第67話 キスと愛の言葉
「部屋に戻ろう。髪、乾かしてくれる?」
「・・・はい」
レイフォナーはアンジュの手を引いた。
どうやら本当に体が冷えていたようで、レイフォナーの手が無性に熱く感じた。手を繋ぐだけでこんなにも胸が締め付けられてしまう。ずっと繋いでいたいと思うのは、レイフォナーのことを全然忘れられていない証拠だ。
ソファに座ったレイフォナーの後ろに立ち、風魔法で髪を乾かしている間、一言も会話がなかった。しかし乾かし終えると、横に座るよう言われた。
「アンジュの母君の手紙だけど、もうしばらく預かってもいいかな?」
「構いませんが・・・」
「ありがとう。必ず返すから安心して」
「はい」
レイフォナーは、またしても自分を見ないアンジュの顔を覗き込んだ。
「今回一人でバッジャキラに行くつもりだったらしいね?」
「勝手な行動をしてしまい、すみませんでした。それと資金の援助、ありがとうございました」
レイフォナーの視線をひしひしと感じつつも、アンジュは俯いたままそう答えた。
「うん。私たちも光剣を探していたから相談してほしかったな。それに、無事に帰国できたからよかったものの、危険が伴う旅だったかもしれない」
「お叱りは如何様にも」
「ふうん・・・叱っていいの?私かなり怒ってるよ?」
「は、はいっ!」
「じゃあ、遠慮なく」
アンジュはレイフォナーに体を向け、どんな言葉をかけられようとも、どんな折檻だろうと受け入れる覚悟をして、目をギュッとつぶって体に力を入れた。
するとレイフォナーの手が頬に触れ、優しくキスをされたかと思うと強引に唇をこじ開けられ、熱く激しい熱情が流れ込んできた。あの夜のような愛を確かめ合うキスではなく、自分本位で強引に押し付けてくる唇と絡み合う舌は、確かに怒りに満ちている。
「んんっ・・・はぁ、んっ!」
体を押し倒され、なかなか終わらないお叱りにアンジュは何も考えられなくなっていた。だが体は正直で、レイフォナーに縋るように手を伸ばしていた。
やっと唇が離れると、レイフォナーは涙を堪えているような顔で見つめてきた。そもそもが疲弊している様子だったため、そう見えるのだろうか。しかし、悲痛、怒気、後悔―――様々な不芳な感情をぶつけるように叱りつけてきた。
「あんな手紙だけを残して、なぜ私の元を去った!?」
「!!」
「私はあの夜、嘘偽りのない気持ちを何度も伝えた!アンジュを愛していると!君も同じ気持ちなのだと思っていたのに・・・違ったのか?」
「わ、たしは、その・・・」
アンジュはどう説明していいかわからず、それ以上言葉が出てこなかった。
「質問を変えよう。あの日、クランツになんと言われて脅された?」
「なぜそのことを!?」
「やはり、そうなのだな」
「あっ!しまっ・・・」
レイフォナーのカマかけにまんまと引っかかってしまったアンジュは、自分の口を両手で覆った。
イルがクランツに操られ、危険な目に合わせたことを彼の両親に謝るため村へ帰省した日、クランツが家に現れた。そのとき一緒にいたレイフォナーたちは闇魔法を使われ、自分とクランツが何を話したのかは知らない。話の内容を言うわけにもいかず、挨拶だけして帰ったと言ったのだが、レイフォナーはそれが嘘だと気付いていたようだ。
レイフォナーはアンジュの体を起こして、優しく手を握った。
「アンジュは他人を頼るのが不得手だと知っている。でもね、前にも言ったけどもっと頼ってほしいんだ。一人で抱え込まないで。真実を話して」
誤魔化したところで、レイフォナーは追及の手を緩めないだろうと観念したアンジュは全てを話すことにした。
「あの日、みなさんが闇魔法を使われたあと・・・」
『今日は忠告しに来ただけだから』
と、笑顔のクランツに言われた。
『忠告?』
『メアソーグにとってユアーミラの輿入れは必須なんだよ。ラハリルも同じ。各国の均衡を保つためにね。国と民を思うならそれが最善でしょ?』
『・・・はい』
『それなのに、兄上はど田舎の小娘との火遊びに興じちゃってさ。困ってるんだよね』
『その相手が・・・私だと?』
そう言うと、クランツの表情が一変した。
『だからわざわざここまで来たんだろうが』
『・・・っ!』
『お前、邪魔なんだよ』
クランツが放つ圧に尻込みしそうになった。闇魔法で人を操っている人物が、国の未来を考えていることに違和感が否めなかったが、これまでユアーミラにも王妃にも手を引くよう言われている。光魔法の訓練が終われば、レイフォナーから離れる覚悟はできていた。
『そのうち、王城での生活は終了して村に帰ります。そうすればレイフォナー殿下とは会うこともありません』
『そのうちっていつまで?』
『それは・・・』
『今日中にレイフォナーから身を引け。いいな?じゃないと、僕は兄上に何をするかわからないよ?』
『なっ・・・!』
『どうするかは君次第だよ。じゃあ、またね』
話し終えたアンジュの表情を見て、レイフォナーは責めたことを情けなく思った。
「そうだったのか・・・」
「あの夜は、最後にレイフォナー殿下との思い出がほしくてお酒の力を借りて・・・あんなことをして、すみませんでした」
クランツに脅されて誰にも話せず、どんなにつらかっただろう。だがそれと同時に、自分から離れたのは脅されてのことであり、抱かれたいと思ったのがアンジュの本心だとわかって安堵した。
「責めるような言い方をして、すまない。君はクランツから私を守ってくれていたのだな」
レイフォナーはアンジュを抱きしめた。
「でも今後、隠し事はなしだ。なんでも話してほしい」
「・・・はい」
優しく頭を撫でられたアンジュは、そう返事をするしかなかった。
「クランツの企みはわからないが、アンジュはこれからも私の傍にいて」
「ですが、それだとクランツ殿下はレイフォナー殿下に危害を加えるかもしれません!」
「クランツよりも、アンジュが傍にいないことのほうが不安だ」
「レイフォナー殿下は本当に、その・・・私が好きなのですか?」
「はあ・・・全然伝わっていないようだな。何度でも言うよ。私はアンジュを愛してる。私の妃はアンジュだけだ。婚約者候補の件は、必ず白紙に戻す」
アンジュは、レイフォナーから体を離した。
「そんなこと許されません!」
「誰に許されなくても構わない。ユアーミラとラハリルは友好関係強化のために挙がった候補者だが、次期国王となる私にはそんな関係がなくても国を守り、他国と良き関係を築ける力がある」
思いを言葉に乗せ、真っ直ぐ見つめてくるレイフォナーの曇りない瞳を向けられても、自分がこの人に相応しいと思えない。自信がないのだ。以前、王妃に言われたことが脳裏をよぎった。
『慕うだけでは妃は務まりません』
その通りだ。どれだけレイフォナーを愛していても、自分には隣りに立って国を導いていく能力がない。中途半端な魔法しか使えず、貴族の子供が通うような学校で教育を受けてもいない。王妃のような自信や威厳など微塵もない。
「私には、あなた様の妃になれる素質はありません」
「民の生活をよく理解し、心優しい君は私が目指す国政に相応しい素質の持ち主だ。それに、アンジュは公爵家の血を引いているし、光の魔力をもっている。アンジュ以外に私の妃に相応しい者など、いはしない」
「なんだか、丸め込まれてしまいそう・・・ううぅ」
「そこは口説き落とされそうって言ってくれる?君が離れていかないよう、私は必死なんだ」
そう言われて、思わず顔が真っ赤になってしまった。さすがに鈍感な自分でも、レイフォナーに愛されていると理解できた。自分もレイフォナーを愛していると口から出そうになるが、妃になる覚悟はまだできていない。いつかそのときが来るまで、今は胸の内に留めておこう。
「レイフォナー殿下は、その・・・私のどこが好きなのですか?」
真っ赤な顔で聞いてくるアンジュに、レイフォナーの心に嗜虐心が湧き上がった。
「いっぱいあるよ。大きな美しい瞳に、私に色目を使わないところ、純粋で何事にも一生懸命なところ、謙虚なところ、あと感じやすい艶めかしい体とか―――」
アンジュは恥ずかしくなって、両手でレイフォナーの口を塞いだ。
「もういいです!」
レイフォナーはアンジュの手を外し、指先にキスをした。
「そうやって、すぐ照れるところも好きだよ」
酔ってしまいそうな色気と甘い言葉に反論できなかった。レイフォナーは女性の心を弄ぶような人ではない。口にする言葉は全て真実なのだ。そう思うくらい彼を信用し愛しているが、果たしてこの人の真っ直ぐな愛に慣れる日がくるのだろうか。
「君が手紙を残して姿を消し、私は絶望を味わった。悠長に構えていたことを後悔したよ。だからこれからは、君を繋ぎ止めるために絶え間なく愛を伝えることにする」
「もう充分です!」
「まだまだ伝えきれていない」
「これ以上、丸め込ま・・・じゃなくて口説かれたら、なんていうか、身も心も爆発しそうなんですっ!」
「ふふっ。何それ」
ご機嫌なレイフォナーに抱き寄せられたアンジュは、優しく唇を塞がれた。それは先程の怒り任せではなく、溢れる愛おしさをこぼさず注ぎ込まれるような幸せに包まれたキスだった。




