鑑定士の匙
蓋を開ける。
音はしない。
閉じて、棚に戻す。
トウヤが来て二週間になる。最初の数日は工具の名前も場所もわからず、ただ見ているだけだった。今は違う。
振り返ると、もう作業台に座っていた。手元にノートを広げて、昨日修理した遺物の記録を書いている。品名、壊れ方、修理内容、使った部品。私が指示したわけではないのに、勝手に始めたことだ。
小さな字だが几帳面に整っていて、内容は正確だった。
「おはようございます、リーネさん」
「ああ」
午前中、ダグの廃棄品を一つ片付けた。温度計の類で、感応部の接点が汚れていただけだった。清掃して赤札をほどく。トウヤに手渡すと、ノートに記録を書き込んでいた。
昼過ぎ、ダグが来た。今日は廃棄品ではなく、包みを一つ持っている。
「デルガの鑑定士から預かりものだ」
油紙に包まれた小さな物体と、封書が一通。
封書を開けた。短い手紙だった。
「こちらの物件、真作と確認済み。しかし機能が特定できず、処分に困っている。心当たりがあれば見てほしい。なければそのまま返送してくれ——面倒だが、頼む。ノル」
面倒だが、頼む。鑑定士らしい書き方だった。この鑑定士のことは名前だけ知っている。デルガの朝市で遺物鑑定をやっていて、面倒くさがりだが目利きは確かだと聞いた。
油紙を開いた。
手のひらに収まるくらいの、金属の器具。外装は傷ひとつない。銀色の表面に、旧時代特有の精密な仕上げが施されている。触ると、冷たくて滑らかだった。
新品のようにきれいだ。壊れた様子がない。
「リーネさん、きれいですね。壊れてるんですか」
「傷がない。壊れたんじゃない。止まったんだ」
外装の合わせ目を探す。指でなぞると、側面に細い溝がある。専用の工具が要る。工具箱から先の細い開器を取り出し、溝に差し込んで回した。
かちりと蓋が外れた。
内部が見えた。
小さな歯車が並んでいる。六つ。精密に配置されているが、全て動いていない。歯車の表面に、薄い赤茶色の錆が浮いている。さらに、歯車の軸受けに黒ずんだ粘液状の腐食が溜まっていた。
「この黒いのは……」
「魔素腐食だ。空気中の魔素が金属と反応してできる。経年で溜まる。こういう精密機械は、定期的に清掃しないと固着する」
工具を取り出す。細い針と、研磨用の粉末。まず魔素腐食を一箇所ずつ除去する。針の先で黒い塊をこそぐ。金属の地肌が出てくる。
匂いを嗅いだ。甘い酸化臭。魔素腐食特有の匂いだ。長い年月、誰にも手入れされずにいたことがわかる。
錆を研磨する。粉末を指先に取り、歯車の表面に載せて、布で磨く。赤茶色が銀色に変わっていく。一つ目の歯車。二つ目。三つ目。
軸受けに油を差す。
四つ目の歯車を磨いた時、軽い手応えがあった。歯車がわずかに動いた。
「動いた……」
トウヤが身を乗り出した。
「まだだ。全部ほぐさないと噛み合わない」
五つ目、六つ目。全ての歯車の錆と腐食を除去し、油を差し終えた。
蓋を閉じないまま、器具を軽く揺すった。
かちかちかちかち。
歯車が連動して回り始めた。小さな金属音が工房に響く。
器具の上面に変化が起きた。表面の一部がスライドして開き、中から細い棒が起き上がる。棒の先端に小さな皿がついている。
反対側からも同じ構造が現れた。
天秤だった。
さらに、天秤の支柱の根元に、極めて細かい目盛りが刻まれた円盤が見えた。
「これは……秤だ」
私は器具を両手で持ち上げた。
「魔石の純度を量る精密秤。天秤の動きと目盛りの組み合わせで、現行の秤より遥かに細かい純度差を測定できる。こんな精度のものは見たことがない」
「すごいですね、リーネさん。声、でかくなってます」
「……うるさい」
天秤を水平に保つ調整をして、蓋を戻した。外装の溝に固定具を嵌め直す。
手紙を書いた。「機能特定。旧時代の魔石純度測定用精密秤。固着の原因は経年の魔素腐食。清掃・研磨・注油で復旧。全機構正常動作を確認。——リーネ」
短く書いた。鑑定士には、これで十分わかるだろう。
ダグに器具と手紙を託した。
数日後、ダグが封書を持ってきた。ノルからの返信だった。
「使えた。魔石の等級判定が格段にやりやすくなった。助かった。また何か困ったら頼む。面倒だが。——ノル」
手紙を読んで、少し口の端が上がった気がする。
「あの鑑定士さん、また何か送ってきますかね」
「面倒くさがりだから、本当に困った時だけだろう」
「でも、困ったらちゃんと頼みに来るんですね」
「……そういう人間もいる」
トウヤがノートに記録を書いていた。品名の欄に「精密秤」と書いてある。
鑑定士の名前をつけるな、と言おうとして、やめた。わかりやすいならそれでいい。
帰り際、食堂で魚の煮つけを食べた。いつもと同じ味だった。橙色の魔石灯の下で食べると、少しだけ旨く感じる。




