証明したいだけ
蓋を開ける。
音はしない。
焼けた歯車に、目が留まった。いつもなら数秒で閉じる。今朝は閉じられなかった。
黒く変色した金属の表面を見つめている。何を探しているのか、自分でもわからない。
閉じた。棚に戻す。
作業台には紙が広がっている。昨夜から出しっぱなしの処分記録のページと、焼損パターンのリスト。壁には、トウヤと一緒にまとめた相関図が貼ってある。
品目、廃棄日時、焼損の位置、歯車の変形角度。線で結んで、矢印を引いて、空白を埋めていく。
椅子に座って、壁を見た。
「おはようございます」
「ああ」
トウヤが工房に入ってきた。鞄を作業台の端に置いて、壁の相関図を見上げた。
「昨日から増えてますね」
「夜に少し足した」
トウヤが図の端を指でなぞった。品名の一覧を読んでいる。
「これ、全部計測器具ですよね。秤、温度計、圧力計、水質検査器、純度測定器……。計れるものを片っ端から壊してる」
「そうだ」
私は棚を振り返った。検品器の箱。隣の焼損計測器具。工具箱の底にしまった処分記録のページ。三つの証拠。
「検品器もそうだ」
「え?」
「あの箱は遺物の内部状態を音で数値化する計測器具だった。蓋を開けて遺物に近づければ、内部構造の健全性を音の高低で示す。澄んだ音なら正常、濁れば異常。——壊せば、定量的な検品ができなくなる」
トウヤが壁の図から目を離して、棚の箱を見た。
「数字は嘘をつかない」
自分の声が、工房の中で硬く響いた。
「基準は文書で変えられる。検品員の判断は上からの指示で歪められる。でも計測器具が出す数字は、操作できない。だから——数字を出す道具を壊せば」
「誰も反論できなくなる」
トウヤが静かに言った。
「……そうだ」
壁の相関図を見た。品目と日付を結ぶ線の向こうに、まだ見えない構造がある。
「でもなぜだ。なぜ廃棄を増やす必要がある。計測器具を壊して、基準を変えて、検品の精度を落として——その先に何がある」
答えが出ない。線を引いても、矢印をつけても、最後の一点に辿り着かない。
トウヤが椅子を引いて座った。しばらく黙っていた。工房の外から、裏通りの荷車の音が聞こえた。
「リーネさん」
「なんだ」
「一つ聞いていいですか」
声の調子がいつもと違った。明るさが抜けている。静かで、まっすぐだった。
「その箱——直したいんですか。それとも、自分が正しかったって証明したいんですか」
手が止まった。
壁の相関図に向けていた目が、そのまま固まった。
「……何を」
「俺のじいさんの道具もそうだった」
トウヤは壁を見ていなかった。棚の箱を見ていた。
「直したかったのか、じいさんのことを忘れたくなかったのか、自分でもわかんなかった。ずっと木箱に入れて持ち歩いてたけど、直すための腕がなかった。だからリーネさんに頼んだ。——でも本当は、直してほしかっただけじゃなかった。じいさんがいたってことを、誰かにわかってほしかった」
言葉が喉に詰まった。何か返そうとして、返せなかった。
「リーネさんも同じに見えるんです」
トウヤの目がこちらを向いた。責めてはいない。怒ってもいない。ただ見ている。昨日、自分の過去を語った人間の目だった。
「箱を直したいんじゃなくて——ギルドに間違ってたって認めさせたいんじゃないですか」
工房が静かだった。荷車の音も、もう聞こえなかった。
壁の相関図が視界の端にある。品名の列、日付の列、矢印の束。あれを作ったのは何のためだ。壊された計測器具のパターンを読むためだ。——読んで、どうする。証拠を並べて、ギルドに突きつけて、「私は正しかった」と。
椅子から立った。
棚に向かった。
箱を手に取った。
蓋を開ける。
音はしない。
焼けた歯車を見た。その隣の五つの歯車を見た。共鳴室の曲面を見た。音を出さない精密機械の内側を、長い間、見つめていた。
「……両方だ」
声が出た。自分の声だとわかるのに、少し時間がかかった。
「直したい。証明もしたい」
箱を持つ手が、微かに震えていた。
「でも——証明したいだけなら、この工房はいらない」
トウヤが何も言わなかった。
「証明したいだけなら、壁に図を貼って、記録を集めて、ギルドに突きつければいい。修理なんかしなくていい。客の遺物を直す必要もない。赤札を剥がす必要もない。毎朝この蓋を開ける必要も——」
言葉が途切れた。自分で言って、自分で止まった。
蓋を開ける理由。
毎朝、棚から取り出して、蓋を開けて、音がしないのを確かめて、棚に戻す。あの動作は何のためにやっている。
「毎朝蓋を開けるのは、証明のためじゃない。直すためだ」
箱の蓋を閉じた。
工房が静かだった。壁の相関図は貼ったままだ。調べることをやめるつもりはない。計測器具を壊している人間がいる。それは事実だ。
でも、今この工房に立っている理由は、そこじゃない。
箱を棚に戻した。隣の焼損計測器具と、処分記録のページと並べて。証拠は証拠として、そこにある。でもこの棚で一番大事なのは、あの箱だ。直すために、ここにある。
「ありがとう、トウヤ」
トウヤが少し目を見開いた。それから、小さく頷いた。
「……はい」
壁の相関図を見上げた。品名の列、日付の列。明日もここに線を足すだろう。壊された遺物のパターンを追うだろう。
でもそれは、朝の検品の後だ。蓋を開けて、音がしないのを確かめて、棚に戻してから。
工房の窓から、裏通りの向こうに食堂の窓が見えた。橙色の灯り。最初に直した魔石灯。
あの灯りは、証明のために直したんじゃない。




