水底の灯台
蓋を開ける。
音はしない。
閉じて、棚に戻す。
トウヤが作業台の上にノートを広げている。工房に入った遺物の目録を作り始めたらしい。品名、入荷元、状態、修理日、修理内容。几帳面な字で整然と並んでいる。
私にはできない仕事だった。直すことに集中すると、記録まで手が回らない。
「リーネさん、今日ダグさんから廃棄品あるって聞いてます」
「ああ」
午前中にダグが寄った。今週は廃棄品ではなく、別の持ち込みがあった。
「港湾管理局の役人が来る。引き揚げものを見てほしいそうだ」
昼前に、役人が来た。堅い服を着た中年の男で、表情が硬かった。
「デルガの地下水路の定期点検で見つけたものなんだが」
両腕で抱えた包みを作業台に置いた。布を外すと、重い金属の塊が現れた。
円筒形の装置。大人の頭くらいの大きさで、表面全体が白い結晶に覆われている。まるで岩に貝殻が張り付いたような見た目だった。
「水路の壁に嵌まっていた。近づいたら薄く光っていたんだが、引き揚げたら消えた。危険物かどうか判断がつかない」
赤札が結んであった。「発光遺物。危険性不明。廃棄」。
私は装置を両手で持ち上げた。重い。結晶が分厚い。
結晶の表面を指でなぞった。硬いが、ざらつきがある。水中で長年かけて堆積した層だ。
結晶の一部を小刀で削り取った。白い粉末が手のひらに落ちる。
匂いを嗅いだ。無臭ではない。かすかに金属的な匂いがする。
舌の先に少量載せた。
「リーネさん、舐めて大丈夫なんですか」
「量が微量なら問題ない。……魔素を含んでいる。この結晶は、魔素が水中の鉱物と反応してできたものだ」
結晶層を削って外装を露出させた。その下に、照明装置の構造が見えた。発光部のレンズ、反射板、内部に回路。
回路を調べた。指で端子を一つずつ確認する。
「断線が三箇所。発光部への給電経路が途切れている。照明としてはもう動かない」
役人の顔が曇った。
「やはり使えないか」
「照明としては、はい」
私は結晶層に意識を戻した。削り取った粉末をもう少し集め、小さな器に水を入れて溶いた。白い懸濁液ができる。
工具箱の隅にあった鉄の端材を取り出して、液に浸した。
「トウヤ、これを窓際に置いて。明日の朝、見てみろ」
「はい。何がわかるんですか」
「明日わかる」
翌朝。
棚の箱を開けた。音はしない。閉じた。
窓際に置いた鉄の端材を取り出した。通常、一晩窓際に置けば朝露で鉄の表面に薄い錆が浮く。
端材の表面を指でなぞった。滑らかだった。
「錆がない」
トウヤが覗き込んだ。
「本当だ。全然錆びてない」
「この結晶は魔素を微量に放出し続けている。発光するほどの力はもうないが、金属表面の酸化を抑制する——防錆効果がある」
結晶層を丁寧に剥がす作業を始めた。小刀と針で、装置本体を傷つけないように少しずつ剥がしていく。剥がした結晶を乳鉢で粉末にする。
トウヤが横で粉末を小袋に詰めていった。
午後、役人を呼び戻した。
「照明は直せません。でも、この結晶の粉末は使えます。水に溶いて金属に塗れば、防錆塗料になる。港の鉄鎖、船の金具、水路の柵——海水に晒される金属を守れます」
役人がまじまじと粉末を見た。
「光らせるんじゃなくて、この白い粉のほうが使えるのか」
「この遺物は長く水の中にいました。その間に、本体が放出し続けた魔素が周囲の鉱物と結びついて、この結晶ができた。照明は死んでいますが、結晶のほうは生きています」
赤札をほどいた。
「危険物じゃありません。港を守れる素材です」
役人は粉末の小袋を受け取って帰った。後日、港湾管理局から正式な注文が来た。水路に同様の装置がまだあるかもしれないから、見つかったら結晶だけでも回収してほしいと。
夕方、工房を片付けながら、トウヤが言った。
「本体は死んでも、身体が覚えていたもの、か。いい言葉ですね、リーネさん」
「別に。見たことをそのまま言っただけだ」
棚の箱を見た。
あの箱も、長い間何かを覚えているのだろうか。動かない歯車の中に、まだ何かが残っているのだろうか。
開けなかった。朝に開けている。一日に二度も確認する必要はない。
でも、少しだけ手が伸びた。




