#14 新年の挨拶(1)
新年の挨拶はクローバー王家においても、滅多にない程忙しくなる日だそうだ。使用人の間では怒号が飛び交い、何度も廊下を往復することになる。そんなにも忙しいにも関わらず、私はその場から一歩も動いていなかった。いつものメイド服とは違い、ベルベット生地のドレスを身にまとい、コルセットをきつく締めていた。さながら気分は銅像だろうか? 動けない私の代わりに、次から次へと人が前に立つ。もちろん私が目当てで来たわけではない。
リンゴォ氏が代わりに喋りだした。
「本日は遠路はるばるありがとうございます。マリー嬢こちら。グリート男爵」
「グリート男爵。こちらマリー嬢。そしてこちらリア子爵」
リンゴォ氏の挨拶に従って、愛想よく笑う。
「ご挨拶頂きありがとうございます男爵。スプリングフィールド子爵の義娘マリーと申します」
「###」
「リア子爵も挨拶を申し上げております」
男爵はびっくりした様子だったが、それを隠すように笑った。
「いやあ、しかし伝聞で聞いていましたが、本当に精霊様のお言葉を喋るのですね」
「はい。ですので私が通訳を」
「しかしスプリングフィールド子爵は子供はいらっしゃらないと聞きましたが違いましたか?」
「はい、実は父が魔獣に襲われて不幸にあってしまいまして、それで遠い縁を頼ってスプリングフィールド子爵を頼ったのです。子爵は大変人徳のある方で快く受け入れてくれました」
「何と! それは大変お悔やみ申し上げます。ところでリア子爵の通訳と言っていましたが、お分かりになるので? ああ、いや、失礼。疑っているわけではなく、リア子爵の高度なお言葉を理解できない私の知能が悪いのですが、どうも気になってしまいまして」
「完璧にとは口が裂けても言えませんが、殆どは」
「おお、流石です。差し出がましいですが、一西の国の貴族としてリア子爵ほどの方が、学園に参加できないのでは無いかと危惧していたのです」
「ええ、それはわかりますわ。リア子爵ほどの方が不運によって表に出せないとなれば国にとっての損と言っても過言ではないでしょう」
「ええ、わかってくれますか」
「ええ」
フフと笑うが、この問答を今日は三十回はやっているのだ。同じ問答を繰り返すのは精神的にどうしてもキツい。しかし、挨拶の列はまだしばらく無くなりそうにない。
「マリー嬢、そろそろ休憩を入れるか?」
リンゴォ氏が小声で気を使ってくれた。
「いえ、まだ頑張れます」
「…いや、そろそろ休憩だ。まだまだ続くのだから途中で倒れましたでは、洒落にならない。何よりもこれはリア子爵の挨拶なのだから」
「わかりました」
「すまない男爵。マリー嬢がコルセットがキツく締めすぎてしまったようでな。少し挨拶は待って貰えないか?」
「しかし、私はリア子爵に挨拶に」
そのタイミングを見計らったようにリア子爵が話し掛けた。
「%###%」
恐らくあれは適当に喋っているので意味もないのだろう。
「ふむ、なるほど。わかった。それで男爵。君は挨拶したいようだが、マリー令嬢も私も居なくなるが、していくかね?」
リンゴォ氏は意地悪な笑みを浮かべると男爵は顔を青くして辞退した。
「ほら行くぞ」
「#」
二人の紳士に連れられ、私はお屋敷の空いている部屋に入った。
「ふう、流石の私と言えど疲れた」
「#〜」
「しかし、リンゴォ氏は流石ですね。あそこまで顔と名前を一致させているなんて」
「君もこうなって貰わないと困る」
難しいと思ったが、出来ないは許されない。
「わかりました。頑張ります」
「それと君は自分をもっとコントロールしなさい。疲れ切る前に休憩を申し上げるんだ。女性は何かと苦労が多いからね」
「はい。わかりました。しかし、私の本来の身分が全くバレないことには、びっくりしました」
本来を考えれば私は城壁の外の身分。到底この場にいるような人たちとは同じ身分ではない。
「それは君の言葉遣いのおかげだよ」
「言葉遣い?」
「君に中央国の正確な発音を教えた。そして僕は一つ君に極意を教えた。それは何か」
「ゆっくりと話すこと」
貴族らしい喋り方とは、ゆっくりと話すこと。そして高貴な人間は、中央国のアクセントで話す。
「そうだ。言葉は、人生を表すのだ。だからこそ言葉そのものを変えてしまえば、人生すら欺ける。君の自己紹介を受けた人は皆、何処か高貴な家の令嬢が魔獣に襲われて家を無くし、縁を伝ってスプリングフィールド子爵の養女になったと思っているよ」
「なるほど」
感心するばかりだ。ちなみにスプリングフィールド子爵は、会ったことすらないが、快く引き受けてくれたと聞いている。
「しかし、コルセットばかりは慣れません」
「一度緩くしたらどうだ?」
「それもそうですね」
そう思ってコルセットを緩めようとした。
「ば、馬鹿者。仮にも淑女だぞ。男子の前で緩めるものがいるか! メイドを呼んできてやるからそこで待っていろ。リア子爵もまじまじと見るんじゃない」
「##゜」
見てないと抗議していますが見てましたよね。いやこの場合私が悪いのだが。
二人と入れ替わる様に入ってきたのはディジーだった。
内心驚きを隠せない。この前まで同じメイドをやっていたのに、実は令嬢だったということになっているのだ。気まずい以外の何でもない。
「緩めますねお嬢様」
「ありがとう」
しばらく沈黙が続く。先に沈黙を破ったのはディジーだった。
「私にはメイドの友達がいるのですけど、その方は何処か遠くに行ってしまって。その方は未だにお友達だと思っていてくれるのでしょうか」
「ええ!」
ディジーは、私よりも一回り小さな侍女で、同僚の中では一番仲が良かったのだ。
「ふふ、よかった。でも、やっぱり貴方は本当のお嬢様だったのね。私本当のお姫様に会ったことなかったけど、お姫様がいるとしたら貴方みたいな人だと思っていたの」
全然そんなことないと思った。
下手したらあなたなんかよりも低い城壁の外の人なのだ。
でも、この嘘に彼女は巻き込めない。
「騙していてごめんなさいね」
「ううん。帰ったら実家に自慢できるわ。お姫様とお友達なのって」
「…ありがとう」
「どういたしましてお嬢様。それと私のコルセットはちょっとキツイかもだけど許してね」
「え?」
肋骨が折れると思うくらいキツく締められた。
これってやり返しではないんだよね?
「お待たせしました」
二人は扉の前で待っていてくれた。
気づけば肩の力が自然と抜けていた。
「行きましょうか」
再び私は貴族の仮面を被る。
どうしてこんなことをやっているのかと言えば、この前の事件が関係していた。
エドガーが死んだ後、私は城の医務室に連れられた。酷い熱を出して何日も寝込んでいた。リア様もリンゴォ氏も何度かお見舞いに来てくれた。まるでただの専属メイドの扱いではない様だった。
私の熱が下がるとリア様もリンゴォ氏も直ぐに駆けつけてくれた。
「君は馬鹿か!」
リンゴォ氏の開口一番はこうだった。
「どうして君はリア君について行ったんだ! 君はあの話し合いをした後に犯人が分かっていたのだろう。だったらリア君を信じて君は待つべきだった!」
いや、あれはリア様が連れ去られてしまいそうになったからで、ついていくつもりなどなかった。ずっとリア様に犯人をお伝えしたかっただけでなんて。そんな言い訳をする隙など与えられなかった。
「もしかしたら死んでいたのかもしれないんだぞ」
死んで———そうだ。
白いキャンバスのような雪化粧に、真っ赤な血が綺麗に塗りたくられた。
首を斬ると人はあんなに血が出るのだ。
あの戦いで死んだんだ。
でも、それは言えない。だってそれはもう無かったことになったのだから。
「君の苦しみはわかっている。私もイスカ君から聞いた。旦那様も知っているだろう。使用人で知っているのは君だけだが、あのことを私に黙っている必要はない」
聞いたってのは何処まで?
「君は涙を流していい」
そう言って私をリンゴォ氏は抱き寄せた。
「言えないこともあるだろう。怒れないこともあるだろう。だが涙を流してもいいんだ」
そうは言っても涙なんてでない。
あの張り付いて乾いた空気で、涙はでない。
今回は私が殺したも同然だ。私がリア様の言葉を言えていれば、これ以上人が死ななかった。私がリア様に言葉を伝えていれば、こんなこと起こらなかった。全部私のせいだ。
「私が殺したも同然です」
私があの戦いに出たからこそ、リア様は殺さなければならなかった。いや、もっと早くリア様にエドガーに気を付けてと言えていれば、森での事件は起こらなかった。
グスッ
私ではない。涙を堪えて我慢する音がした。
「ど、どうして」
泣いたのは私ではない。リンゴォ氏だ。
「すまない。君が我慢しているというのに。私は」
ズルい。
ズルい。私は泣くつもりなんてなかった。泣ける立場にないのに、どうして私の為に涙を流してくれるのだ。
リンゴォ氏の涙が乾いた心に零れ落ちる。
心が共鳴するように震える。
「ズ、ルいです」
泣いてはいけないはずなのに。
私に涙を流す権利なんて無いはずなのに。
涙は止め処なく流れる。
「どう、して、私の為に、涙、を流し、てくれるの、ですか」
嗚咽してまともな言葉にならない。それはリンゴォ氏も同じだった。
「歳を、取ると、涙、脆くなって、しまうのだよ」
それから二人で、いっぱい泣いた。声を上げて、しばらく泣いた。リンゴォ氏の身体は大きく、父を思い出した。
しばらくすると2人で気恥ずかしくなって離れた。ゴホンとリンゴォ氏がわざとらしく咳き込むと何事も無かったように話を変えた。
リア様が何か言いたげだったが、今は気恥ずかしさが勝って、リンゴォ氏の話に乗った。
「まあ、実はこれを話に来た訳では無い」
「そうなんですか!」
「マリー嬢、君に提案がある」
それは私が予想もしなかったことだった。
「君はリア子爵の付き人にならないか?」
「え? それって今とかわらないですよね」
専属のメイドということであれば、今だって———
「いや、恐らく君が思っていることとは違う。君に身分を与える代わりに子爵の補佐をして欲しいんだ」
「えーと、つまり」
「これから半年も絶たずして子爵は中央国の学園に行ってもらう。そして君にそれに付いていって欲しいんだ。同じ貴族として」
それは考えもしないことだった。
そうか。
どうして嘘をついてはいけないのかと聞いたら、昔、お父さんが答えてくれたことがある。
「嘘をついたらね、嘘を隠すためにもっと大きな嘘をつかないといけなくなる。嘘をつくなとは言わないけど、ある時、自分がついた嘘が大きく膨れ上がって、自分では耐えきれなくなる時がある。そうならないために嘘をつかない方が良いって言っているだけさ」
そう、最初についた嘘は城壁の外の民ではないという嘘だった。
それがどんどん膨れ上がって、ついには貴族になる嘘までつくことになる。
「君は今回の件で貴族が嫌になったかも「わかりました」
「え?」
「わかりました」
「それが必要なんですよね」
「あ、ああ」
「でしたら何でもやります。やらせて下さい。今回の一件は思うことはありますし、私の罪が消えた訳では無いと思います」
「それは———」
「私は無力でした。あの時のことをずっと考えていました。でも、結局私の言葉なんて意味がない」
「そんなことは———」
「いえ、きっとあの場にいたのが、私ではなく、リンゴォ氏だったら、ここまでの騒動に発展しなかった」
リンゴォ氏は黙った。きっと私が言った通り、リンゴォ氏がいたら、できたことがあるのだろう。
「イスカ様には力がありました。嘘を押し通せるだけの力が。今回はそれ以上はきっとできなかった。でもまだ許せてはいないんです。イスカ様も私自身も」
私にもっと。
「私にもっと力があれば、きっと止められたこともあります。リア様とイスカ様の関係だって私が間に入って通訳できた筈です。二人の関係を正常に戻したいです。本人達の意思が無視されて派閥争いなんて私が止めたいです。だからその為だったら何でもやります。やらせて下さい」
リンゴォ氏に頭を下げてお願いする。
「待ってくれ。頭を上げてくれ。私が決める訳では無い。決めるのはクローバー王だ」
「わかっています。でも、リンゴォ氏に私がリア様の隣に居ても恥ずかしくないくらいにして欲しいんです。それができるのはきっとリンゴォ氏しか知らないから」
「…私の教えは厳しいぞ」
「はい」
私は一介のメイドに過ぎなかった。それでも何かやれることがあるのならやってみせる。
「わかった。それでは1カ月の新年の集まりも頼むぞ」
「はい! え?」
1カ月後? 1カ月後にリア様が社交界に出る?
「これから1週間の間に君をリア子爵の通訳にしてみせる。覚悟しろ」
無理です。なんて弱音はとても言えなかった。




