#2 初めての大きな嘘
抱きしめられてしばらくしたあと、段々と思考が冷静になってきた。今誰かにこの場を視られたら殺されるんじゃないだろうか? この御方は父以外の初めての異性だった。恥ずかしいともまた違う感情。罪悪感のような感情は、ざわざわと私から落ち着きをなくさせる。人生で初めて感じる感情だった。
「#&##」
何を言っているか一ミリもわからないが、気を遣ってくださるのがわかる。
「は、はい」
というかこんな畏れ多いことをして、私は死刑になるんじゃないだろうか? お貴族様のお洋服を泥だらけにして、そのお金を取られるんじゃないだろうか? お貴族様によっては、国が立つほどの服というものがあるらしい。そう思うと血の気がサーッと引いていった。
「あ、あの。もう大丈夫です」
そういって離れようとしたのだが、むしろ目の前の御方は、私をお姫様だっこした。
「え、ちょ、あ」
目の前の御方が私を抱えたまま空高く飛んだ。
信じられないことだが、人が鳥のように飛んだのだ。
初めて空を飛んだ感想といえば怖かったに尽きた。だってこっちは何の準備をすることもできずなかったから。何の準備と聞かれたら困るが、それでも心の準備くらいはさせて欲しかった。別に途中で落とす様な人だと思った訳じゃない。ただ自分の命を預けるには、あまりにも恐れ多いのだ。ただ降ろしてくださいとも言えず、お姫様だっこをされている状態がただ気恥ずかしい。
周りの景色を見る余裕などない。ただでさえ空を飛んでいる状況が怖いのに加え、前を見ると目の前の御方と目が合ってしまう。そうなると私は途端に気恥ずかしくなり、我を失ってしまうのだ。なので外を向くのだが、結局は怖くなり、また前を向いた。そうなるとまた恥ずかしくなり———というループに入ってしまった。後から思い出すとかなり挙動不審だった。
だが、落ちないとわかって、覚悟を決め、外を見ているとまともに考える余裕ができた。地に足が着かないというのに、冷静に考える余裕ができた。
お貴族様には、青い血が流れると言うけど、この御方は、喋る言葉すら違うのかな。私は今までお貴族様なんてお話の中でしか聞いたことが無かったので、目の前の御方の身なり、動作こそがお貴族様のイメージとなった。
お父様曰く貴族というものは元来戦う者という意味があるそうだ。多くの人間は魔術を使う事も出来ないし、魔獣に出会ったのならそれは死を意味する。しかし、お貴族様は違う。殆どの物が魔術を使えるのだそうだ。と言ってもお父様によればピンキリだそうで、多くのお貴族様は昔の様に魔獣を狩ったりはせず、城壁の中で暮らすそうだ。でも、リア様はお父様から聞いたイメージそのものだ。私のイメージではお貴族様というものは人間で、私達と同じ言葉を話すのかと思っていた。まさか私達と同じ言葉を話さないとは思いもしなかった。むしろ納得するところである。あんな巨大な魔獣と戦う者が人間に近いと考えるのが烏滸がましいのかもしれない。
そんなことを考えているとだんだんと高度が下がってきた。どうしてだろうと考えていると下の方で多くの人間と旗が見えた。地上に降り立つと一人の人間がこちらに気付き、血相を変えて奥へと走り出した。
「#**」
まるで挨拶でもするかのように目の前の御方は、何かを発声する。声のトーン的に敵とかではないと思う。
「あ、兄上〜」
何処からか兄を呼ぶ声がした。その声は鎧を付けた大人と共に近づいてきた。鎧を付けた男達の中から身なりの良さそうな少年が出てきた。
「兄上。よくぞご無事で」
「##゜#」
「いえ、何よりも兄上のご無事が何よりです」
もしかしてこの人はこの御方の言っていることがわかっているのだろうか?よく見れば彼は周りの兵隊に護られている。まるでこの子供が一番偉いかのようだ。
「してこの娘は何者で?」
「##$€¥・〆+:÷〆×###+〒#」
リア様が何を言っているか検討もつかないが、きっと説明してくれているのだろう。そしてこの少年はきっと言ってることを理解できるのだ。
「な、なるほど」
身なりの良い少年はこちらを一瞥して言った。
「しかし、お疲れの兄上に説明して頂くのは、申し訳が立ちませぬ。そこの娘子。そなたに兄上の代わりに説明する資格をやろう。クローバー王の息子、イスカは民草だからと言えど差別はしない」
「え?」
驚いたが、直ぐにどうしてこうなったかわかった。おそらく、この人は……。
しばらく考えた後、正直に話すことにした。
「私は強盗に母と父を殺された後、強盗に連れられました。強盗が私を運んでいる最中に魔獣に襲われ、そこを救って頂きました」
自分でも驚くほどに冷静に状況が説明できた。だってこうしなければいけないから。
「流石兄上だ」
そう、この少年は目の前の御方が何を言っているのかわからないのだ。
「#」
肯定する様に目の前の御方が発声する。
「しかし、貴様も災難だったな。多少の路銀を渡すのと城壁まで兵が送っていってやろう。して何処の城壁出身だ? うちの領地だとそのまま一緒に送ってやるが」
何処の城壁出身?
やってしまった、と思った。多くの人間は、城壁の中に住んでいるのだ。城壁の中に住んでいないものとは、つまり犯罪者か犯罪者の家族だ。ここは嘘を付くべきだろうか。そう思い、顔を上げると目の前の御方と目があった。
目の前の御方を見ると不思議と嘘を付きたくないと思ってしまった。
しかし、嘘をつくべきだ。
だって嘘をつかなければ私は殺されてしまう。
「私は城壁の中に住んでいません」
なのに嘘がつけなかった。
身なりの良い少年は、顔を顰めた。
やってしまった。嘘を付けば何処か送って貰えたというのに。
「犯罪者。いや、犯罪者の子供か。貴様に罪は無いと言えど、我が城壁に入れてはならぬ。せっかく兄上が救った命。殺しはせぬ。ここから立ち去れ」
それは私にとって死刑と何ら変わらない。
魔獣が巣食う森の中で私一人で生きていけるとは思えない。
ここで帰ったら私は一週間も立たずに死ぬ。
だから帰るという選択肢しかない。ここで粘ろうものなら斬りつけられても文句は言えないからだ。それくらいの分別はある。
今ここで死ぬよりは、ここでおとなしく引き下がったほうが、まだ生きる道はある。
翻って一歩踏み出そうとした時だった。
「%」
そこで聞こえた音はこの世で一番綺麗な否定の音だった。
その言葉をこの場の誰も理解はできなかった。目の前の御方は、私を引き留めた。ただそれだけである。それだけだったが、この場の誰もがその意味を分かった。ここにいるのが幼児だったとしても分かるような簡単なことだ。そしてその選択は目の前の御方と私以外にとって都合の悪い選択肢であった。
その場にいる兵士を含めた全員に緊張が走る。
「あ、兄上。何を仰られているのです。この者は城壁の外のものです。決して中に入れるわけにはいきません」
「%$」
「兄上!」
目の前の御方は両手で私の肩を持った。本人としては離さないつもりの意思表示かもしれないが、私としては盾にでもされて、弓の標的にでもされているような気分だ。
「%$」
目の前の御方を除いて、少年も周りの兵士たちも私も皆、困っている。
どうすればいいかわからないが、自分より困っている人を見たら落ち着いてきた。
状況を整理してみよう。
まず、私は城壁外で生まれ育った子供。城壁外にいるのは犯罪者だと思われるのが当然だ。身なりの良い少年が言うには、私は城壁内には入れない。
次に目の前の御方。兄上と呼ばれているのだから身なりの良い少年の兄なのだろう。そして目の前の御方は私を城壁内に入れてくれようとしてくれる。そして周りの反応を見る限り、それはただの我儘、しかもルールに反するような我儘なのだ。
そして身なりの良い少年。おそらくは人の言葉を喋らない兄上に変わり、この場を仕切っている。しかし、目の前の御方のほうが本来は偉いのか、目の前の御方の言っていることを断れない。それでもルールを守ろうとするあたり、真面目なのだろう。
私を挟んで喧嘩する兄弟。私としては目の前の御方の言うとおり(喋ってはないが)ここで連れていってもらえなきゃ死んでしまう。齢13。森の中で木の実を取ることくらいはできるけど、それだけで魔物がいるこの森で生き延びるのは難しいだろう。それに空を飛んだから元の家もわからない。お父さんとお母さんがいないあの家に戻りたいかと言えば、また別だけど。
「あ、あの」
私は意を決して言った。身なりの良い少年が少しだけ期待するつもりでこちらを見たのが分かった。おそらくその期待というのは、私が目の前の御方が言っていることを辞退することなのだろう。この空気感に耐えられなくなった少女は、気遣って断る。そういった筋書きであれば、目の前の御方を納得させられる。
「私が間違っていました」
「そうか、そうか。しかし、間違いは誰にでもある。この私でさえもだ。しかし、それをここで正直に話してくれれば、それを許す」
私はこの世に悪意というものがあると知らなかった。どんな残虐な行いもできてしまう人がいることを知らなかった。私は嘘をつくということがいけないことだと教えられてきた。今でもこれは大事な教えだとは思う。でも、その教えを守っていくだけじゃ悪意に対して弱すぎる。お父さんとお母さんが強盗に殺されてしまったように、ある日突然嘘をつかない世界は崩れ去ってしまう。
生きていくためには、嘘が必要だった。
「はい、城壁の外に住んでいたというのが、間違いでした」
「なっ」
私はこのチャンスを逃さない。
私は嘘をつく。生き残る為に。
「高貴なる人に囲まれて動揺して、おかしなことを言ってしまいました」
「なっ、それならば何処の城壁に住んでいたのか言ってみろ。それが嘘ならばお前を殺す」
身なりの良い少年は、非常に驚いていたのだが、すぐにまた私を入れないような言動をしてくる。この人は強敵ではあるが、悪い人ではない。そう信じて私は口を開いた。
「いえ、私は覚えていません。目の前で父と母を殺されたときに、ショックのあまり忘れてしまったようです」
「・・・・・・」
身なりの良い少年は黙った。この場にいる誰もが私が嘘をついたと思っている。しかし、誰も指摘することなく黙った。そもそも城壁から出されるような犯罪者は刺青を入れられる。私の父と母にもそれはあった。しかし、その子供がどうかなんてものは、そもそも想定していない。だからこそ、母と父は私だけでも城壁の中で住むことを夢見ていた。そして、今この瞬間はその最大のチャンスだ。これは私にとってメリットのある嘘だ。しかも目の前の御方も、身なりの良い少年も誰も損をしていない。身なりの良い少年が言うには、犯罪者を城壁の中に入れてはいけないというだけで、両親を殺されて記憶を失った哀れな少女を入れてはいけないというルールはない。。ただ、それを認めるかどうかはこの少年次第だ。だってあからさまな嘘だから。
「ふむ」
値踏みをしているその少年の様子に固唾をのむ。
そう、あとはこの少年が優しいか心の持ち主かどうかというだけなのだ。
「どうやら父と母を殺されたショックで記憶が飛んで自分の帰る城壁がわからなくなってしまったようですね」
よかった。
思わず安堵のため息をつきそうになった。
この人は真面目な人に見えたから、もし融通がきかなかったらどうしようかと思った。
「それにその飛んでしまった記憶とやらの正体が、犯罪者の娘だとしても証明ができないですしね。良いでしょう。誰かうちの城壁まで連れて行ってあげてください」
最後に釘を刺されたが、これで活路が開かれた。まあ、城壁の中でどうやって暮らすかという問題はまだ残っているのだが、それを考えるには疲れすぎた。町に着いてからでもいいだろう。
「兄上。魔獣を殺したのなら、馬車に乗って帰りましょう」
「・・・・・・」
目の前の御方は何故か私から離れない。
御付きの兵が一人こっちに来たのだが、どうやら困惑した様子だった。
「あ、あの王子殿。連れて行くので離していただければと」
「%」
目の前の御方は王子というのか。うん? 王子?
「あ、兄上。いくらなんでもそれは我儘が過ぎます。」
王子様はいまだにがっちりと肩を掴んだままで、そのまま馬車に乗りこもうとした。もしかして私と馬車で帰ろうとしている?
「兄上、いくらなんでも馬車にその下女は乗せません」
「###」
わかったと言った気がするのだが、その返事に対して空に浮き始めた。
「きゃっ」
いきなりでびっくりしたのだが、急に私もお姫様だっこされた。それだけじゃなく身体が浮いた。
「兄上。それは絶対にダメです」
「#$%%」
もしかして馬車に乗れないなら空を飛んで帰るとでも言いたげだ。
「わ、わかりましたから、兄上。その下女を馬車に乗せてもいいです。なので、空を飛んで帰ったりなどしないでください」
「###」
そう言って王子様に降ろしてもらえた。
「#^^#v♪」
何を言っているかは検討が付かなかったが、まるで自分の我儘をすべて押し通した喜びを噛みしめているようだった。
ご機嫌な王子。不機嫌な弟。気まずい私。本来であればいるべきではない私がここにいるのは、人の言葉が喋れない王子のおかげだった。無言が続く馬車の中で何か喋ろうにも王子が何を言っているかはわからず、身なりの良い少年は不機嫌で喋りかけるなと言わんばかりである。しかし、喋らない気まずさと喋ってしまう気まずさを天秤に掛け、喋る気まずさを取った。
「あ、あの」
身なりの良い少年が嫌そうにこちらを見た。しかし、その視線に負けず、喋りだす。
「お二方のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
しかし、身なりの良い少年はこちらを無視した。そりゃあ、お貴族様が私なんかと話すなんてありえないことだとは思うが、流石に少し落ち込んでしまう。
「いて」
代わりに「いて」と帰ってきたので、顔を上げると王子様が少年に何かを飛ばしていた。
「痛い、痛いです。兄上。喋りますからおやめください」
はぁとため息を吐くと喋りだした。
「兄上はリア・クローバー、このクローバー国の第一王子だ。すでに領地を持っていて子爵でもあられる。若干10歳のころには竜を倒したこともある。そして私はイスカ・クローバー。兄上の弟であり、第二王子だ」
慣れた様子で話すのは、実際に慣れているからなのだろうか。
「あ、改めまして先ほどは助けていただきありがとうございました。私はマリー。ただのマリーです」
「ふん。礼は兄上に言え。しかし、どうしようか? 城壁に着いたらほっぽり出すつもりだったが、兄上が許してくれるとは思わない」
そうしてしばらく悩んだようなそぶりをすると答えた。
「ああ、決めた。貴様メイドになれ」
「え?」
町では働かないと城壁から追い出されてしまう。しかし、働く先もあるかどうかわからなかったので、願ったり叶ったりなのだが。
「いいのですか? よくわからないものを入れて」
「別にお前が暗殺者の類ならすでに兄上が殺しているだろうよ」
殺す。目の前の御方はあの大きな魔獣をいとも簡単に殺せるくらいなのだから、そりゃあ殺せるだろうけど。よくも悪くも信頼しすぎな気がする。
「それともなんだ? 兄上の愛人として暮らしたいのか? いて。兄上おやめください」
間髪入れずにリア様は何かをイスカ様に放った。
「いえ、そういったことなら謹んでお受けさせてください」
「愛人をか!?」
「違います!」
驚くぐらいなら提案するな。あいじんが何か知らないけど。
「ああ、メイドか。まあ、精々頑張るんだな。兄上もこれでいいですよね」
リア王子は頷いた。
「お前のために言っておくが、兄上が優遇してくださるとは思うなよ」
「はい」
「どうせ。兄上の気まぐれなのだから。真面目に付き合っていてもしょうがない」
小声で言っていたのは私が聞こえていたぐらいなのだから、リア王子も聞こえていたのだろう。リア王子はイスカ様の頭を撫でた。
「ふん」
そうやって撫でられている姿は先ほどまで「貴族をやっていた」時よりも一層子供っぽく見えた。この人は言い方こそ厳しいが、本来優しい方なのだろうと思った。いや、優しいからこそ厳しい人なのだ。
「カーテンを間違っても開けるなよ」
馬車に揺られることしばらく経った後、開けるつもりもなかったことを言われぽかんとしていたが、すぐに理由は分かった。
「精霊様~」
「リア様~」
「王子様~」
大勢の歓声。黄色い声援だったり、それは信頼の証だったりと様々な感情が入り乱れる。どうやら城壁に入るや否や、大勢の民衆に向かい入れられたらしい。
「この程度の魔獣退治、兄上にとっては大したことはないのだがな。兄上は人気なのだ」
「凄い方なのですね」
「当然だ」
そう言いながら、とても嬉しそうだ。イスカ様は兄上のことが好きで仕方がないのだろう。そう思うと微笑ましく思えた。
「着いたぞ」
ようやく馬車から降りるとそこには見たこともないような建物があった。首が痛くなるくらい高い王城。そしてそれより高く聳え立つ城壁が町を覆っているのだ。どれも初めて見たばかりのものだ。
「わあ」
思わず声が出てしまう。
「はん、田舎娘さながらだな」
小馬鹿にされ少し恥ずかしくなった。いや、田舎娘なのは事実なのだけれど。
「おい、執事長はいるか?」
すぐに控えていた老年の執事が出てきた。
「はい、ここに」
「こいつは兄上がきまぐれに拾ってきた女だ。適当にメイドでもやらせろ」
「はっ。わかりました」
「どうせ兄上もすぐに飽きる。使えなかったら容赦なく捨てろ」
「はっ」
全くもってひどい言葉で笑いそうになってしまった。既にこの方は優しい方だと知らなかったら勘違いするところだった。これは執事ではなく、私に言ったのだ。もらったチャンスを無駄にするようならいつでも切り捨てる。だったら頑張るだけなのだ。
「わかりました」
執事さんに言った言葉を勝手に返したら怒られるので、小さな声で宣言した。私は頑張って見せる。救われた恩返しをするために、立派なメイドになると今ここで決めた。
そのために、まずはイスカ様の鼻を明かすくらいはして見せようじゃないか。
この時の私はお父さんとお母さんの死を悲しむ余裕さえなかった。だってそんなことを考えても明日はやって来るのだから。
だが、もし明日お休みを貰えたとしても悲しんだかはわからない。私は生きるのに必死で。そして、この大きな嘘をつき通しつづけることに必死にならなければいけなかった。




