第6話 異端狩りと嵐の到来1
「どういうことでしょうか?」
僕は神殿の祭壇の前に立っていた。自分が発した声が高い天井に響き渡り、僕の耳を震わせる。
巨大な神殿の中で何百人にものぼる人たちが壁際に寄り添って立っている。彼らはアイオーンと呼ばれ、ソフィアの中では二番目に高い階級とされる。この聖域バルベーロの兵士として待機し、指示が出されるのを待っている。彼らは黙って僕を見ている。
ここバルベーロは、ソフィアとして選ばれた者のみが意識のみで接続できる特殊空間。どの場所からでも、いつでもアクセス可能だ。
僕の前には、仮面を装着したソフィアのトップがいた。顔を見られないので、女か男かも分からない。ただ、僕らはこの素性が分からないが圧倒的力を持つこの人を、この人が自称するままカインと呼んでいる。
「カイン、昨日僕の街に僕以外のソフィアが入り、敵側の救世主を殺そうとしてきました」
「……それで?」
静かに研ぎ澄まされた声が、耳を刺した。声色も中性的で、男か女か、若いのか老いているのかも分からない。
全くこちらの発言に動じる気配のないカインに動揺しながら主張する。
「それでって……、彼女を殺すのは僕の役目です。なぜ、あのような者が……」
「救世主殺しがあなたの役目だというならば、早く成し遂げなさい。裏切りの子よ」
その呼び名に、僕はぎりっと奥歯を噛みしめる。
「……まさか、あれはあなたの差し金ではないでしょうね。カイン」
「全ては神のご意志のままに」
仮面の奥からの冷たい声からは、何も読み取れない。
冷たい汗が額から滴り落ちる。
「……任務は果たしますよ、いつかね」
僕は全くの大嘘をついて、何とかその場を凌ぐ。
理恵を守る力を得るためにあの日、メフレグの神と契約をしてソフィアになってしまった僕は、理恵を殺すつもりは全くないのにこうして救世主殺し、つまり理恵を殺す任務を独占し、かつ、それに手間取っているふりをして時間を稼ぎながら他のソフィアたちから理恵を、さらには僕らが住んでいる街やその周辺地域を守っている。しかし、それもいつまでもつか。
本当に理恵を守りきるためには、いつかはカインをも倒さねばならないのか。
しかし、この人の化け物じみた強さはアフリカ制圧のときに目の当たりにした。空間切断、いわば見えざる無数の刃。正直、僕のハルモゼールで対等に渡り合えるとはとても思えない。
「時間はそう残されていません。反メフレグの神によるパナリオンを用いた反撃は、世界各地で起きています」
カインが僕へと手を差し伸べる。手のひらの上に、映像が浮かび上がる。
巨大なサイのような獣が映った。それが、次から次へと人を蹴散らしていく。その上には、目を閉じて黒い服を着た長い金髪の女性が座っている。
「欧州を陥落させたマリア=デル=モンフェラート、彼女は伝説の怪物を召喚し、その力は欧州連合の全軍隊をも凌ぐと言われています」
映像が切り替わり、今度は砂漠が映し出される。その砂漠には幾つもの炎の渦が出現し、人を巻き上げては焼き尽くしている。一際大きな炎の渦の前に男が一人立っている。逆立った黒の髪に、雄々しい髭。
「豪州を制圧したアレク=ジルファ。1000万度に近い浄化の炎を出現させ、ソフィアを焼き尽くす豪州の雄。安定していたはずの豪州の勢力図を覆した彼の力は、ソフィアにとって、ましてや私やあなたのようなソフィア最上級のバルベーロ四聖人にとっても、脅威です」
映像が消え、カインはゆっくりと僕のもとへと歩いてきた。
「裏切りの子よ、急ぎなさい」
「……分かっています」
「あなたの国に、救世主の守護者として強力なパナリオンが存在する可能性もあります。昨日、あなたの街を訪れたかの殉教者は、その者に殺害された可能性があります」
確かに、昨日のあの男が殺されたことには驚いた。
「僕は、去れと言っているんだ」
あのとき、男は素直に身を引いた。
最後に彼が残した言葉を今でも覚えている。
「私が見殺しにしてきた患者は、私を恨んでいるでしょうか」
僕が公園から去る間際に、彼はこう呟いた。
あえて残酷な言葉を吐くこともできたけれど、そうはしなかった。
見えない真実なんて、一体誰が望むというのか。真実よりも優しい物語が必要なのだ、彼にも、僕にも。
「さぁね。今頃神のもとへ召し上げられ、天国で平和に暮らしているんじゃないかな。こんな、」
そこだけ、僕は実感を込める。
「こんな、苦しいばかりの世界から解放されてさ」
そのときだけ、男は心から笑った気がした。
その彼が首を切断されて死んでいた。しかも、同じ公園で。僕が去ってすぐに殺されたことになる。食卓で礼さんの前でできるだけ素知らぬふりをしていたが、動揺がないといえば嘘になる。アイオーン級の実力があったと思っていただけに。
「しかし、カイン。救世主の力、ゴスペルは予想を遥かに超えて強力です。彼女の一言で、このバルベーロに炎の雨が降ることになります。守護者としてのパナリオンの存在も気になりますし、迂闊なことはできません」
ここまで言えば何とかこの場をやり過ごせるだろうと確信した矢先、その期待は唐突に砕かれる。
「なんだ、なんだぁ。随分、盛り上がってんじゃねぇか、ブラザー」
よりによって、一番ややこしいやつが入ってきた。
「どうなさいました、反逆の子、ネブロ=マルクス」
青い長髪をなびかせて、意気揚々と僕らに近づいてくる。中指を立てて、彼はせいせいとした表情を浮かべた。
「いやぁ、米国をファックしてきたので、その報告に」
べーっと舌を出す彼に、僕は目を見開く。
まさか、こんなにも早く。
「落としたのか、米国を」
「ああ、パナリオンもろともな」
本格的に投入されてからまだ二ヶ月しか経っていないというのに。
やはり、腐っても……。
「さすがは、バルベーロの四聖人が一人。大した働きです」
「お褒めにあずかり光栄ですよ、我らがボスさんよ」
そう言ってから、ネブロは僕をじっと見て、それからにやっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
嫌な予感がする。
「そっちは随分手間取ってるみたいじゃねぇか、裏切りの」
「……まぁね。さすがに、救世主は手強いよ」
「うんうん、そうだろうそうだろう。なんせ、彼女が出現してからお前の小さなアイランドで、急にメフレグの伝道が進まなくなったからなぁ。大したもんだわ、メシアってのは」
そこで、ネブロは妙案でも思いついたと言わんばかりに中指を突き立てて大声で宣言する。
「だから、俺もお前のアイランドに参戦することにしたぜ!」
僕は度肝を抜かれて、一瞬言葉を失った。
『反逆』のネブロが、僕の街にやって来るだと。
「待て……、君の援助はいらない。僕だけで十分やれるよ」
できるだけ冷静を装って彼を追い返そうとするが、ネブロは僕の肩に手を回してしげしげと頷く。
「うんうん、そうやって相手に気を遣わせまいとする心、お前の良いところだぜ? けどな、ブラザー。苦しいときは頼ってくれねぇと」
にかっとネブロは満面の笑顔を浮かべた。
「実は俺、今、お前のアイランドへ向かう飛行機の中からバルベーロに意識を接続させてんだよね」
「今すぐ帰れ!!」
そう絶叫したのと、僕の意識の接続がバルベーロから切り離されたのは同時だった。