第72話 大嫌い
レイフォナーたちの治療を終えたアンジュはイルの治療を再開した。その間に、レイフォナーはバラックに一連の事情を説明し、それを聴き終えたバラックも終盤何が起きたのかわからないレイフォナーたちに、アンジュの光の槍を説明した。
「なんにせよ、皇女からはもう闇の魔力を感じん」
バラックがそう言うと、その場の全員がユアーミラに目を向けた。
アンジュの光魔法の治療によって怪我が治り、呼吸も安定している。だが気を失っているのか、イルのときのように心の檻に閉じこもっているのか、目を覚ます気配はない。
「皇女はわしが預かろう」
「よろしくお願いします。私は王城に戻り次第、国王陛下に報告します」
バラックはユアーミラを魔法学校の自分の研究室に連れて行った。
今後やるべきことは、アンジュが光魔法でユアーミラを目覚めさせ、クランツの情報を聞き出すことだ。さらにブランネイドへの報告。だが、これがなんともレイフォナーの頭を悩ませる。ブランネイド皇帝がメアソーグに敵意を向けているからだ。これまで両国共にユアーミラを捜索しており、定期的に情報や進捗を報告し合っていた。クランツが闇魔法でユアーミラを操っていることを報告したとき、ブランネイド皇帝は愛娘に手を出されたと激昂した。ユアーミラが無事に目を覚ましたとしても丸く収まるとは限らない。メアソーグは謝罪の意と相当な賠償を示し、ブランネイドの要求も飲まねばならない。
レイフォナーはため息をついたが、ショールとチェザライは他人事のように楽観的だ。
「じゃあ、俺らも帰ろうぜ。こんなとこ早く離れてえよ」
「アンジュちゃんのおかげで体が軽いから、僕はまだまだ戦えるよ」
そう言ったチェザライに、イルは冷たい視線を向けた。
「やめろ。そんなこと言ってると、クランツが現れるかもしれないぞ」
「イルさんもやめてください。言葉には力が宿っているんですよ」
キュリバトがそう言ったとき、再び闇の魔力が発生した。ユアーミラの魔力よりも強く不気味で、建物の前の地面に丸い影が現れたのだ。そこからゆっくりと黒いマントを纏った人物が現れ、アンジュたちに無邪気な笑顔を向けた。
「わあ、みなさんお揃いで」
「クランツ!!」
そう叫んだレイフォナーは、クランツにかなりお怒りだ。
「イルさん・・・」
キュリバトはイルを横目で見た。
「俺のせいじゃないし。ていうか、この声・・・あのときの奴か」
イルは以前、黒いマントを纏いフードを深く被ったクランツに会ったあと闇魔法で操られたことがある。そのとき顔はよく見えなかったが、声を覚えていたようだ。
クランツは目の前に広がる惨憺たる有様を眺めながら歩みを進めた。近づいてくるクランツに対して全員が戦闘態勢に入ると、クランツはピタリと足を止めた。
「ふふっ。みなさん、好戦的だな」
「クランツ・ヘルグ・メアソーグ・・・」
アンジュはその名を口にすると、本人は余裕たっぷりの笑顔を見せた。
「あれ?僕の正式名知ってるんだ?」
「ユアーミラ皇女を連れ戻しに来たのですか?」
「あの女はもう使えないから、いらない」
ユアーミラと敵対していたとはいえ、まるで消耗品のような言い方をしたクランツに、アンジュは腹立たしく感じた。
「今日は黒いカラスがいませんでしたが?」
「あれは僕が闇魔法で作り出したカラスで、未熟なユアーミラへの指示や監視のために付けてたんだ。もう必要ないと思ったんだけど、見誤ったな」
「あなたは私の母と戦ったのですか?」
それは、アンジュが一番聞きたかったことだ。
「あー・・・そういえば、そんなこともあったね。えーっと、アーメイアだっけ?」
母はこの男と戦って重傷を負い、命を落とした。だが当の本人は、そのことを今日まで忘れていたような口ぶりだ。怒りと悔しさで涙が溢れ、言葉が詰まって何も言い返せなかった。
レイフォナーはアンジュの頭を優しく撫でると肩を抱き寄せ、クランツに視線を向けた。
「皇女はお前の元で修行していたと言ってたが」
「僕が作り出した空間に監禁していました」
「持ち去った骨をどうするつもりだ?」
「自分の骨をどう扱おうと勝手でしょう?」
「二百年前に肉体が滅び、骨と魂になったそうだな?」
「ふふ、詳しいですね」
「なぜクランツの体を乗っ取った?お前の目的はなんだ!?」
「僕はちょっと遊んでるだけです。兄上、そんな怖い顔をしないでよ」
「お前は私の弟ではない。それに、お前のやっていることは遊びでは済まされない」
「手厳しいなぁ」
「二百年前、アンジュに封印された復讐か?」
レイフォナーがそう言うと、誰も割って入ることができなかった二人の会話が途切れた。
それまで微笑を浮かべていたクランツは一瞬、アンジュとレイフォナーに睨むような視線を投げると目を閉じた。二百年前のことを思い出しているのだろうか、両方の手を拳にして小さく震えるほど力を込めている。
「ふっ・・・はは、はははっ!」
クランツは声を出して笑いながら髪をかき上げると、表情が殺意へと切り替わった。
「そうさ!二百年の時を経てもこの憎しみが消えることはない!僕はアンジュと兄上が大嫌いだ!!」
クランツは手のひらから黒い湯気のようなものを出し、アンジュとレイフォナーに放った。ユアーミラの攻撃とは比にならない速さと威力に全員が圧倒されたが、アンジュは咄嗟に両手を体の前に伸ばし、光魔法で壁を作った。それは黒い湯気を弾き、アンジュは次の攻撃を待ち構えたが、クランツから殺意が失せたように感じた。アンジュは両手を下ろすと、手のひらの黄金の光も壁も消えた。
クランツはすでに黒い湯気を収めており、アンジュを見つめていた。
「懐かしいよ。アンジュの戦う姿を見るのは」
「それは・・・二百年前のことをおっしゃっているのですか?」
「そう。容姿も声も魔力もその視線も、当時のままだ」
「クランツよ、私とアンジュは生まれ変わりなのか?」
「兄上も全然変わってない。兄上は二百年前の第一王子レイフォナー、アンジュはレイフォナーの妃であるアンジュの生まれ変わりだ」
「そして、お前は・・・」
「僕は二百年前のレイフォナーの弟、第二王子クランツ・ヘルグ・メアソーグ。アンジュによって肉体を滅ぼされて骨と魂となり、光剣に魂を封印された。十八年前に封印が解け、僕の魂は今、クランツ・ノーチェス・メアソーグの肉体と精神を乗っ取っている」
これまで自分たちが立てた仮説、マウべライドの伝承や予想が真実だと証明された。アンジュはそれがわかって心のモヤつきがある程度晴れたが、まだまだ謎は残っている。
「私たち三人が二百年のときを経て再会したのは偶然なのですか?」
「そんなわけないでしょ。僕がそう仕向けたんだよ」
「仕向けた?」
「クランツ・ヘルグ・メアソーグ、先程の質問に答えよ。なぜ弟の体を乗っ取った?」
「弟を利用したのは兄上を傍で監視するため。それと、偶然にも僕と同じ名前の王子を使えば二百年前の関係性を再現できて、アンジュと兄上が過去を思い出してくれるかなーと思って」
クランツはそう言うと、自身の足元に手のひらを向けて黒い影を出現させた。
「待て!お前が抱える憎しみとは一体何だ!?」
「せいぜい二百年前を思い出すことだな。ではみなさん、またお会いしましょう」
そう言いながら黒い影に身を落としてゆくクランツの表情に、アンジュは憎悪よりも哀愁、孤独感を感じ、まるで救いを求めているように思えて仕方なかった。




