信じないだけよ」
保に茶化された小夜は、頬を膨らませる。その顔を見て緋乃は苦笑した。
「そりゃ、信じろというのが難しいさ。実際に見ないことにはね。まぁ、それは追々見ることになるだろう。で、話の続きだが。実際、夜叉族は時代時代の節目の出来事に手を出してきている。そのせいで、いらぬ混乱も多々起きた。第二次大戦以降は、表だって世を混乱させることはしなくなったがね」
「じゃあ、今現在は、争いはないんですか?」
「いや、小さいものはいくつかね。命を取り合う規模のものはない。夜叉族も我々人間と同じように生きているからね」
「へー、じゃあもしかしたらそこら辺にいるかもしれませんね」
「あぁ、目の前に」
「え?」
その言葉に小夜は思わず固まる。今、目の前にいるのは緋乃だ。
(ということは、彼女は鬼?)
そんな小夜の心を見透かしたのか緋乃は、ニヤリと笑う。そして、軽く瞼を閉じた後、再びゆっくりと開く。すると、先ほどまで自分と同じ茶色の瞳だったのが紅い瞳に変っていた。
「紅い瞳…………」
「そうだ、夜叉族は全て瞳は紅だ。何だ、恐ろしいか?」
自分の瞳を見詰めたまま言葉を発しない小夜に緋乃は問いかけた。すると、小夜は首を大きく2、3度振る。
「きれい」
「この瞳がか?」
「はい」
うっとりと自分を見つめる小夜に緋乃は、思わず噴き出す。
「あははははっ! 初めてだよ、こんな反応をする子は」
「なっ、きれいなものをきれいと言って何が悪いんですか!!」
緋乃の反応に気分悪くした小夜は、プイっと顔を反らす。すると、緋乃は笑った。心底嬉しそうな笑顔で。
「悪かった。ありがとう、嬉しいよ」
「…………別にいいですけど」
「実は夜叉族には二つの派閥がある。一つは昔と同じように人間の世を牛耳ろうとする一派。そして、それと反対に人間と共存を掲げる一派だ。私はその共存派に属している」
「それでその話がどうして私に関わってくるんですか?」
緋乃の話は、真実だろう。実際に紅い瞳を見たからにはそう信じざるをえない。しかし、だからと言って何故自分何かに関わってくるのか不思議でならない。自分は、普通の人間だし、世間一般に言われているような霊能力とかとは無縁だ。
「あんたにとっては大事なことだ。自分の体の弱さを不思議に思ったことはないかい?」
緋乃に問われ、改めて自分の体について考えてみる。確かに生まれた時から、自分の体は弱い。原因不明の熱にこれまた原因不明の発作。しいて言えば発作は、不整脈のものと似ている。運よく薬が効いたのでいつもはそれを使っている。
「確かに不思議です。医療が発達した時代で原因不明と処方される症状が多すぎかなと」
「私と雅也の見立てでは、力の循環の悪さだね」
「力の循環?」
「あんたは、その体に大きな霊力を秘めている。本来なら一定の割合でそれを外に出すべきなんだが、何故だかそれが出来ていない。つまり、体内に貯まる一方なのさ。そして、貯め込んだ力が原因で発作を起こしているんだ」
「はぁ…………」
突然の展開に頭がついていかない。
(自分に大きな霊力? それが循環出来てない? 何なのよ、それ)
「その原因の一端を担っているのが保の兄貴だ」
「龍が?」
「あぁ、龍と保の兄弟は夜叉の血を引いてるからね。元々、あんたの親父さんは、夜叉族の共存派と懇意にしていた。そんなある日、龍達兄弟の親が亡くなった。彼らは結婚と同時に夜叉族と距離を置いていたから引き取り先でもめた。そこで、共存派のお偉いさんから頼まれたあんたの親父さんが家に引き取ったんだ」
「そうなの?」
初めて聞く話に小夜は、目を丸くする。そして、真実かどうか確かめるべく保に視線を送る。すると、保はがしがしと自分の頭をかきながら苦笑した。
「緋乃さんの言う通りっす。…………嫌ですか?」
「何が?」
「何がって…………。人間以外の血を引いてるなんて気味悪くないっすか?」
「保は、保じゃない。別に何か変わるの?」
「いいえ、変わりません。今までと同じようにお嬢に飯を食わせるだけです」
そう言うと保は、にんまりと笑った。その顔に小夜はたじろぐ。
「だから、龍達は力を持っていた。そしてある日、あんたが生まれた。多分、これは憶測なんだが、生まれたばかりのあんたはかなりの力の持ち主だった。そのせいかよくないものが寄ってくる。だから、屋敷に結界を張った。おかげであんたに危害を加えられるようなことはなかった」
「はい。兄貴が定期的に張り直していましたし、屋敷の外に出る時は俺か兄貴が側にいました」
「それがいけなかったんだ。そもそもその辺にうろついてる奴らならこの子に近づいただけで消えちまうよ。それ以上の奴らでもお前達が側にいると分かっている時点で近づきゃしないのに。そんな事をするからこの子は、力を外に出すことが出来なかったんだ」
「つまり、過保護にされすぎた結果?」
「まぁ、赤ん坊だったし。それ以上に龍達にとっちゃ、あんたの存在はあの家にいる意味をくれた。だから、全力で守ると決めた。その結果だ、誰が悪いってものじゃないさ」
緋乃は軽く肩をすくめるとテーブルに出された自分の分の朝食に手を出し始めた。それを計ったかのように自分の目の前に皿を出してきた保を見た小夜は、諦めて自分の分に手を付け始める。
「事情は、何となく分かりましたけど。それで、何故私はここで暮らすことになるんですか?」
「あんたの力の質のせいかな」
「質ですか?」
「普通なら、自らの力を行使して結界を張ったり、悪さをしてくる奴に攻撃出来たりが可能なんだ。しかし、あんたの力は特殊でね。出来る事といったら、他人に力を分け与えてその人間の能力を向上させたり、集まってくる悪霊を無意識に浄化することのみ」
「つまり、お札とかパワーストーンとかそんな感じですか?」
「そうだ。だからこそ、体内で循環がうまくいかないという事態が起きるわけだ。だから、あんたはこのままここに残ってこの会社の社員として働いてもらう。その代わりに私たちが責任もって預かるということになったんだ。それに、家出中の方が体に負担はかかっていなかっただろう?」
「…………確かに」
「ただ、一人で住まわせると性質の悪いのが寄ってくることになる。だが、この寮に入れば安全だ。私や雅、それに保もいるしね」
「なるほど。…………でも、よく家族が許しましたね。特にあの2人が」
小夜は、故郷の父と兄を思い出す。あの極度の過保護者達がよく許したと思う。本来なら、兄の無実が証明された時点でもっと騒ぎになっていたはずだ。
「あぁ、それは雅が説得した。あんたの家族とは面識があるし、体についても説明したらしょうがないってさ。ただ、一度荷物を取りに帰ってこいとさ」
「え…………、嫌だな。それは…………」
「駄目ですよ、お嬢。ケジメはきちんとつけませんと」
「じゃあ、保も一緒に来なさいよ。そういう自分だってケジメつけないと」
「そんな、一度家を出た男がそんな真似出来るわけ…………」
「保。あんたも行くんだよ。きちんと兄貴と話をつけてきな」
「…………………うっす」
緋乃の言葉に保は、うなだれた。その隣で小夜も溜息をつく。まぁ、こっちで働けることが決まっているなら軟禁されることだけはないから、まだましか。
翌日、小夜と保は嫌々ながらも故郷へと帰って行った。
それを見送った緋乃は、事務所で書類を決裁しながらつい思い出し笑いをしてしまう。あの車に乗り込む前の二人の顔といったら。
小夜は、腹をくくったのか多少不機嫌そうな顔をするぐらいだったが、それよりもひどかったのが保だ。あの強面の顔を真っ青にし、虚ろな目をしていた。そして、隠してはいたようだが若干震えていたような気がする。
「くくくくくっ、いい物を見た」
「何を笑っているの? 傍から見たら不気味なんだけど…………」
「おやおや、江崎のお嬢さんじゃないか。こんな処に何の用だい?」
いつの間にか部屋に入ってきた若い女性を見て緋乃は、皮肉気に笑う。そんな彼女の態度に慣れているのか、その女性は軽く肩をすくめる。
「この間の報告書を頂きにきただけです。ここに来たがるのは、鬼克の中では私くらいですからね」
「まぁ、そうだろうね。それにしてもよくあの坊ちゃんが許したね」
「あの方は、夜叉だろうと鬼克だろうと共に生きていくと決めている者を差別したりしませんよ」
「違う、違う。あっちの坊ちゃんさ。あの神経質そうな方の」
「それは、彼の前では言わないほうが…………」
「まぁ、上の人間がああだと忠誠を誓う側が神経質になるのは仕方ないさ。ほら、これが報告書だ」
緋乃が書類を渡すとその場で女性は中身を確認し始めた。そして、全てに目を通すと「確かに」と言い鞄へとそれを収める。
「そう言えば、ここ掃除でもしたんですか? 随分ときれいになっているみたいですけど?」
女性は、何かを確認するように部屋を見渡す。部屋自体は、いつも通り雑然とした感じがする室内のまま。しかし、中の空気が違っていた。このビルに一歩入った瞬間、清涼な空気を感じたのだ。
「あぁ。新入りが入ったからね。うちの一族とも取引がある家のお嬢さんをね」
「めずらしいですね。貴女方が普通の人間を側に置くなんて」
「普通ではない。かなりの霊力の持ち主だな。彼女の力は、空気清浄機みたいなものだから、ここも前よりは来やすくなるぞ。だから、別に江崎のお嬢さんがわざわざ書類を取りに来る必要もなくなってくる」
「そうですか、それは助かります。いくら学生とは言え、私も暇ではありませんから。では、失礼します」
話を聞いて納得したのか、女性はそのまま部屋の出口へと向かう。その背に向かって緋乃は、問いかけた。
「まだ、会う気にはならないのかい?」
「………………」
しかし、彼女はそれに答えることはせず、そのまま去って行った。その反応に緋乃は、大きな溜息をついた。




