第63話 イルの能力
それは横が一メートル以上あり、高さ三メートルほどの白い岩で、それを挟む左右には岩と同じ高さの壁が続いている。
「何これ!?」
「壁だろ」
「壁ですね。視察に向かわせます」
キュリバトはそう言って、右の手のひらに炎を出したまま左の手のひらからスズメのような鳥を作ると、それは壁に沿って東に向かって飛んでいった。魔法士が作り出す小型の生き物は、分身のような存在だ。その分身が見たもの聞いたものは魔法士本人と共有する。
「アンジュも生き物とか作れるのか?」
「作れるようになったけど、意思疎通なんてできないよ・・・」
己の未熟さを痛感しつつ、目の前の障壁を見上げた。この壁はどこまで続いているのだろう。この狭い空間で、自分やキュリバトの魔法で飛び越えることができるだろうか。岩を押してみたが、当たり前だがびくともしない。壁をじっくり見ると、大きな一枚岩はどこかで切り出したものを魔法で運んだのだろうか。しかしその左右に広がる壁は何年何十年もかけて高さを出したのか、地層のような歴史と手作り感が窺えた。
「集落には誰も辿り着けないってこれのことかな?」
「だろうな」
普通ならこれを前にして諦めて引き返すか迂回するだろうが、それでも集落に辿り着けないのだろう。だが自分たちはこの先に進まなければいけない。どうすればいいのかとイルとキュリバトに視線を移したが、二人には焦りは見えなかった。
しばらくして、西から鳥が戻ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
そう言った鳥はキュリバトの左手のひらに乗り、体内に吸い込まれるようにして消えた。
「私たちは森の中を、北から南に向かっています。目の前にある北側のこの岩は、南側の道にもあり、その二つを繋ぐように壁は円を描いて設置されています。岩の先には道が続いており、この中に集落があるのですが、ご覧の通り岩と壁の隙間はわずかです。先に進むためにはアンジュさんの風魔法で岩を持ち上げるか・・・」
アンジュは、思わずキュリバトから目を逸らしてしまった。
いつだったか、イルと王都に行くときのことだ。自分一人なら風魔法を使って空を飛んで行くのだが、誰かと遠出するときにはいつも乗合馬車を利用している。試しに自分とイルを括るように体に風を纏わせて飛ぼうとしたことがある。どうなったかというと、地面から一メートルほどしか浮かなかったのだ。人間一人を連れるだけでそんな結果だったのに、こんな大きな岩を持ち上げることは不可能だ。
「す、すみません!私の実力では―――」
「それか、イルさんが持ち上げるか」
キュリバトはアンジュの言葉を遮るようにして言った。アンジュでは岩を持ち上げることができないとわかっており、端からイルに頼もうとしていたように感じた。
「えっ?イルが・・・持ち上げる?」
「はい。岩を奥に倒すと元に戻すときが大変なので、持ち上げて移動させるのです」
キュリバトは何を言っているのだろう。越えられない壁を前に気がおかしくなったのかと思ったが、彼女の表情も口調も至っていつも通りだ。だが、こんな大きな岩を人間が持ち上げることなどできるはずもない。
「岩の奥行きは?」
「五十センチほどです」
「うー・・・ん」
「もし持ち上げた岩が倒れかかってきても心配いりません。私が必ずお助けします。それに、持ち上がらなくても構いません。先に進む方法は他にもありますから、試しにやってみませんか?」
「キュリバトさん、待ってください!無理ですよ!」
「無理かどうかは、実際やってみないとわかりませんよ」
「・・・じゃあ、やってみる」
イルは混乱しているアンジュに松明を渡した。腕まくりをしてしゃがみ込み、岩の下の土を掘り始めた。手首あたりまで差し込める穴を二か所作り、そこに手を入れた。
「うおおぉ!重たっ!・・・うぐぐぅぅ、ううぅ!!」
腕の筋肉は力が入っているせいか、一回り大きくなっているように見える。顔からは汗が流れ落ち、両足が少しずつ土に沈んでいくのに対し、白い大きな岩は持ち上がっていく。
「嘘でしょ・・・?」
「二人とも離れろ!」
イルはキュリバトがアンジュの手を引いて離れたのを確認して、中腰で膝あたりまで持ち上げた岩を、後ろ向きで数歩下がって岩を落とした。その瞬間、地響きが鳴り、アンジュたちの体にビリビリと振動が伝わってきた。
アンジュが呆然としていると、イルは顔の汗を拭って岩の先を見た。
「これで進めるな」
「え・・・ちょっと、えぇ!?岩を持ち上げた!?どういうこと!?」
アンジュの質問を無視しているイルとキュリバトは、淡々と会話をしている。
「なあ、もし俺が岩を持ち上げられなかったら・・・どうしてた?」
「私の火魔法で岩を溶かします」
「そっちのほうが簡単だったんじゃねえの?」
「いいえ。岩を溶かす炎が木々に燃え移って、一帯が焼け野原になっていたでしょう」
「嘘つけ。あんたなら、岩だけを燃やせただろ?」
「ふふ、どうでしょうね」
「ま、いいや。行こうぜー」
何食わぬ顔で歩みを進める二人に、アンジュは驚きが収まらないまま後を付いていった。
ほどなくして、集落に辿り着いた。
そこは陽の光がよく当たる場所で、木造の平屋がいくつも建っている。建物の周りには家畜がおり、洗濯物が干され、畑には作物が実っていた。川から水を引く装置もあり、人々の生活の営みがありありと感じられる光景だ。
三人が集落を眺めていると、腰が曲がり、両手を後ろで組んでいるおじいさんが正面から歩いてきた。キュリバトは警戒を緩めておらず、アンジュより一歩前に出た。対してイルはいつも通りの雰囲気と表情だ。そしてアンジュは警戒心より、帰れと追い出されるのだろうか、という不安で胸がいっぱいだった。
アンジュたちの前までやって来たおじいさんは、髪と髭が真っ白で、長い髪を後ろで三つ編みにしている。開いているのかわからない細い目は微笑んでいるように見えなくもないが、集落に通してもよい人物か否か、アンジュたち三人を見極めていると言ったほうがしっくりくる。
「久しぶりの客人だ」
おじいさんの声は柔らかく、客として認められたアンジュの不安は一瞬で吹き飛んだ。
「こんにちは!突然の訪問をお許しください。私たち、ロネミーチェの森に住む一族にお願いがあってメアソーグから来たのですが、あの、ここって・・・」
そう言われたおじいさんは、うっすらと笑みを浮かべた。
「ここはロネミーチェの森だ。ようこそ、マウべライドの住処へ」




