第79話 課題
ユアーミラのもとに通って六日目。アンジュがいくら話しかけても無反応だったため、その日は対話を諦めて魔法の稽古に専念することにした。アンジュとキュリバト対バラックで戦闘訓練を行う。
この日は魔法で作った縄でバラックを拘束するという課題で、縄を手で握って投げてはいけないという制限付きだ。手のひらでコントロールして放つ。さらにアンジュに許されたのは風魔法だけだ。
上級火魔法士のキュリバトは左手で果敢に魔法攻撃を仕掛け、右手に作り出した魔法の縄を放っている。アンジュも風魔法で作った縄をバラックに放つが、速度が遅い上に何度もバラックから逸れ、時には縄が届かず地面に落ちてしまっていた。
バラックは二対一であるにもかかわらず、手に持っている杖でいとも簡単に攻撃や縄を弾いている。そもそも、アンジュの仕掛けは仕掛けにも値せず、実質キュリバトとバラックの一対一と言ってもいい状況だった。
「一度休憩じゃ」
と言ったバラックの言葉に、アンジュは息を切らしながらその場に座り込み、さすがのキュリバトも呼吸を乱して汗だくになっている。一時間にも満たない戦闘訓練で、アンジュの風の魔力は二割ほどしか残っていなかった。数を打てば当たるかもと、がむしゃらに縄を放っていたせいだ。
さらにアンジュは体力が落ちていた。村で生活をしていたときは毎日畑仕事をこなし、薬草採取のときは徒歩で森へ通っていた。だが最近は王城でのんびり過ごしていたせいか、体が鈍ってしまったようだ。
「キュリバトは魔力消費を気にしすぎてか攻撃の威力が弱い。お前の魔力量は豊富じゃ。一度の攻撃にもっと魔力を込めてみよ」
「はい」
「アンジュ嬢はコントロールが全くなっておらん。腕のブレがひどいのう。皇女に放った光の槍はまぐれか?標的に対して正確に魔力を放つ訓練が必要じゃ」
「はい!」
クタクタになって王城に戻ったアンジュは、お昼ご飯を食べ終え、一時間ほど休憩して、侍女に用意してもらった薪を持って外に出た。剣術と武術の稽古は明日からで、午後は自由時間なのだ。魔法を使っても大丈夫そうな広い場所を見つけ、地面に薪を立てた。それを的と見立て、的確に魔法を当てるための練習だ。これは先程、休憩後再開した稽古でバラックに教えてもらった方法だ。
薪と五メートルほど距離をとったアンジュは、足を肩幅に開き、薪に右腕を伸ばして手のひらを向けた。風魔法で縄を作り出し、縄を放つときの腕のブレを軽減するため左手で右手首を掴んだ。残りの風の魔力はわずかで、何十回も放てない。それに薪の近くにいるキュリバトに当てるわけにはいかない。よく狙いを定めて、丁寧に縄を放った。
すると、カコン、と薪が倒れた。
「当たった!」
「繰り返しやってみましょう」
と言ったキュリバトは、薪を立て直した。
「はい!」
風の魔力がほぼ空になったアンジュは自主練を切り上げた。結果は高確率で薪を倒すことができた。とはいえ現状、戦闘では到底使い物にならない。左手の補助がなくても、距離を伸ばしても、薪を倒せるようにならなければいけない。それに、戦闘での対象は薪ではなく人間だ。動き回る相手を拘束できるようになるまで、気の遠くなるような訓練を積む必要がある。
「はあ、子供のとき魔法学校に通っていればなぁ・・・」
そう言ったアンジュは、キュリバトと肩を並べて入浴中だ。湯に浮かぶ薔薇を指でつついたり掬ったりしながら、散々だった午前中の稽古を思い出していた。
この浴場は、いつも利用している一人用ではなく大浴場だ。地面を掘って大理石で固めた大きな浴槽に、広い洗い場。少しぬるめに張られた湯はリラックス効果があり、そこに浮かぶいくつもの赤い薔薇と香りは、稽古の疲れも吹き飛ぶ贅沢な空間だ。
「もしそうしていたら、私たちは子供の頃に出会っていたかもしれませんね」
「わぁ、子供時代のキュリバトさん見たかったな」
「今とそう変わりませんよ。背が伸びたくらいで」
そう話したキュリバトに、先程ダメ元でお風呂に誘ってみたのだ。真面目な彼女のことだ。てっきり「勤務中ですから」と断られるかと思ったが、すんなり快諾してくれた。稽古での汗を早く流したかったのかもしれない。それとも、それだけ仲良くなれたと自惚れてもいいのだろうか。
以前は侍女に肌を晒すことすら抵抗があったはずなのに、自分からお風呂を誘えるようになってしまった。慣れとは恐ろしい。
キュリバトは長身でスレンダーな肉体の持ち主だ。長い手足に、引き締まったお腹とお尻、程よい大きさの胸。鍛えているわけでも食事制限をしているわけでもなく、昔から太りにくい体質だという。不躾だとわかっていても、見入ってしまうスタイルの良さだ。
「そんなに見られると・・・恥ずかしいです」
「す、すみません!とても綺麗なので」
キュリバトは腕で胸元を隠してしまった。ほんのり赤い頬は湯に浸かっているからではなく、そのせいだろうか。ふと、自分の体はだらしなくないだろうかと見下ろした。これまであまり体型を気にしたことはなかったが、キュリバトに比べると丸っこい気がする。
「女性らしい体つきのアンジュさんのほうがお綺麗ですよ」
と言ったキュリバトは、アンジュの脇腹を摘んだ。
「ひゃあ!」
「ここ、柔らかいですね」
「それはお肉が付きすぎということですか!?」
「ふふ、どうでしょうね?レイフォナー殿下に聞いてみてください」
キュリバトはじっくりと見られた仕返しをした。
そういえば、最近心なしか服がきつい気がする。このまま肉付きがよくなってしまうと、持っている衣服が着れなくなってしまう。いや、それよりもレイフォナーに愛想を尽かされるかもしれない。レイフォナーは鍛えぬかれた美しい肉体に、顔立ちも性格も頭脳も何もかもが完璧だ。そんな彼に見限られないため、いつか妃になる覚悟をもつためにも、分不相応な自分がやらなければいけないことは山ほどある。王城でのんびり過ごしている場合ではないのだ。
アンジュは勢いよく立ち上がった。
「まずは一人でもできることから始める!」
妙にやる気に満ちているアンジュを見たキュリバトは、からかいすぎただろうかと不安になった。




