鑑定士の忠告
蓋を開ける。
音はしない。
焼けた歯車の隣の五つを、指先でそっと回した。どれもまだ滑らかだ。
閉じて、棚に戻す。
「おはようございます」
「ああ」
トウヤが工房に入ってきて、作業台の端に鞄を置いた。いつもの朝だ。だがトウヤの目が、棚のほうをちらりと見た。検品器の隣に並べた計測器具——同じ焼損パターンの証拠品。
「リーネさん」
「なんだ」
「ダグさん、大丈夫ですかね。記録ページの件」
第三倉庫から持ち出した処分記録のことだ。あのページは今、工房の工具箱の底にしまってある。
「ダグには言ってない」
「え?」
「あの人を巻き込みすぎるわけにはいかない。家族がいる」
トウヤが口を閉じた。何か言いたそうな顔をしていたが、飲み込んだらしい。
午前中は依頼がなかった。昨日の修理の仕上げ——温度計に転用した水質検査器の目盛り校正をトウヤに任せて、私は部品棚の整理をしていた。
昼過ぎに、ダグが来た。
荷車ではなかった。片手に布で包んだ小さな包みを抱えている。
「今日は廃棄品じゃない」
「見ればわかる」
「ノルからだ。手紙もついてる」
ダグが包みと封書を作業台に置いた。ノルの字だ。癖のある、右に傾いだ筆跡。封を切った。
『リーネへ
また面倒な品が来た。鑑定依頼で回ってきたが、例によって機能不明。装飾品にしては重い。何かの計測器具かもしれんが、俺の目では特定できなかった。面倒だが、あんたのほうが向いている。
あと、こちらの耳に入った話だが——デルガのギルドが、独立修理工房の営業に難色を示し始めているらしい。認可を持たない工房への圧力を強めるという噂がある。気をつけろ。
ノル』
手紙を折り畳んで、作業台の端に置いた。
トウヤが覗き込もうとしたので、黙って手紙を渡した。読ませたほうが早い。
「……独立修理工房への圧力って」
「後で考える。先にこっちだ」
布を解いた。
腕輪だった。
金属製の、幅二指ほどの輪。外側に繊細な蔓草模様が彫られていて、見た目は装飾品だ。留め具で手首に合わせて径を調整できる。
手に取った。
重い。
装飾品の重さではなかった。見た目の華奢さに対して、明らかに質量がある。中空ではない。内部に何かが詰まっている。
「きれいですね。アクセサリーですか?」
「重すぎる」
トウヤが手に取って、すぐに眉を上げた。「あ、確かに」
外側の彫刻を指でなぞった。蔓草模様の下に、微細な継ぎ目がある。装飾は外殻で、内側に別の構造体がある。
ルーペを取り出した。腕輪の内周を覗く。
汚れで表面が曇っている。布で磨いた。古い脂と埃が剥がれていく。
目盛りが現れた。
極小の、針で刻んだような目盛りだ。内周に沿ってぐるりと一周している。数字はない。ただ線だけが、精密に並んでいる。
「……目盛りだ」
「目盛り? 腕輪の内側に?」
ルーペをトウヤに渡した。トウヤが覗き込んで、息を呑んだ。
「すごい精度ですね。これ、旧時代の加工だ」
目盛りの間隔を読んだ。
等間隔ではなかった。
長い間隔、短い間隔、長い、長い、短い。不規則なリズムで刻まれている。だが不規則ではあっても、パターンがある。同じ配列が繰り返されている。
この間隔には見覚えがあった。ギルドの検品部門にいた頃、遺物の動力特性を調べるために記録した周期パターンの中に——
「脈拍だ」
「え?」
「この目盛りの間隔。安静時の脈拍のリズムに対応している。等間隔じゃないのは、脈が一定じゃないからだ。人間の脈は呼吸や体調で微妙に揺らぐ。この目盛りはその揺らぎを前提にして刻まれている」
トウヤの手首を取った。
「ちょっと貸せ」
「は、はい」
腕輪をトウヤの左手首に装着した。留め具を調整して、内周が肌に密着するようにする。
しばらく待った。
目盛りの一部が、微かに光り始めた。旧時代の感応素材だ。体温と脈動に反応して、対応する目盛りの位置が淡く発光する。
「あ——光ってる。ここ」
「脈を数えろ」
トウヤが右手で自分の左手首の脈を探った。
「いち、に、さん……」
脈の拍動に合わせて、光る目盛りの位置が移動していく。
「連動してる……。脈と目盛りが」
「これは時計じゃない。脈拍計だ」
腕輪を外して、作業台に置いた。
「体調の記録器具だ。脈の速さで今の状態がわかる。旧時代の医療技術だ」
「壊れてないんですね」
「壊れていない。用途が忘れられていただけだ」
トウヤが腕輪を持ち上げて、感心したように内周を覗き込んでいる。
ノルへの返信を書いた。
『ノルへ
相対時間計。脈拍を基準にした体調記録器具。装着者の手首に密着させると、脈動に感応して目盛りが発光する。壊れていない。
——それと、忠告ありがとう。気をつける。
リーネ』
包み直して、ダグに預けた。ダグは手紙の中身は聞かなかった。聞かない人だ。それが助かる。
ダグが帰り、トウヤも帰った。
一人になった工房で、ノルの手紙をもう一度読んだ。
『独立修理工房の営業に難色を示し始めているらしい』
ノルは「面倒だが」を口癖のように書く人間だ。だが忠告の部分には、その言葉がなかった。面倒がっている場合ではないと判断したということだ。
ギルドが動き始めている。
計測器具を壊し、検品基準を変え、廃棄を増やし——そしてその廃棄品を直す工房を潰しにかかろうとしている。
棚を見た。検品器。隣の焼損計測器具。第三倉庫の記録ページ。
この工房にある証拠が、向こうにとって都合が悪いのだろう。
灯りを落として、窓の外を見た。裏通りは暗い。食堂の窓だけが橙色に光っている。あの灯りは、私が最初に直した魔石灯だ。
あの灯りが消されるようなことがあってはならない。
明日からもまた、持ち込まれたものを直す。それが私の仕事だ。
ただ、ノルの言葉が頭から離れなかった。
気をつけろ、と書いた鑑定士の筆跡が、いつもより少しだけ強かった。




