第95話 存在意義
メアソーグ王城の訓練場では、イルがフリアと剣術の稽古中だ。だが調子の悪いイルは稽古に身が入っていなかった。体調不良ではないがフリアの攻撃を受け止めきれず、木剣は手から離れ、宙を舞って地面に落ちた。
「集中できてないな。休憩にしよう」
「すいません・・・」
二人はベンチに座り、ゴクゴクと水を飲んだ。
「あの子たち、いつ帰ってくるのかねぇ」
フリアは空を見上げながら言った。
あの子たち、とはもちろんアンジュたちのことだ。アンジュは、早ければバッジャキラに着いた翌日に帰ると言っていた。だがすでに四日が経っている。
「フリアさんは心配じゃねえの?旦那が帰ってこないのに」
「イルも聞いただろう?帰国が遅れてる理由」
レイフォナーはピアスを通してバラックと連絡を取り合っている。光剣を手に入れるため、アンジュが出された条件に取り組んでいる、危険なことではない、とイルは聞かされた。それでも心配で稽古に集中できないのだ。
「戦に出向いたわけじゃないんだ。そんなに心配することないよ。なあ?ダンデ」
「ん?」
イルは右隣を見た。
「うわ!なんでお前がいるんだよ!今日は稽古日じゃないだろ!?」
「・・・いつものメンバーがいないと、ちょっと寂しいよね・・・」
「お前もそんな調子なのか」
と、フリアは呟いた。
イルは、はぁとため息をついた。
いつの間にかダンデリゼルが隣りに座り、話しかけられるまで気配に気づかなかったことに、相当気が散っているのだと反省した。こういうときいつものダンデリゼルなら、『気配に気づかないなんて、ポンコツだね〜』などと言ってからかってくるはず。だがそんな気力はないようで、脚に両肘をのせて頬杖をついている。ぼーっと遠くを見ながらつまらなさそうにしている姿は、自分と同様にアンジュたちが心配なのだ。
そんな少年たちを見かねたフリアは立ち上がって、二人の前で仁王立ちした。
「よし!今日の稽古は終わり!イル、ダンデ、このあと時間あるか?子供たちも連れて、美味しいものでも食べに行かないか?おごってやるよ」
「行く!ハルもいいのか?」
「もちろん。うちの娘たちも大喜びだろう。ダンデはどうする?」
「行くに決まってるじゃん!」
「よし。じゃあ、片付けようか」
フリアはそう言うと、自身とイルが使っていた木剣を手にして備品庫へと向かった。イルはコップなどが載っているトレイの持ち手を掴んで立ち上がろうとしたが、それを阻むようにダンデリゼルが顔を覗き込んだ。
「ねえねえ、イル。今日僕んちに泊まりに来ない?」
「えー・・・」
「ちょっと!なんでそんな嫌そうな顔なの!」
フリアが二人のもとに戻ると、いつもの調子を取り戻したようにじゃれ合っている。やれやれとため息をつきながらもその光景に心が和み、「ほら、行くぞー」と声をかけ、二人と一緒に子供部屋に向かった。
バッジャキラ滞在六日目。アンジュはキュリバトと王宮の中庭を散歩していた。
毎日砂漠に光魔法を使ったことで、全体の半分ほどが潤いを取り戻した。砂漠に行けばやる気を見せるアンジュだが、王宮でのんびりと過ごしていると、よくため息をもらしている。キュリバトはその理由を理解しているため、あえて触れないようにしていた。
「アンジュさん、お疲れでしょう?お部屋で休まれては?」
「そうですね・・・戻りましょうか」
アンジュがそう答えたときだった。
「こんにちは」
と後ろから声をかけられた。
アンジュとキュリバトが振り返ると、そこにいたのは初見の女性にもかかわらず誰なのかわかってしまった。
心の中でチッと舌打ちしたキュリバトの目つきが鋭くなった。この人物こそ、アンジュのため息の原因だからだ。
「バッジャキラ王国第一王女、ラハリルと申します」
「は、はじめまして!メアソーグから参りましたアンジュと申します!この数日、王宮でお世話になっております!」
供も連れずに突然現れたレイフォナーの婚約者候補に、アンジュは足がすくんでしまった。
ラハリルがどのような女性なのか考えたことがあったが、想像以上に美しく清楚な雰囲気で、年下とは思えないほどの落ち着きを払っている。ほのかに浮かべている笑みは儚げで、憂いを帯びた表情にも見えた。
ラハリルは近くにあったベンチに腰を下ろすと、「お掛けください」と言って隣に座るようアンジュを促した。遠慮がちに端に座ったアンジュは、ラハリルの目を見れずにいた。
「バッジャキラは暑いでしょう?」
「えっと・・・はい。ですが、カラッとしてるので過ごしやすいです」
「砂漠が拡大したのは、この暑さも影響しているのでしょうね」
ラハリルは正面を向いたままのアンジュを見つめた。
「砂漠が緑を取り戻しつつあると、兄が嬉しそうに話しておりました。アンジュ様、ご尽力感謝申し上げます」
そう言われ、アンジュは思わずラハリルに目を向けた。
「そんな・・・お役に立てて、私も嬉しいです」
ユアーミラの件があり、なんとなく婚約者候補には敵意を向けられるものだと思っていた。だがそれどころか、友好的で感謝を伝えてくる姿勢に拍子抜けしてしまった。自分とレイフォナーの関係を知らないのだろうか。
「本当は条件を断りたかったのではありませんか?」
「え・・・?」
「レイフォナー殿下からお聞きしました。アンジュ様と恋仲であると」
それを知っているにもかかわらず、なぜこんなにも穏やかに接してくるのだろう。自分を邪魔に思わないのだろうか。
「あ、あの・・・」
ラハリルは、言葉に詰まっているアンジュの考えを察した。
「私は他国へ嫁ぎ、国同士の良好な関係を保つための駒にすぎません。お相手に想い人がいようと妃という地位に縋り、務めを果たすまで。それこそが私の存在意義なのです」
それを聞いて、アンジュは胸や喉元が苦しくなった。
その志は立派だが、それだとラハリルの尊厳はどうなるのか。王族とは民から羨望の目を向けられる存在だが、その特殊な生まれゆえに自由や憧憬を捨てるなど悲しすぎないか。
それに『駒』や『務め』という言葉がひっかかる。ラハリルにとってレイフォナーに嫁ぐことはあくまで王命であり、本意ではないのだろうと感じた。
「レイフォナー殿下のこと、お好きではないのですか?」
というアンジュの問いに、ラハリルは言葉を選んでいるのか少し間を置いた。
「・・・第一王子という重責を背負いながらも、周囲の期待に応えるべく品性や知性を身につけ、民を思いやる姿に尊敬の意を抱いています。ですが、色恋の好意はありません」
「ラハリル王女には、他に思いを寄せるお相手がいらっしゃるのですね?」
そう言われたラハリルは目を丸くしたが、少し俯いて小さく答えた。
「・・・さあ、どうでしょう」
はぐらかされてしまい、アンジュはそれ以上深堀りできなかった。すると、遠くから声が聞こえてきた。
「姫様ー!」
「ラハリル様ー!」
という、迷子の子どもを捜すような声が近づいてきた。
「あらあら、戻らなくては」
と言ったラハリルを視界に捉えたメイドたちは、一目散に駆け寄ってきた。
「勝手に出歩かないよう、何度も申しておりますのに!」
「あなたたちこそ、どうして私を見失うのかしら?」
このようなやりとりは日常茶飯事のようで、ふふっと笑ったラハリルは悪びれた様子もなく立ち上がった。そしてアンジュに向き直り、笑顔を浮かべた。
「お引き止めしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、アンジュ様とお話しできて嬉しかったです」
では、と言って一礼し、迎えに来たメイドたちと去っていった。




