#4 リンゴォ氏
最初は背筋を伸ばして挑んでいたが、徐々に肩の力を抜くべきだと分かってきた。リア様のお付きのメイドは、言ってしまえば楽な仕事だった。いや、考えて見てほしい。掃除をするのとお茶汲みをするのとどちらが簡単かなんて明瞭だろう。しかし、何故か周りのリア様のお付きのメイドは私に変わって欲しいと頼んだ。当然仕事が楽になるならと変わった。最初は、四、五人で交代制だった筈が、ほぼ専属になってしまうのは、喜ばしいことなのかどうかわからない。
「マリーは怖くないの?」
同じリア様のお付きのメイドにこう言われたことがある。
「リア様はお優しい方よ」
「でも、何を言っているかわからないじゃない。私はもうリア様のお言葉を聞くといっぱいいっぱいになってしまうわ」
「別にリア様の思惑と違うことをしてしまってもきっと笑ってくれるだけよ」
「でも、リア様はあの恐ろしい魔獣を簡単に倒してしまうんですってよ。実家のお父様は偉大だなんて言うけど、私は怖くて仕方がない」
「......」
それに対して違うとも言えず、何を言っていいかもわからない。
「これからもマリーに頼んでもいい?」
「ええ。もちろん」
私は内心喜んでいた。リア様と一緒に入れるし、仕事も楽だ。楽をしたいわけじゃないけど、冬場の水仕事は手が冷たくて好きじゃないのだ。まだ、秋に差し掛かったと言えど、水の冷たさは増すばかりだ。それに何よりもリア様は本当にお優しい。草木や鳥を愛で、穏やかな生活をしているリア様は、廊下に飾られる絵画のように美しい。
この時私はただ不思議に思っていた。だってリア様が怖いなんて思わなかったから。
一方、リア様のその姿は貴族らしくないと言われていた。お気に入りの安楽椅子で植物の様な生活を送っていて、いつも穏やかだ。戦っているのを見たのもこの前の一回だけ。イスカ様の様に王子らしき態度を見せない。私としてはそっちのほうがいいと思っていたけど、兵士だか、騎士だかはリア様が下の身分の人と同じような態度を取ることに文句を言っていた。何でも貴族としての立ち振舞がなっていないそう。私にはよくわからないことも多い。
「#><##」
此方に座ったらどう? と言わんばかりに席を引いて座らせようとしてきた
「いえ、それは恐れ多いです!」
午後のお茶の時間にお茶とスコーンを持ってきた時だった。あの時の兵士達の気持ちが少しわかってしまった。目の前で座っている所を誰かに見られでもしたら、きっとあらぬ疑いを向けられかねない。丁重に断るにはどうすれば良いというのか?
「##゜##」
気にしないでもいいのにと言わんばかりだが、そう言う訳にはいかない。
確かにリア様の部屋に入るものは僅かではあるが、見られでもしてチクられたらどうしようもない。しかし、リア様は少ししつこい所があるのでどう断ったものかと思っていると突如として戸が開いた。
「リア子爵。ちょっといいか」
部屋に入ってきたのは、リンゴォ氏だった。
「君はまたメイドを困らせているのか?」
「#><%$」
そんなことはないみたいなこと言っていますけど、困っていましたよ。私は。
「リンゴォ様はお茶は如何されますか?」
「いや、私はいい」
リンゴォ様は壮年の男性で南の国から来た方です。巻き毛の栗色の短髪が印象的で、精悍な顔つきをしています。ただ、目が生き生きとしているせいか年齢よりは少し若く見えます。昔は官僚として勤めていて、それを辞めて言葉の学者様になったそう。リア様の喋る精霊語を研究する為に、客人としてこの館におり。この方こそ、数少ないリア様と喋る人の一人でした。
「どうぞ」
そう言って先程までリア様が私を座らせようとしていた椅子に座って貰おうと椅子を引いた。そこにドカッと座るとリンゴォ氏は喋りだした。
「それじゃあ始めようか」
そう言ってメモ帳とペン、そしていくつかのガラクタをポケットから取り出した。
「まずこれは何か言ってみろ」
そう言って取り出したのは、丸い積み木だった。
「#」
「次はこれ」
次は四角い積み木。
「#」
「次はこれだ」
次は三角柱の積み木。
「#」
「ありがとう。最後に聞くが、ふざけては居ないんだよな?」
「#」
同じにしか聞こえない返答を受けて、リンゴォ氏は手を振り上げたのを見ると、私は目を逸らした。大きな物音が聴こえないので、恐る恐る見ると至って真面目そうなリア様を見て途中で辞めたようだった。
「##¥#」
リア様は心配しなくても彼は大人だよと言っているようだった。
「私には、君が何を言っているか全くわからないよ。東、西、南、北の国全てのアクセントの違いに加え四か国語を喋れるのに、君の言っていることは全くわからない。まるで君が喋っているのは言語じゃないみたいだ」
はぁとため息をつきます。
リンゴォ氏は本来は自信がある方だったそうです。ただ、リア様と会い、研究を重ねても現状何の進展もなく、落ち込んでいるとディジーが言っていた。
「君と会うと僕が無能ということを思い知らされる」
目の前でリンゴォ氏があまりにも落ち込むので、お茶を差し出しました。
「いや、いらな…」
「お茶会でお茶を飲まないのは不作法ですよ」
そんなことはありませんが、一息ついたほうがいいのは確かです。
「では、貰おう」
リンゴォ氏は別に怒りっぽかったりするわけではありません。ただ、人間息詰まると怒りっぽくなってしまうものなのです。だからメイドが不躾なことを言ったとしても、怒ったりはしませんでした。
「甘っ!」
「やっぱりそうでしたか」
「やっぱりってなんだ! やっぱりって!」
「いえ、普段リア様以外お茶を飲まないのですが、お砂糖三杯にハチミツとミルクまで入れるのは流石に甘いだろうなと思っていたのです」
私は飲まないのでよくわかりません。
「リア君。いつもこんなものを飲んでいるのか?」
「#w」
リア様は笑いながら頷きました。
そしてリア様は私を手招きします。
「わ、私ですか?」
「そのメイドがどうした?」
こっちに来いというジェスチャーに応えてリア様の隣に行くとリア様は喋りだした。
「゜##=#」
私ならわかる?
「そんなことないですよ」
「ん? 待てよ。君はリア子爵が何を喋っているかわかるのか?」
「いえ、わかりませんよ。ただ」
本当にリア様が何を発音したかなんてわからないし、さっきだって何が違うかなんてわからない。
「ただ何が言いたいかはわかるかもしれません」
そう言うとリンゴォ氏は考え出した。そういえば他のメイドはリア様の言っていることが何もわからないと言っていたけど、私はそうとは思わなかった。
「アプローチの違い? それはあるだろうが、今までも日常会話は試したことはあった筈だ。となるとだ」
1人納得し終えるとリンゴォ氏は言った。
「リア子爵。一つ聞きたいのだが、YESかNOで応えて欲しい。最近私は君と日常会話をおこなっていたか?」
リア様は首を横に振った。
「ふむ。そういうことか?」
一人納得したように頷いた。
一体どういうことだ?
「メイドよ。君の名前は何という?」
「マリー、ただのマリーです」
「君とリア子爵の会話に同席させてくれないか?」
「え?」
リンゴォ氏は一人で勝手に悩んで納得するので、何が起こったのかわからない。
「リア子爵がいいのなら」
断るなんて考えられなかった。
「君もいいだろう」
「#」
「でも、何でその結論に至ったか教えて頂けませんか? 生憎私は学が無いもので」
何だか実感の無いままトントン拍子で話が進んでしまう。せめて理由を知りたかった。
「ああ、そうだったね。まあ、これに関して言えば難しいことは何もない。私は彼の精霊語を学ぼうとしていたのは知っているね? 一年と半年程だが、正直言って全くとして成果が出ていない。法則性が見つからない。さっきも見ただろう」
丸と三角と四角の積み木を指さした。
「これらのシニフィエは違うにも関わらず、シニフィアンは同じなのだ」
「シニ? シニフィエン?」
「シニフィエとシニフィアンだ。細かい説明を省くが、今回で言うとシニフィアンは音声などの記号を現す。つまりさっきの...。リア君これは何と言う?」
そう言って三角の積み木を指す。
「#」
「それだ。だけどこれは?」
今度は丸の積み木だ。
「#」
「聞いた通り音が同じだろ」
「はい。同じに聞こえますね」
「この音がシニフィアンという。本来は文字も含めるが今はまあいいだろ。だが積み木の形は全く違うだろ」
「…確かにそうですね」
「そしてこの積み木、正確に言えば、積み木という概念だが、この積み木をシニフィエという。本来はこのシニフィエとシニフィアンが合わさり言葉の意味が成立する」
なんとなくイメージが付いた。物には名前がある。簡単に言えば、「物」と「名前」は別々のもので、それが合わさって一つの意味になるということだ。
「でも、それなら丸とか三角の形を意味していないなら、つまりは材料である「木」を指す言葉だとしたら別におかしくないんじゃないですか?」
「…ふむ」
私が言った言葉にリンゴォ氏が考えるような素振りをしたので、恥ずかしくなってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい。変なこと言ってしまって」
「いや、全く変なことは言っていないよ。むしろその考えは正しい。ただ、君はメイドにしては優秀なのだと感心してしまっただけだ」
頭の良い学者様に言われるなんてすこし恥ずかしくもあるが嬉しい。
「君、これを見なさい」
そう言って手帳を出した。
日付と共に不思議な記号が書いてある。
#,#`,$$#,!##
「これは私がリア君の言葉に無理やり当てた文字だ。表音文字と言って音を意味する文字だ。リア君以外に発音はできないし、私の頭の中でしか、文字と発音が一致しないから読めもしない欠陥品だがね。この文字を見なさい」
「#」と書かれた文字を見た。
「これがさっき言った言葉の文字だ」
「はい」
「君が言う通りこれはこの積み木を意味する言葉だ」
「はい」
「そしてこれが昨日同じものを聞いた時のの音」
「#`」と書かれていた。
「ちょこんと点がついていますね」
「さらに三日前」
「$$#」と書かれている。私は嫌な予感がしながら、話を聞いた。
「そしてこれが一週間前だ」
「!##」と書かれる。
「ええと、つまりは...」
「つまりは?」
リンゴォ氏にそう返されたので、先ほど聞いたばかりの言葉に合わせて喋った。
「同じシニフィエだけど、違うシニフィアンということですね」
さっきとは真逆だ。
「素晴らしいな。君は。頭の回転が良いらしい。ただのメイドではなく、どこかで教育をうけた貴族か?」
「いえ、ただの平民です」
私は何故かこの屋敷に来てから三カ月ほどでお付きのメイドをしているが、本来だったら自分よりも下の階級の貴族に身の回りの世話をさせることもあるそうだ。だが、私はただの城壁の外の民だ。
「だが君もわかっただろう。法則性なんてないんじゃないかと疑ってしまう。本当は彼がおちょくっていて、私を怒らせようとしているのかと疑うくらいには研究が進んでいないのさ。私は彼の言語を分析するアプローチを続けていた。彼の発音に文字を付けたりね。しかし、それは全くの間違いだったんじゃないかと君に出会って思い至ったわけさ」
「全くの間違いですか?」
何だか学者様が言っていることの方が合っているような気がしてしまうけど。
「人の言葉とは、会話から始まるものなのだよ。決して文字から始まるわけではない」
それがピンときたわけではないが、何故か記憶に残った。
「最初の頃は彼が誰とも喋れないのを見てその手助けをしたいと思ったのだが、どうやらそんなことも、忘れていたらしい。ありがとう。マリー君。君のお陰で大事なことを思い出せた」
「い、いえ」
褒められるとは思っていなかったので、少し恥ずかしい。
「出来ればこの三人で御茶をするというのは、どうだろうか?」
「わ、わかりました」
何だかよく分からないが、リア様のお役に立てるということは嬉しいことだった。
「ん?」
しかし、何か忘れているような?
恐れ多くてリア様と御茶をすることを断るという最初の目的など、私の鳥頭では覚えきれなかったらしい。
その日の夜は月明かりが綺麗だった。リア様は夕食は自室で一人で摂ります。というのも旦那様の現在の奥さまは、非常にリア様を怖がっているそうで、リア様は気を遣って自室でお摂りになるそうです。その怖がっている理由が、ただ単に精霊語を喋るリア様が怖いからなのか、それとも今の地位が脅かされるのが怖いのかはわからないとお付きのメイドの一人に教えてもらいました。
「###%」
一緒に夕食どう? と促しますが、毅然と断ります。
「いえ、身分不相応ですから」
リア様が食べ終わると食器を片付け、食後の紅茶を注ぎます。
「###」
君は食べた?
「いえ、食べていません」
「###%」
一緒に食べればいいのに。
「リア様が食べ終わったら食べます」
「#€##」
え? 今なんて言ったんだろうか? 当然だが、リア様の仰っていることは何でもわかるわけではない。
「リア様今なんて?」
そう聞き返すとリア様は窓を開けた。秋の冷たい夜の風が吹く。お月様は風を照らしているのに、夜風は冷たい。まるで風が哀愁を漂わせているみたいだ。
「#€##」
リア様はさっきと全く同じ発音をした。聞き返しても何を意味しているかわからない。きっ
と他のお付きのメイドもこの沈黙が怖いのだろう。リア様にまるで失望されたような気がして。何だかこの数日でリア様をわかったような気になっていた。リンゴォ様にも褒められて何から何までわかったような気がしてしまった。自分は恥ずかしい人間だ。これをきっと弁えていないというのだろう。
「リア様」
でも、だからってわかろうとする気持ちを捨てる訳にはいかない。
「私、まだリア様のこと全然知りません。でも、きっとわかって見せます」
リア様はわかって貰えないと悲しげな顔をする。そんな顔させたくない。
「時間がかかってもリア様の言葉を解読して見せます」
そう言うとリア様は優しげな顔で笑った。




