助手の手
蓋を開ける。
音はしない。
閉じて、棚に戻す。
「おはようございます。リーネさん、今日は自分で最後までやりたいんですけど」
トウヤが作業台の前に立っていた。手にはダグから預かった廃棄品の一つ——方位盤を持っている。
「好きにしろ」
方位盤は手のひらほどの円盤で、中央に針が立つはずの軸受けがある。だが針が根元から折れていて、軸受けに短い金属片だけが残っている。台座の目盛りと軸受けの機構は無事に見えた。
トウヤが方位盤を作業台に置いて、しげしげと見つめた。
「針が折れてるだけだから、新しい針を作ればいいですよね」
私は作業台の反対側で別の修理をしながら、黙って見ていた。
トウヤが工具箱から金属の端材を取り出した。細い棒状の端材を選んで、ヤスリで削り始める。方位盤の軸受けに合う太さまで細くして、先端を尖らせた。
手先は器用だった。削り方に迷いがない。
針を軸受けに差した。
方位盤を水平に保つ。
針が動かない。
トウヤが方位盤を傾けてみた。針は重力に従って傾くだけで、方角を指さない。
「……なんで。形は合ってるのに」
私は手を止めなかった。
「リーネさん」
「自分で最後までやるんだろう」
トウヤが針を抜いて、もう一度端材を確認した。表面を指でなぞっている。考えている顔だ。
「素材……ですか」
「続けろ」
「この針、磁気を帯びてないってことですか。元の針は特殊な素材で、磁気に反応してたけど、普通の金属じゃ——」
「そうだ。方位盤の針は特殊な磁性を持つ素材で作られている。今の技術では再現できない。形だけ真似ても動かない」
トウヤが肩を落とした。
「じゃあ、直せないんですか」
「直せないとは言っていない」
私は工房の棚を見た。ダグが持ってきた廃棄品の中に、先月から手をつけていないものがある。時計のような装置で、文字盤は生きているが針が欠損している。
「あの時計、針だけ残ってなかったか」
トウヤが棚から装置を取り出した。外装を開けて、中を覗く。文字盤と駆動機構の間に、細い針が一本、外れて転がっていた。
「ありました。でもこれ、時計の針ですよ」
「方位盤の針と並べてみろ」
トウヤが折れた方位盤の針の断面と、時計の針を並べた。
指で両方を触った。
「……あ」
「何がわかった」
「同じ手触りです。表面の粒子の感じが同じ。これ、同じ素材じゃないですか」
「……そう」
トウヤが時計の針を方位盤の軸受けに差した。長さが少し違うから、根元を調整する必要があった。ヤスリで軸受けに合う太さまで削る。
差し込んだ。方位盤を水平に持つ。
針がゆっくり動いた。
揺れて、揺れて——北を指して、止まった。
「動いた!」
トウヤの声が工房に響いた。
「壊れたもの同士で……前にもやりましたよね、暖房器と換気扇の」
「合わせれば動くことがある。でも今回のポイントはそこじゃない」
「え?」
「直す前に、素材を読め。合うかどうかは、触ればわかる。形を合わせる前に、素材が合うか確かめろ。さっきお前がやったように」
トウヤが方位盤の針と、最初に自分で作った金属の針を並べた。触り比べている。
「全然違う。こっちはざらざらで、方位盤のはつるつるしてて冷たい」
「素材が読めれば、何と何が合わせられるかがわかる。形は後からどうにでもなる。素材は誤魔化しが利かない」
トウヤがノートに書き込んでいた。「素材を読む。触って確かめる」。
残った時計の文字盤を見た。針はなくなったが、文字盤の目盛りは精密だ。定規のように使える。
工房の工具掛けに吊るした。細かい寸法を測る時に重宝するだろう。
「時計としては壊れてますけど、定規としてはまだ使えるんですね」
「道具は、使い方を決める人間次第だ」
トウヤがまたノートに何か書き込んでいる。
覗かなかった。




