第27話 妹
◇
家に帰り、何か食べるものがないかなと冷蔵庫を物色していたら、お母さんがリビングにやって来た。どうやら今日は休みのようで、一日中寝ていたらしい。
板川さんとのことがあって気まずかったけど、「おはよう」と声をかけた。お母さんからも「おはよう」と返ってくる。
「昨日はごめんね。疲れたでしょ」
昨日、お母さんは板川さんを庇うような行動を取った。だけど、冷静になった今、しっかり謝ってくれる。嫌な人ではないのだ。
「ううん。こっちこそごめんね」
そう言ってから、冷蔵庫をパタンと閉めた。めぼしいものは何もなかった。
「龍二から聞いた。三莉の部屋に勝手に入ったんだってね」
「うん」
「私の部屋だと思って入ったって言ってたけど、信じられないわよね。こっぴどく叱っておいたから」
「……別にもういいよ」
お母さんがそう言ってくれたから、気持ちの落とし所がついた気がした。正直、まだ胸はムカムカしていたけど、時間が解決してくれると思った。
「三莉、何か困っていることはない?」
うーん。困っていることかぁ。あっ。
「私、かわいいパジャマがほしい」
「パジャマ?」
「うん。駄目かな?」
「もちろんいいわよ。どんなのが欲しいの?」
「えっとね」
私はスマホを取り出して、前に見た通販サイトをお母さんの前で開いた。
南雲さんと会う時に着られるような、かわいいパジャマが欲しかった。
「へぇ。いろんなデザインのものがあるのね」
パジャマの項目でヒットしたものを、端から順番に見せる。
「うん。新作が次々に出るんだ」
「……今度、一緒に買いに行く?」
私の目を見ながら、優しくそう言った。
「うん!!」
嬉しい。まさか、お母さんから誘ってくれるなんて。
昨日は絶望するくらい嫌なことがあったけど、こんな風に思いがけず良いことがある。そんな毎日の繰り返しで傷も癒えていくのかな。
お母さんに彼氏ができてもいい。だけど、私を一番に見てほしかった。そんなことを板川さんと会って、気づくことができた。
私は人の気持ちを読もうとするくせがある。それなのに、自分のこととなると時間をかけて本当の気持ちを知ることになる。
それはまだ私が子どもだからだろうか。大人はすぐに自分の気持ちに気付くことができるのだろうか。早く大人になりたいな。そんなことを、ふと思った。
◇
「三莉、それってFURILのパジャマだよね? かわいい」
「うん! わかるの?」
日曜日。22時ちょうどに、南雲さんが私の部屋にやってきた。今日は、お母さんと出かけた時に買った、おろしたてのパジャマを着ていた。パープルカラーのリボンがついたシャツとショートパンツ。デザインがかわいくて一目惚れしたパジャマだった。
お母さんとは昨日、朝から晩まで出掛けていた。ランチに、コース料理を奢ってくれて嬉しかった。メインの牛フィレ肉のステーキが美味しかった。
南雲さんがFURILのブランドを知っているのは意外だった。彼女はいつもシンプルなTシャツにジャージを着ている。
「わかるよ! だって、妹が好きなブランドだったから」
えっ?
「……確か南雲さん、前に一人っ子って言ってましたよね」
前に兄弟がいるか聞いたとき、彼女は「いない」と言っていたはずだ。だから、てっきり私と同じ一人っ子だと思っていた。
「うん。正確には"いた"んだけどね」
ゾクっと鳥肌が立った。目がこちらを捉えていても、私自身を見ているわけじゃないと感じたからだ。
「——わたしの妹、自殺したの」
その言葉を聞いたとき、世界が一瞬、凍りついたような気がした。頭で何も考えられなくなる。
何か言おうとしても、言葉が出てこない。
「……年は、三莉と同じだったなぁ。わたしの一つ下」
南雲さんが私に向き直る。
「……自分語りしても良い?」
私に配慮なんてしなくて良いのに。
無言で頷いた。
「私の妹の名前はナノカ。しっかり者で、わたしのたった一人の妹だった。これは言っちゃいけないことなのかもしれないけど、三莉に似ていた気がする」
南雲さんは目を伏せ、床を見つめながら口を開いた。
「ナノカは嫌なことがあっても一人で耐えるタイプだった。ナノカが何に悩んでいたのか知ったのは、亡くなった後だった。高校で仲良しの友達から仲間外れにされていたことだった。わたしは何もしてあげることができなかった」
南雲さんは表情を変えずに淡々と続ける。目に溜まった涙がツーと頬を伝った。私は側にあったティッシュを渡す。
「信じられなかった。ナノカが死ぬなんて。耐えられなかった。夢じゃないかと思っていた。今も夢を見ているように感じる」
私は南雲さんを抱きしめた。床にぺたんと座った彼女の肩が寂しそうで、居ても立っても居られなかった。
「三莉……」
「南雲さん?」
「こんな風にクローゼットを通じて、三莉に会えるのも魔法のようだよね。まるで夢のよう。だけどね、亡くなった人間を生き返らせたり、会ったりすることはできないんだ——」
南雲さんは嗚咽を漏らしながら涙を流した。震える肩を見ていると、胸が締めつけられる思いがした。