事件
夏休みの習慣が抜けきっていないアタシは、つい寝坊した。
起きたら急がないと始業式に間に合わないってくらいの時間。
急いで準備して家を出た。
新学期初日なのに髪のセットがイマイチ。
おかげで朝からブルーだ……
満員電車に揺られて学校に行く。
あ~、またこの苦痛が始まるのか。
これさえなければ、どんなに楽か……
いくら車内に冷房が効いてるからって、こう人口密度が高いと汗ばんでくる。
不快な時間を少しでも快適にしたくて、スマホにイヤホンを差してお気に入りの曲を聴いた。
電車は渋谷を過ぎるとガラッと空いた。
やっと座れるわ……
もう一度頭から再生しようとして曲を止めたとき、名前を呼ばれた。
「沙耶」
「おお、杏!おはよう!」
「おはよう!」
杏も同じ車両に乗ってたとか気がつかなかった。
二人で並んで座る。
「もー最悪だよね。この混み方」
「ほんと。苦痛だよね」
「こんな汗ばんじゃったよ」
ブラウスの襟を持って胸元をパタパタ仰ぐと、向かいに座ってたサラリーマンが目をそらした。
「そうだ!この曲、超オススメ!聴いてみる?」
「うん!どれどれ?」
杏がスマホを取り出して二人でイヤホンをして曲を再生する。
……
……
あれ?始まらない。
耳を澄ませてみる。
なんかぼそぼそ喋ってる声がする……
小さくて聞き取れない。
なによこれ!?
助けて……
助けてえ……
ぎゃああああ!!
熱いぃ―――
痛いよ―――
「ひゃあっ!!」
アタシと杏は二人で同時に悲鳴を上げてイヤホンを外した。
なんだ今の声!?
向かいのサラリーマンが驚いて目を丸くしている。
「アハハ…なんでもないですぅ~」
愛想笑いしながら言うと、アタシはおそるおそるイヤホンを手にとった。
耳にあてる。
あれ?
耳に入ってくるのはアタシのお気に入りの曲。
普通にかかってる。
「杏……」
杏にも聞かせる。
「あれ?っていうか、さっきのなに?」
杏に問われて首を振る。
あんな声、アタシは知らない。
聞いたこともない声だった。
最初はノイズみたいな音がして……
そして女とも男ともつかないような叫び声が聞こえた。
聞いた瞬間にゾクッとして背筋が寒くなるような声。
助けてって何を?熱い?痛い?
アタシは曲をもう一度頭から再生してみた。
なんの異常もなく、曲が再生される。
「普通……だよね?」
杏がアタシの顔を見る。
「うん……」
曲が進んでもさっきみたいに変な声は聞こえない。
「なんだったんだろう?」
「さあ……気持ちわるい声……」
杏が眉をよせて言った。
するとアタシは、前にテレビか何かで聞いた話を思い出した。
「ああ、あれだよ。たまに無線とか混線するみたいなやつじゃん?」
「そっか。それだよそれ」
スマホと無線機は違うけど、まあそういうようなこともあるでしょう。
二人で納得していると、ちょうど電車が学校の最寄り駅に着いたところだった。
電車から降りると、むわっとした熱気を感じる。
「まだ全然暑いね」
「ほんと。まだ夏だわ……どうにかして」
暑い日差しが降り注ぐ通学路を、杏と二人で文句を言いながら歩く。
学校に着くと教室の空気がちょっとおかしかった。
なんだかざわついている。
彩が不安そうな顔をして私の方に振り向いた。
「おはよう。どうしたの?」
私が聞くと彩が引きつったような顔で聞いてきた。
「二人ともニュースとか見た?」
「えっ?見てないけど」
「アタシも。なんかあったの?」
アタシたち二人が返すと、彩はなにかを言おうとして口を開いたけど、言い淀み、自分を落ち着かせるように息を吐いて、唾を飲んだ。
彩の表情から、なにかとんでもないことが起きたということは想像できた。
一体何が……?
「由佳が殺されたって」
言葉を失う。
それは杏も一緒で、二人で無言のまま視線を交わしてから彩に確認した。
「ねえ、ウソでしょ?」
アタシが聞くと彩はぶるぶると頭を振って、スマホの画面を見せた。
杏と二人で画面を見てみる。
そこには信じられない文字が映っていた。
【女子高生、自宅で殺害される】
【殺害されたのは池上由佳さん(17歳)】
殺害された被害者の名前は間違いなく由佳だった。
スマホを持っている手が小さく震えだして、喉が急ににからからに乾いてきた。
由佳が殺された…‥?
なんで!?
とりあえず彩にスマホを返す。
「今朝ニュースでやってたの……昨日は由佳、一人で家にいたんだって」
彩の話しによると、昨日は両親が外出していて夜遅くの帰宅だった。
両親が帰ると一人で家にいた由佳が、一階の廊下で血まみれになって倒れていた。
凶器は刃物らしい。
そして由佳の家で飼っていた犬も庭で殺されていたらしい。
朝のニュースで彩が見た内容はそこまでだった。
なんだかムカムカして吐きそうになってくる。
由佳に会ったのは、夏休みの旅行が最後だった。
あんなに元気で笑っていたのに……
頭の中に思い出される由佳の笑顔……
それがもう見れないとか、なんの冗談よ?これって罰ゲームなの?
しかも殺されたって……ふざけんなよ。
悲しかったり頭にきたりで自分の中がぐちゃぐちゃになった。
「そうだ、奈美は?」
旅行メンバーの中で奈美がいないことに気がついた。
「まだ学校に来てないみたい……」
彩が不安を滲ませたように顔を曇らせて言う。
アタシと同じように寝坊して、これから登校か?
「もしかして学校来れないんじゃない?ニュース見てショックでさあ……」
アタシが言うと杏も彩も頷いて納得した。
アタシたちの中では、特に由佳と奈美は仲が良かった。
だから私たちよりもショックが大きくて学校なんか来れないということは十分考えられる。
とりあえず学校が終わっても連絡が取れなかったらみんなで、奈美の家に行ってみようということになった。
始業式は全校集会となって、由佳が亡くなったことが教頭先生から全校生徒に告げられた。
事件性もあることから取材やインタビユーには答えないこと、ネットなどに事件のことを書き込まないことと注意があった。
そんなのあたりまえじゃん?って思うけど、なかにはいるんだよね。
目立ちたくてそういうこと書き込んだり、音声変えてテレビに応えちゃう奴とか。
学校が終わる頃になっても、奈美とは連絡が取れなかった。
やっぱりみんなで家に行こうかと話していたとき、担任の先生に会議室に来るように言われた。
「なんだろうね?急いでるのに」
「いい迷惑だよ」
会議室に歩く途中で杏と彩が私の横で文句を言う。
「よくわからんけど、さっさと終わらせて帰ろう」
アタシは言いながら会議室のドアをノックした。
先生の返事がして中に入ると、担任の先生、生活指導の先生、教頭先生と見たことのない男の人二人に婦人警官が一人座ってた。
なんだか張り詰めた雰囲気に私達三人は呑まれてしまって、促されるままパイプ椅子に座った。
なんだこれ?
担任の先生が、殺された由佳とアタシ達はクラスで特に仲が良かったので警察の人が聞きたいことがあると説明した。
不安を感じて三人、顔を見合わせる。
アタシ達の不安を感じ取ったのか、同席していた婦人警官が柔らかい口調で私達に話しかけてきた。
最近の由佳に変わったことはなかったか?
聞かなかったか?
由佳の交友関係は?
由佳のことを聞かれてもアタシ達にはほとんど答えられなかった。
覚えてる範囲では変わったことも、なにか聞いたこともない。
交友関係なんてアタシ達以外に由佳が誰と遊んでて仲が良かったとかまるで知らなかった。
そして、最後に会ったのはいつか?
最後に連絡を取ったのはいつか?
事件当日の由佳が殺された時間は何をしていたか?とか。
質問はだんだん床が殺された日の、アタシ達のアリバイに関することになっていった。
「一応これは形式的なことで被害者の関係者にはみんな聞くことだから」
婦人警官が優しく言ったけどアタシ達は自分が疑われているのか?と思った。
でも質問に答えているうちに落ち着いてきたのか、逆に質問してみた。
「由佳はなんで…その…殺されたんですか?」
「誰が殺したとかは全然わからないんですか?」
アタシが質問したのに続くように杏も聞いた。
彩はまだ緊張と不安が抜けないのか、強ばったように座ったまま。
「お友達が亡くなって気持ちはわかるけど、まだ捜査中だからなにも話せないの。ごめんなさい」
婦人警官が申し訳なさそうに言う。
すると二人の刑事は互いに顔を見合わせて、なにかぼそぼそ話すと、そのうちの一人が意外な事を聞いてきた。
それは由佳と奈美の関係だった。
あおして今度は、奈美と最後に話したり、連絡を取ったのはいつか?とか聞かれた。
なんで奈美の事を聞くのか不思議に思った。
質問に答えていくと、三人の中でおそらく奈美と最後に話したのは彩で、昨日の昼間だったらしい。
電話で明日の学校が終わったら渋谷に行こうとか話したと答えた。
「奈美にも何かあったんですか?」
嫌な予感がしたので私が刑事に尋ねる。
すると刑事は顔を見合わせてから、うなずいて婦人警官に目配せした。
婦人警官はアタシ達を見て落ち着いた声で話し始める。
奈美が昨日から、正確には昨日の夜から家に帰っていないのだと。
現在は行方不明なのだと。
これから奈美の家に行こうと思っていたアタシ達は顔を見合わせて青ざめる。
背筋を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
それから30分ほど話してアタシ達は会議室から解放された。
なんだかひどく疲れたような気がする。
「どっかよる?」
学校から駅に向かって歩いていると彩がアタシと杏の顔を見比べて聞いてきた。
「そうだね……」
杏が答えてアタシの顔を見てくる。
「駅向こうのカラオケにしようか」
アタシが二人に言った。
二人は無言で私についてくるように歩いてきた。
みんな誰も口を開かない。
でもカラオケ店に着いて個室に入ると、一番口数が少なかった彩が興奮したように話しだした。
「どうなってんの?なんで、奈美まで行方不明なのよ?」
「わからないよ。彩、話したときなんか変わったことなかった?」
杏の問いかけに彩は首を振る。
「さっきも警察に言ったけど、全然普通だった」
「警察が聞くってことはさ、奈美が由佳が殺されてたことになんか関係してるのかな?」
杏がアタシに聞いてくる。
「わかんない…かもしれないし、関係ないのかもしれないし……」
アタシは自分達の周りで今起こっていることがなんなのか整理できないでいた。
昨日……
そう、昨日までは普通だった。
いつのも生活で、旅行にも行ってみんなで楽しんで……
ところが学校に来てみたら友達が一人は殺されて、一人は行方不明。
なんなのこれは!?
「もしかしてアタシらって疑われてんじゃないの?」
ふとした疑問を口にする。
「たしかにいろいろ聞かれたもんね……」
杏が腕を組んで神妙に言うと、彩が泣き出しそうな顔になった。
「私なんて今日はみんながいたけど、一人だったらわけわかんないよ」
たしかにあの警察独特の目つきというか、プレッシャーは言葉に言い表せないものがある。
よく冤罪事件とか耳にするし、アタシ達が犯人扱いされたらたまったもんじゃない。
「大丈夫だよ。彩。いろいろ聞いたのだって形式的なことって言ってたじゃん?」
「そうだけどさ……」
恐がる彩の肩にそっと手を置きながら言った。
自分で「疑われてるんじゃないか」と言いながら「大丈夫」というのは矛盾してるけど、そうでも言わないとアタシまでおかしくなる。
変なこと言わなきゃよかったと後悔した。
「そうだ!敏樹先輩とか、このこと知ってるのかな?」
「由佳のことは知ってるだろうけど、奈美のことはどうだろう?」
アタシが話題を変えるように言うと、杏が彩にふった。
「ニュースにもなってないみたいだし」
彩がスマホの画面を操作しながら言う。
「私、家に帰ったら聞いてみるよ」
「沙耶、奈美のこと話すの?」
杏が心配そうに聞く。
「うん。もしかしたらなんか知ってるかもしれないし」
奈美のことも警察からは誰にも言わないように言われたけど、言わずにはいられなかった。
だって彼氏なんだし。
その後、アタシ達は歌なんて歌う訳もなく、奈美に電話したりメッセージを送った。
でも二時間待ったけど奈美から電話も返信もなかった。
代わりに敏樹先輩からLINEがきた。
敏樹:由佳のこと聞いたけど大丈夫か?
心配してくれてるんだ。
なんか安心する。
沙耶:ありがとう!ちょっと話したいからあとで電話していい?
敏樹先輩からは「いいよ」と返信が来た。
急いで家に帰ってから、改めてスマホを見ても奈美からの連絡はない。
ほんとうにどうしちゃったのよ……?
ベッドに腰掛けると頭を抱えた。
まさか、奈美までどうにかなっちゃったってことは……
いやいや、それはない!
自分の中に浮かんだ不吉な予感を払うように頭を振った。
気持ちを切り替えて敏樹先輩に電話をしてみる。
「よお」
敏樹先輩はすぐに出た。
「先輩、今は大丈夫?話せる?」
「ああ。大丈夫だよ」
電話から車の音や騒がしい音が聞こえる。
「今って外?」
「ああ。佳祐と直也といるけど」
「ごめん。かけ直すよ」
「いいよ。それより由佳のこと大丈夫か?大丈夫っていうのも変だけど」
敏樹先輩の声は優しかった。
「うん。ありがとう……実はそれで話があったんだ」
「どうしたの?」
「由佳についてなんか聞いてない?旅行のあとから……そう、なんか変な奴に目をつけられたとか怖がってたとか先輩たちの誰かに相談してたってことはないかな?」
「それ、俺らもさっき話してたんだよ……でもみんな知らないんだよな」
そっか……
「じゃあ先輩、奈美のこと知らない?」
「えっ?奈美?」
「先輩じゃなくても、誰か……直也先輩か佳祐先輩でも、最近奈美と話したり会ったりした?」
「さあ……ちょっと待ってろよな」
そう言うと電話の向こうから敏樹先輩が二人と話す声が聞こえた。
少しして、答えが返ってきた。
「誰も旅行のあとは会ったり話したりしてねえみたい」
「そうなんだ……」
「なに?なんか、奈美にあったの?」
「奈美、実は昨日から行方不明なんだって」
「マジかよ?」
敏樹先輩の声が大きくなった。
アタシは、学校が終わってから警察に杏と彩の三人でいろいろ聞かれたことを話した。
「大丈夫か?これからそっち行こうか?」
「ありがとう。でも今日は疲れちゃったから」
敏樹先輩の言葉は嬉しかった。
でも今日はそんな気分になれない。
「ごめんね。せっかく心配してくれたのに」
「いいよ。今日はゆっくりしてろよ」
「ありがとう……」
自分の中で不安な気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
「そうだ!明日とかってみんなで会える?」
杏と彩も心細いだろうし、こういうときはみんなで会って話した方がいいのかも。
アタシが説明すると敏樹先輩は快く返事してくれた。
電話を切ってからベッドに寝転がる。
もう、さっきの恐いやら心細いような気持ちは薄れていた。
それにしても誰が由佳を殺したんだろう?
絶対に許さない。
捕まったらマジで死刑にして欲しい。
だいたい警察はなにやってんだか。
アタシ達にあれこれ聞く暇あったら仕事しろって。
落ち着いた私は、誰ともわからない犯人や警察に対して怒っていた。
まあ、警察に対しては八つ当たりみたいなもんだけど……
頭にきたままベッドに横になった。