第7話 異端狩りと嵐の到来2
「河水、河水雪!」
耳をつんざく怒声に目を覚ますと、目の前に木原先生のごつい顔が浮かんでいた。
「そんなに、先生の歴史の授業が退屈だったかなぁ……!?」
血管を浮かび上がらせている先生の顔をしげしげと眺めて、それから状況を把握、いや思い出した。
ああ、そうか。授業中にバルベーロに接続したんだっけ。
「とても参考になったので、睡眠学習していました」
「ばかもんがぁ!」
ごつっと頭をはたかれると、周囲がどっと笑う。
「雪、寝過ぎだよ」
隣の机の理恵が、くすくす笑ってこちらを見ている。
その笑顔に今朝僕がやった彼女への裏切り行為を思い出して胸が痛み、それでも今は平気な彼女を見て少し安心した。良かった、もういつもの理恵だ。
「全く……」
木原先生は、ため息をつきながら教壇へと戻る。
「いいか。2030年、高次元生命体が出現した。まぁ、一般には神と呼ばれているが、さすがに教科書にその呼び名は載っていない。で、この生命体は、この世界の滅亡の必要性を説き、この宇宙の物理法則を書き換えた。地球は公転をやめ、地球の周りを太陽やその他の天体が回るようになった。古代の天動説、この星を中心に天が回るという考え方が現実のものとなった。そうして、宇宙を簡略化した高次元生命体は、この世界を滅ぼすために巨大な剣を出現させ、太陽に突き刺そうとした。しかし、国連で核の正式な使用許可が出て生命体に向けて投入。これを撃退することとなる」
先生はここまで言ってから、皮肉めいた小さな声で、何かを喋った。
「まるで、SFかファンタジーを喋っている気分になるな……」
僕には、そう聞こえた。先生は何もなかったかのように、話を続ける。
「しかし、問題はその後だ。高次元生命体が人類に残した、この世界は間違って生み出された、というメッセージが強調されて民衆に伝わり、この世界を崩壊させることこそが神の望みだとする考え方が広まった。この考え方は、実在する神からのメッセージ、the MEssage FRom the Existing Godを略して、メフレグ主義、または短くメフレグと呼ばれている。今ではこの世界の規律や道徳に反する行いをメフレグなんて表現したりする場合もあるが、厳密な意味はさっき言ったように高次元生命体、つまりは神からのメッセージに従い、神の望み通り世界を崩壊させようとする思想のことだ。メフレグ主義者によるデモ、暴動、テロ、果ては集団自殺が各地で勃発し、国連はそれに対応するために2031年、反メフレグ宣言を打ち出し、各国がそれに批准している。その四か条についてだが……」
そこまで喋ってから、グランドから大きな騒音が聞こえた。
「自己破壊せよ!」
グランドを見やると、百人以上の生徒たちがスピーカーを持って、校舎に向かって叫んでいる。
「教師も、生徒も、無意味な授業は即刻中止にするべきだ! この世界は間違って生み出された。この世界の知恵など、悪魔の知恵でしかない! 我々はもっと深遠な、神の知恵を学ぶできである! 神の知恵は、こうのたまう。自己破壊せよと!」
彼らが一言一言喋るたびに、窓ガラスが震える。先生はため息をついてから黒板に大きく自習と書いて出て行った。教員総出で生徒指導に当たるのだろう。
「また、自習?」
「はじめは嬉しかったけど、もう飽きちゃったよー」
生徒はがやがやと騒ぎ始める。いつもの、壊れた学校生活の始まりである。
外では先生たちと生徒の怒号が鳴り響き、教室の中ではけだるく間延びした声が響く。この学校でまともな授業ができなくなったのは、ほんの二月ほど前から。赤井先輩がメフレグ研究会を立ち上げてから、メフレグにかぶれる生徒が急増して現状に至る。
それにしたってと僕は思う。いくら研究会が立ち上がったとしても、ここまで爆発的にメフレグが伝染するものなのだろうか。
「もぉっ、みんなうるせぇな!」
立ち上がって輩のように大きな声を上げたのは、羽田弥生だった。
「おわっ、学級委員長がお怒りだわ……」
後ろの男子が恐る恐る呟く。
学級委員長っていうのは、眼鏡をかけていていかにも優等生のような生徒を思い浮かべるものだが、うちの委員長は違う。いかにもあっち系の鋭い眼光と危険な言葉を連呼する女の子だった。
「いい? 次誰か喋ったらぶった切るわよ」
何も持っていないその手に刀が見えるような気がするのだから、委員長の剣幕恐るべしだ。教室が一気に静まり返る。
僕はぼんやりその様子を眺めながら、思わずくすりと笑ってしまった。
こんな崩れきった学校を、クラスを、そんな怒声を出してでも元に戻そうとしている。彼女は、何のためにそんなことを? 学級委員長としての役割? その役割を全うしたい意地? それとも……。
この世界の規律自体、もはや何の価値もないかもしれないのに。
「そこっ、河水!」
びしっと指さされて、僕は思わず立ち上がる。
「は、はい」
「何笑ってるの?」
見られていた。周囲から念仏が聞こえてくる。
「い、いやぁ、なんか」
「なんか、何」
こめかみに青筋が浮かんでいるその顔に鬼を重ねながら、言い訳を考えてみたが何も思い浮かばず、そのまま本心を喋った。
「いや、羨ましいなぁって」
予想していなかった答えだったのか、羽田さんはぽかんと口を開けた。
「何が?」
「君が」
「どこが?」
「だって、」
僕は笑う。
「間違ったことを正すことに、そんなに一生懸命なんだもの」
何が正しいか分からなくなった世界で、何が正しいのか確証もなく。
僕にはもう、世界の本当の姿なんて、メフレグと反メフレグのどちらが正しいかなんて、分からなくなっていた。
隣で心配そうに僕を見ている理恵を見つめ返す。
ただ、理恵が望むなら、全て覆そう。世界も、神も、何もかもを裏切ってでも。
自分の心も。
「まぁまぁ、弥生。そんな怒らないで」
理恵が場を取り繕うように、羽田さんに声をかける。
「ほらほら、みんな仲良く自習しよう?」
「あーん、もう理恵かわいい!!」
羽田さんが理恵に飛びつく。この学級委員長の大好物は、須々木理恵なのだ。
「ってか、弥生。よく見たら目の下にくまできてない?」
「うーん、ちょっと寝不足でね。そんなことよりも、理恵ー。うりうり」
ほっぺたを理恵にすりつけている羽田さんを見て、悪寒どころかむしろ興味深ささえ感じる。人間って自分にないものにこんなにも引き寄せられるものなのか?
その疑問が自分の胸に跳ね返ってきた気がして、息苦しくなる。
そうか、そうだな。
僕も、同じだ。