第86話 呼び出し
「アンジュ、反応が遅い!イルはもっと体を大きく使え!」
そう言われたアンジュとイルは、二対一でフリアと戦闘訓練中だ。
アンジュはタイミングを窺いすぎてなかなか攻撃できず、防御に至っては剣を受け止めきれずに転んでばかりだ。イルは健闘しているが、フリアの舞うような剣技に比べると体が縮こまり動きが硬い。フリアは後頭部にも目が付いているのだろうかと思うくらい、背後からの攻撃にも瞬時に反応している。
「今日はここまで」
と言ったフリアは多少息が上がっているが、まだまだ余裕がある。アンジュとイルは地面に座り込み、改めて実力の差を痛感した。
「これでっ、ブランク、ありって、嘘だろっ・・・」
息を切らしながら言ったイルは、額の汗を拭った。
「現役騎士はあたしより強いぞ」
アンジュは呼吸することが精一杯で会話に入れなかった。
「でも、二人とも少しずつ成長してるよ」
キュリバトにコップを渡された三人は水分補給をして、稽古を終えた。
お迎えのために子供部屋へ向かうイルとフリアに、アンジュも同行するのが恒例になっていた。室内に入ると、床に座るハルを囲むようにして四人の女の子たちが立ったまま白熱した争いを繰り広げていた。
「ハルのおよめさんはタリアなの!」
「ずるいよ・・・きょうはルリアのばんだよ」
「なにを言ってるのです?わたくしがふさわしいに決まっています」
「はあ?ハルはわたしのことがすきなんだから!」
どうやら、おままごとでハルの妻役の座を狙って議論が起こっているようだ。タリアとルリアはフリアの子供で、数日前から加わった二人の女の子は、遊び相手が多いほうが楽しいだろう、と考えたレイフォナーが声をかけた使用人たちの娘や孫だ。昨日は別の子供たちの姿もあり、子供部屋はすっかり賑やかになった。
ハーレム状態のハルは、女子たちに気圧されることなく場を仕切り始めた。
「みんな、じゅんばん!きのうはタリアちゃんがおよめさんやくだったから、きょうはルリアちゃんのばん」
一番年下でありながらハルの発言は効果絶大で、大喜びのルリア以外の妻役候補者たちはしぶしぶ了承した。
それを見ていたアンジュたちは、各々異なった感情を抱いていた。
「ふふ、みんな可愛い!ハル、モテモテだね」
「他に男の子いないのかよ・・・」
「うちの子たち、家でもハルの話ばかりしてるんだよ」
「誰かさんみたいな不誠実な男にならないといいのですが」
「ハルはきっと大丈夫ーーー」
とアンジュが言いかけたとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
二人の侍女のうち一人が対応に当たった。いくつか言葉を交わすと、訪ねてきた男性が室内に足を進めた。アンジュはその人物を何度か見かけたことがある。国王の侍従だ。
「アンジュ殿、国王陛下がお呼びです」
「あ、はい・・・」
イルとフリアは子供たちと遊び始め、アンジュはキュリバトと国王の執務室に向かった。
部屋に通されると、執務席の国王と二人掛けのソファに座るレイフォナーの姿が目に入った。普段怠けているショールとチェザライは国王の前だからか、真面目な表情でレイフォナーの後ろで姿勢よく立ち、護衛の仕事を務めている。
「こ、こんにちは。陛下」
アンジュは緊張しながら、頭を下げた。
「稽古終わりで疲れているのに、すまないな」
「いえ!これから子供たちと遊ぼうと思っていたので、まだまだ元気です!」
ふふっ、と笑った国王にレイフォナーの隣に座るよう促された。本当は湯浴みをして着替えたかったのだが、国王の侍従に『そのままで構いません』と言われた。稽古着は汚れている上に、汗臭いに違いない。レイフォナーとは距離をとるようにソファの端に着席した。それがあまりにも不自然な行動だったのか、レイフォナーに腰を掴まれて抱き寄せられてしまった。
「は、離れてください!私、その・・・汗臭いですし、汚れていますので!!」
レイフォナーは首を傾げている。
「アンジュの汗は薔薇の香りがする。衣服の汚れも気にすることはない」
薔薇の香りは香油です、と真面目につっこみそうになったが、この話はこれ以上広げたくないため大人しくすることにした。
そんなやり取りをしている間にお茶やお菓子が用意され、正面のソファに国王が腰を下ろした。
「仲が良いのは微笑ましいが、私の執務室でイチャつかないでくれ」
「申し訳ございません!!」
真っ赤になっているアンジュは謝ったが、レイフォナーはしれっとした顔をしている。
「アンジュよ。王妃は今日、庭園を散歩したそうだ」
「わあ!よかったです!」
「改めて、心より感謝する」
「お役に立てて嬉しいです!」
王妃の治療後、アンジュは眠ってしまった。完治した王妃はその日のうちに立ち上がることができたが、体の痛みはないものの全身が鉛のように重かった。侍医に念のため数日は安静にするよう言われていたが、今日やっと散歩が解禁されたのだ。
当初、事故の原因はクランツが疑われた。馬や御者を操って王妃を葬ろうとしたのではと考えられたが、バラックの調査によると闇の魔力の痕跡は感知できなかったという。御者はその事故で亡くなっている。崖に落ちる直前に馬が忙しなく鳴いていたという王妃や侍女、後方の御者の証言から何かの拍子に馬が暴れて制御不能になったという結論に至った。
「さて、今日お前たちを呼んだのは・・・」
国王は傍に控えている侍従に目を向け、差し出された手紙を受け取り、テーブルの上に広げた。
「バッジャキラとの話し合いの日時が決まった」
「!!」
レイフォナーは手紙を手にとり、アンジュはそれを覗き込んだ。
アンジュが帰国してすぐ、国王は光剣のことで話し合いの場を設けてほしいという内容の手紙をバッジャキラに出していた。そして何度かのやり取りでやっと日時が決まったのだ。ただ、バッジャキラ国王はこの先他国への訪問があるため、手紙に書かれてある話し合いの日付は一か月も先だった。
「レイフォナー、私の代わりに行っておいで」
「かしこまりました」
「アンジュもね」
「は、はい!」
国王はレイフォナーに鋭い眼差しを向けた。
「この件はお前に一任する。くれぐれも選択を間違えるなよ。お前の誤った決断一つで、この国の未来が一変することを忘れるな」
「・・・はい。肝に銘じておきます」
国王の先を見越したような物言いと、どこか不安げな表情のレイフォナーに、アンジュの心は不穏で埋め尽くされた。




