第73話 親子喧嘩
クランツが姿を消し、アンジュたちは丘での反省会をするためにレイフォナーの執務室に戻った。そこにはゴシップ好きな記者のような嬉々とした表情の国王がソファに座っており、その後ろには強面な二人の護衛が大木のように直立し、恋愛話を根掘り葉掘り聞き出そうとする国王に、内心では「早く帰ってほしい」と思っているサンラマゼルが丁寧にあしらいながら相手をしていた。
レイフォナーたちに目を向けた国王は一瞬真顔になったが、優しい笑みを浮かべた。
「みんな、おかえり」
「なぜ父上がここにいらっしゃるのです?」
「お前の側近は相変わらずクールだな。何も教えてくれない」
「彼を困らせないでください」
レイフォナーは王城に着くなり国王に至急面会したいと申し入れると、『レイフォナー殿下の執務室でお待ちです』と返されたのだ。国王とは、臣下はもちろん息子だろうと用事があれば呼び出すのが普通で、わざわざ自ら足を運ぶことなど滅多にない。
「手持ち無沙汰なのですか?」
「お前な・・・私は年中無休で多忙だぞ。バラックが緊急の知らせを飛ばしてきたのだよ。ここで待っていれば面白い話を聞けると思ってな」
ユアーミラと戦ったことは国王の耳に入っていたようだ。面白いとからかうように言った国王は落ち着き払っているが、息子たちが部屋に入ってきたときに浮かべた安堵した表情からして、心配で居ても立ってもいられなかったのだろう。
レイフォナーは丘での出来事を国王とサンラマゼルに説明した。
「皆様がご無事で一安心です」
サンラマゼルは胸に手を当てて、大きく息を吐いた。
「本当にね。みんな、お疲れさま」
国王は優雅にお茶を飲むと、レイフォナーとは別の人物に視線を向けた。ティーカップを置いた国王は静かに立ち上がり、コツコツと威厳を放つ足音を奏でるとアンジュの前に立った。
「そなた、名は?」
国王は緊張で俯いたままのアンジュの頬を両手で包み、強引に上を向かせた。
「名は?」
バッチリ目が合ってしまったアンジュは、ゴクリと喉を鳴らした。
「おっ・・・お初に・・・お目に、かかります。ア、アンジュと申し、ます」
声が震え、途切れ途切れになりながらもなんとか挨拶をしたが、レイフォナーに似た国王に、美しい、怖い、でも優しそう、威圧される、という相反する感情が行き来した。
「確かに面影があるな」
と言った国王の手首を掴んだレイフォナーはご機嫌ななめだ。
「父上といえど、アンジュに触れる者は許しませんよ」
「狭量な男は見苦しいぞ、レイフォナーよ」
国王は息子を挑発するように、アンジュの頬を親指でスリスリと撫でた。睨み合う二人は静かに火花を散らしたが、いたずらが過ぎたかと国王は頬から手を離し、王族の親子喧嘩の気迫に怯むアンジュににこりと笑いかけた。
「アンジュよ、レイフォナーとみなを救ってくれたことに感謝する。そなたはレイフォナーの、いやメアソーグ王国の女神となるであろう」
国王はアンジュの手を取り、手の甲にキスをした。
「ひゃあ!」
「なっ・・・!父上!母上に言いつけますよ!」
「我らが光と癒しの女神に挨拶と賛辞を捧げたまで。お前はどれだけ嫉妬深いのだ」
呆れる国王に対して、レイフォナーは苛立ちで平静さを欠いている。息子をからかうのが楽しい父は、遊びはこれくらいにしておいてやるかという表情を浮かべ、再びアンジュに視線を向けた。
「バッジャキラに話し合いの場を設けてもらえないか申し入れをしたよ。まだ返事待ちだが」
「ありがとうございます!」
「今度お茶でもしながらゆっくり話しをしよう」
「は、はいっ!」
国王は再びコツコツと足音を鳴らし、次のターゲットの前に立った。
「君がイルだね?」
「はい」
国王は右手を顎に当てて、イルの顔をじっくりと観察した。
「君、うちで働かない?」
「へ?」
国王はイルに近衛騎士団の仕事内容や勤務体制、宿舎や給金のことを簡単に説明している。身分に関係なく実力を評価され、現在の団長も平民出身者らしい。
本気で口説いている国王は、レイフォナーやバラックからイルの話を聞いて興味をもっていたのだ。さらに、先程の丘での戦いでは超人的な身体能力を見せつけたことで、勧誘に値する人物だと確信した。
「君の能力を国のために使ってみない?」
「あのー・・・すげーありがたい話ではあるんすけど、俺、家の手伝いがあるし、まだ幼い弟の世話もあるんで無理っす」
国の頂点に君臨する相手に対し、臆することなく話をするイルにアンジュは目を見張った。さらに国王の誘いを断ってしまったことにハラハラしたが、どうやら心配は無用だったようだ。
「そうか・・・残念ではあるが、家族思いの精神を尊重しよう。だが事情が変わったらいつでも来なさい。即採用だ」
「ありがとうございます」
イルは国王にかるく頭を下げた。
「では、私は仕事に戻るとしよう。レイフォナーはあとで私の執務室においで」
「かしこまりました」
全員の無事を確認し、さらにはアンジュとイルに会えたことに満足したのか、国王はご満悦の表情で護衛たちと部屋を出た。パタンと扉が閉まると、その場の全員が「はぁ〜」と口を揃えて気疲れと緊張を吐き出した。
アンジュはいつか国王と対面するかもしれないとは思っていたが、心の準備ができていなかった。本当は、以前王城で世話になったお礼を伝えたかったし、自己紹介も完璧に披露したかった。あんなおどついた挨拶で、印象を悪くしなかっただろうかと不安になった。
「殿下、国王陛下に喧嘩を売らないでください」
サンラマゼルが嗜めるように言った。
「先に売ってきたのは父上だ」
レイフォナーは腕を組んで頬を膨らませている。
「父親に嫉妬すんな」
「まあまあ、気を取り直して反省会しようよ〜」
昨日の報告会と同じようにお茶を用意し、丘での出来事を整理することにした。




