第82話 ボディーチェック
メアソーグの南に隣接するバッジャキラの王宮では、レイフォナーの婚約者候補のラハリルが父である国王と母である王妃、兄の第一王子ザラハイムと夜の食事を共にしていた。ラハリルにとって国王や王妃との食事はたまの行事みたいなものだ。だが今日は来賓をもてなすわけでも、祝い事があるわけでもない。
(嫌な予感がする・・・)
そう思ったものの、久しぶりに四人集まっての食事は話が尽きないほど楽しい。この雰囲気のままお開きになってもおかしくなかったが突然、国王が本題を切り出した。
「実はメアソーグから文が届いてな。光剣のことで話があるそうだ」
「我々の光剣所有を知っているということですか!?」
ザラハイムは目を丸くした。
「そのようだ。少し前に、メアソーグの三人組が突然やって来たことと関係があるのかもしれん。まあ、国王からの申し入れだから無下にはできない。話し合いの場を設けるつもりだ」
「光剣を譲れという話でしょうか・・・」
「おそらくな。まあ、うちは光剣を持っていても無意味だから渡してもよいと考えているが・・・タダで渡すのも面白くない」
と言った国王は、娘に目を向けた。
「そこで。ラハリル、お前の出番だ」
突然名を呼ばれたラハリルは、体がビクッとこわばった。
父は笑顔というより何かを企んでいる笑みで、同時に母と兄の視線も突き刺さる。母の目には優しい笑みが浮かんでいるが、父の考えを察した兄の目には明らかに動揺が窺えた。
(ああ、なんとなくわかったかも・・・)
「はい、お父様」
ラハリルはそう答える以外ないのだ。
「互いの都合がなかなか合わなくてな。まだ先になると思うが心づもりをしておくように」
「・・・はい」
アンジュとイルの剣術稽古はストレッチから始まり、ランニングや体づくりのための筋トレが中心だった。その後実際に木剣を手にし、扱い方などの説明に素振りという基本練習で初日を終えた。
夜になり、アンジュがナイトドレス姿で腹筋をしていると、執務と入浴を終えたレイフォナーが部屋に入ってきた。
「起きてたの?ずいぶん・・・熱心だね?」
「あっ!レイフォナー殿下、お疲れ様です」
立ち上がったアンジュは、レイフォナーに駆け寄った。
昨日キュリバトとお風呂に入ったアンジュは、レイフォナーに相応しい女性になるため一人でもできることから始めると決意した。一つは、だらしない体だと思われないよう筋トレだ。肉が付きやすい腹や腕を引き締めるため、空いた時間に取り組むことにした。それに筋肉をつけることは、稽古をする上でも必要なことだ。
「私はどうやら筋肉が乏しいので、鍛えていました」
「ふうん?」
レイフォナーは両手を伸ばし、アンジュの脇腹を優しくつまんだ。
「ひゃっ!」
「確かに、柔らかいね」
アンジュは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「や、やっぱりお肉が付きすぎでしょうか・・・?」
レイフォナーはその問いには答えず、脇腹に触れている手を二の腕、尻、太ももへと移した。肉の付き具合を確認しているのだろうが、どことなく卑猥な手つきだ。その指先が滑るように上半身に上がってくるのを感じたアンジュは、焦ってしまった。
「あああ、あの!」
「ここが一番やわらかそう」
と言って、指先でアンジュの胸をさすった。
「んっ」
「とても触り心地がよい」
「幻滅、していませんか?」
「は?」
「えっと、その・・・」
レイフォナーは、不安そうな表情のアンジュの手を引いてソファに向かった。腰を下ろし、アンジュを膝の上に乗せて頬を撫でた。
キュリバトから、アンジュと一緒に入浴したことは聞いている。体型を気にしていたこと、その後やる気に満ちていたことも。自分ですらアンジュと一緒に入浴したことがなく、同性とはいえキュリバトに先を越されて悔しい。だが今は嫉妬よりもアンジュの不安を取り除いてやることが最優先だ。
「体型を気にしてるの?」
真っ赤になったアンジュは、そんな顔を見られたくなくてレイフォナーに抱きついた。そして素直に白状することにした。
「少し太ったかもって思って・・・レイフォナー殿下に見限られたらどうしようって、不安になったのです」
「なにそれ・・・可愛い・・・!」
レイフォナーに強く抱きしめられた。少し苦しいけれど幸せで、頭を撫でる手は優しくて、先程のいやらしい手つきは微塵も感じない。
「稽古でも体を鍛えるからほどほどに。この柔肌が損なわれると悲しいな」
「鍛えてムキムキになったら幻滅しますか・・・?」
「私は体目当ての男とは違う。アンジュのすべてを愛してる。ムキムキでもふっくらでもきっと可愛いよ」
そう言われ、不安なんか吹き飛んでしまった。甘くて幸せで、体が沸騰しているように熱い。これ以上は意識が飛んでしまいそうで、レイフォナーに抱きついている腕を緩めて体を離した。だがレイフォナーは甘やかしの手を緩めない。
再び頬を撫でられ、その手で上を向かされ、あっという間にキスをされた。柔らかい唇、体温、広く静かな部屋に響くキスの音色は、もはや媚薬のように体に染み込んでくる。
唇を離したレイフォナーは、アンジュの耳元で囁いた。
「ベッドに行こうか」
小さく頷いたアンジュを抱き上げてベッドに運んだレイフォナーは、いじわるな顔をしていた。
「では、まずはお仕置きから」
「・・・はい?」
お仕置きという言葉に、アンジュはすっかり媚薬が抜けてしまった。怒らせるようなことをしただろうかと最近の出来事を回想していると、レイフォナーはわざとらしく悲しそうな顔をした。
「いいなぁ、私もアンジュと入浴したいなぁ・・・まさか護衛に先を越されるとはなぁ・・・」
「あ、そのことでしたか!私が無理に誘ったのです!キュリバトさんは悪くなくて!」
「私はアンジュに誘われたことがない」
「えぇ!?殿方と入浴なんて・・・は、はしたないです!」
ムスッとしているレイフォナーには、言い訳をしたところで嫉妬は収まりそうにもなく、このままでは何をされるかわからない。こういうときは、話題を変えるに限る。
「あの、お願いがあるのです!」
「何?一緒に入浴したくなった?」
「違います!王都の書店に行ってもよいでしょうか?」
予想していなかったお願いに、レイフォナーは驚いている。
「なんで?」
「その・・・勉強をしようかと。子供向けの歴史書や経済学の本がほしいのです。ちゃんと自分のお金で買いますので!」
一人でもできること二つ目、知識を身に付けようと考えた。学校で勉強をしたことがないため、知らないことが圧倒的に多い。そう思って入浴後に王城の図書室に足を運んでみると、置かれている本は内容が難しいものばかりだった。
「駄目でしょうか?」
「・・・うーん」
レイフォナーは葛藤した。
自分が子供の頃に読んでいた入門書がどこかにあるはずだ。だが、勉強をするなら最新版のほうがいいだろう。アンジュのお願いはなんでも叶えてやりたいが、正直なところ一緒に買いに行く時間を取れる可能性は低い。そのときにクランツに襲われでもしたら、キュリバトが付いていれば大丈夫だろうか、さすがに街中では襲ってくることはないか、と神経質に考えが巡る。
悩み抜いたレイフォナーは結論を出した。
「いいよ。お小遣いをあげるから、買っておいで」
「ありがとうございます!」
押し倒されているにもかかわらず、無邪気に笑うアンジュは可愛い以外の言葉が見つからない。すっかり色っぽい雰囲気が流れてしまったが、その流れを呼び戻せばいいだけのこと。
「では、お仕置きを始めよう」
「え!?」
にこりと笑ったレイフォナーは、アンジュのナイトドレスに手をかけた。
絶対に恥ずかしいことをされると思ったアンジュは、体を起こしてベッドから降りようとした。だが力も俊敏さも敵うはずがないレイフォナーから逃げられるわけがなく、簡単に捕らえられてしまった。
再びレイフォナーに押し倒され、呪縛をかけられたように体が動かない。逃げたいと思ったのは本心ではなく、ただ恥ずかしいだけだ。お仕置きといっても、最終的には甘やかしてくるに違いない。愛されることがくすぐったくて、恋愛初心者の自分では耐えきれないのだ。
「お仕置きって、な、何をするのですか?」
「うん?ベッドでのお仕置きなんて、恥ずかしいことに決まってるでしょ」
「やっぱり!」
「それと・・・体を鍛える前と後の変化を、毎夜全身くまなく調べよう」
と笑顔で言ったレイフォナーは楽しそうだ。
どんな抵抗をしても無駄だと察したアンジュは、甘んじてお仕置きを受け入れることにした。




