第88話 お礼と思い出
「やった!」
「当たるようになってきましたね」
アンジュは王城の庭で、風魔法でつくった縄を手のひらでコントロールして薪に当てるという自主練の最中だ。薪を地面に置いた状態では距離をとっても当てられるようになったため、最近はキュリバトが魔法で宙に浮かして不規則に動かしている状態で当てることに挑戦中だ。
自主練を切り上げようとしたとき、後方から声をかけられた。
「精が出るわね」
そう言ったのは、五メートルほど離れた場所で三人の侍女を連れている王妃だった。数日前にベッドの上で死の淵を彷徨っていたとは思えないほど、威厳と気品に満ちた立ち姿だ。
「お、王妃殿下!こんにちは!」
突然のことで気の利いた挨拶ができず、とりあえず頭を下げた。初めて顔を会わせたときのように厳しい言葉が返ってくるのか、それとも何も言わず去っていくのか。「お加減はいかがでしょうか?」くらいの挨拶が咄嗟に言えなかったことを反省しながら、ドキドキと忙しなく音を立てる胸と、長く感じる一秒一秒を堪え続けた。
「頭をお上げなさい」
その声があまりにも近く、上を向くと目の前に王妃が立っていた。間近で見下ろしてくる王妃の目は、以前のような冷たさを感じなかった。
「稽古はまだ続くのかしら?」
「きょ、今日の稽古は終了しました」
「このあとの予定は?」
「特に何も・・・部屋で本でも読もうかと・・・」
「では、こちらへ」
歩き出した王妃の後ろ姿を眺めていたアンジュは、キュリバトに声をかけられるまで何を言われたのか理解できずにいた。
「お茶に誘われたのでは?参りましょう」
到着したのは、王妃と初めて顔を合わせた薔薇園の東屋だった。
そのときの苦い記憶が鮮明に甦ってきた。転移後王城で世話になっているときのことだ。王妃に呼び出され、拙い挨拶を侍女たちに笑われ、レイフォナーには相応しくないと説かれ、村に帰るよう言われた。
もしかして、今も王城で世話になっていることを怒られるのだろうか。
アンジュが突っ立っていると、王妃は右手で空いている椅子を示した。
「どうぞ」
「は、はい!失礼します!」
着席したアンジュは緊張のあまり、王妃から視線を外したまま体が固まってしまった。
「甘いものはお好きかしら?」
思ってもみなかった質問をされ、思わず王妃と目を合わせてしまった。
「あっ、は、はい!好きです・・・」
「どれでも自由にお取りなさい」
周囲が全く目に入っていなかったが、テーブルの上にはケーキやクッキーが並んだ二段のケーキスタンド、目の前には淹れたての紅茶が優しい香りを漂わせていた。
「い、いただきます・・・」
ケーキスタンドの下から上の段へと視線を動かし、一番下の段のケーキを取り皿にのせた。といっても見た目はサンドイッチのようで、やわらかな生地の間に生クリームと果物が挟んである。最近は体型が気になっていたこともあり、生クリームは控えていたのだが妙に魅かれてしまった。一人のお茶の時間なら、間違いなく口を大きく開けてかぶりつくだろう。だが今は王妃の前であり、上品に見えるよう口に運んだ。
「んんっ!?おいひい!」
あまりの美味しさに、口をモグモグしながら喋ってしまった。これは確実に怒られると思っておそるおそる王妃に視線を移すと、予想だにしない表情にゴクンと大きな音を立てて飲み込んでしまった。
王妃は懐かしむような、悲しそうな顔で目に涙を浮かべていた。
「アーメイアもそのケーキが大好きで・・・私の前だけでは令嬢らしからぬ食べ方をしていたわ。大きな口を開けてケーキにかぶりついて・・・あなたと同じような表情を、して・・・っ」
「母をご存知なのですか!?」
王妃はナプキンで目元を押さえた。
「あら、レイフォナーは何も話していないのね・・・アーメイアは幼馴染みで唯一の親友です。彼女があなたに残した手紙を、わたくしも読ませてもらいました」
「そうでしたか・・・」
そういえば、国王と初めて顔を会わせたときに『面影がある』と言われた気がする。母は公爵家の娘だ。国王とも友人だったのかもしれない。
「日を改めて、わたくしの部屋にいらっしゃい。アーメイアからの贈り物や思い出の品を見せてあげます」
「はい!ありがとうございます!」
王妃は、笑顔のアンジュにアーメイアの姿が重なった。一緒に勉強したときのこと、遊びに出かけたこと、恋愛の話しで盛り上がったことーーーいくつもの記憶が呼び起こされた。思い出に浸りたいところだが、今日アンジュをお茶に誘った目的を果たしていないと気づいた。
コホン、と咳払いした王妃はアンジュをまっすぐ見据えた。
「アンジュさん。あなたのおかげでわたくしは命を繋ぎ止め、事故前と変わらない生活ができています。心より感謝します」
まさか礼を言ってもらえるとは思っていなかったアンジュは驚いたが、嬉しさのあまり胸がいっぱいになった。
「身に余るお言葉です・・・これからもお役に立てるよう精進します」
レイフォナーの生涯の相手として認められたわけではないが、王妃との距離が少し縮まったように感じ、勇気を出してお願いしてみることにした。
「あの、母のこと色々教えていただけませんか?」
そう言われた王妃は微笑んだ。
「あなたも、わたくしの知らないアーメイアを教えてちょうだい」
「はい!」
王妃との二度目のお茶会は母との思い出を語り合い、時々笑い声を上げてしまうほど楽しい時間になったのであった。




