序章 灰色少女の回想
母が病でこの世を去ったのは、ティーが11歳の時だった。
ベッドから起き上がれなくなってからも、母は口癖のように、ティーに言って聞かせた。
「ティー、よく聞いて。これから何があっても、誰に何と言われようとも、あなたは自分を信じてあげて。」
ティーの右手を、しっかりと握って。やせ細ってしまった母の両手は白く冷え切っていて、しかしそれでも温かかった。
「お母様があなたに教えられることは、全部伝えたわ。あなたはどんな場所に出しても恥ずかしくない、私の自慢の娘よ。だからあなたは胸を張って、そして謙虚さを忘れずに、これからも学ぶ努力を怠らないで。そうすればいつかきっと、出逢えるはずよ。あなたが心から、支えたい、力になりたいと思える御方と。」
ティーは、今にも涙が零れそうになるのを必死に堪えながら、母の言葉にじっと聴き入る。
「そして、その人を見つけ出した時には――あなたはもう、この家を捨てても構わないわ」
母は、それから数日後、静かに息を引き取った。
――あれから、6年。
今日も、早朝から身支度を済ませたティーは、質素な屋根裏部屋に辛うじて置かれた姿見を横目で見やる。
(…お母様は、『この家を捨てても構わない』とおっしゃったけど)
母譲りの紫の瞳、瘦せこけた頬。身に着けるのは粗末なメイド服。
煤を被ったような灰色の髪は、小さくまとめて三角巾の下に隠していた。
(実際に捨てられたのは、私の方だった…)
ティーは鏡から目を反らすと、いつも通り炊事場へ降りていくのだった。




