第62話 ロネミーチェの森
「あの森じゃねえの?」
「そうかも」
進行方向の先に大きな森が見えてきて、アンジュはミジュコの男性司書が描いてくれた地図に目を落とした。
サハジャイという町を南下した先にロネミーチェの森がある。宿を出たあと休憩のために寄った町がサハジャイだった。ということは、目の前に広がる森が目的地に違いない。この手描きの地図はなかなか正確なようだ。
「上空から全体を見てみましょう」
キュリバトがそう言うと、火魔法の鳥が森の上空で止まった。高度を下げていないため細部まではわからないが、緑豊かな森というのが第一印象だ。見渡していると、気になる場所があった。
「中央の開けたところ、集落かな?」
「直接降りられそうじゃん」
「いけません。アンジュさんが聞いた噂が真実なら、森の中は迷路のようになっているか、集落の者がなにかしら仕掛けを設置している可能性があります。後者だとすれば訪問者を好意的に思っていないのでしょう。直接降りるのは危険です」
「なるほど・・・」
火魔法の鳥は森の北側に降りた。
「うわっ!」
アンジュは鳥から飛び降りると地面の窪みに着地してしまい、バランスを崩して勢いよくイルに抱きついてしまった。
「ん?大丈夫か?」
「ご、ごめん!」
「足を痛めていませんか?」
「大丈夫です」
アンジュを抱きとめたイルは不思議そうな表情をしている。
「お前すげー軽いな。ぶつかった衝撃が全然ないんだけど」
「お世辞は結構よ」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「それよりも!」
アンジュは目の前の森に視線を移した。
その森は、背の高い木々が連なっており、中に入るのを躊躇ってしまいそうな鬱蒼とした雰囲気が流れている。凶暴な野生動物は住んでいそうでも、人が住んでいるとは思えない。中からは、鳥や小動物らしき鳴き声が響いてきた。
「大きい森・・・集落まで時間がかかりそうだわ」
「それに、なんか不気味だな」
「あそこから入ってみましょう」
キュリバトが指を差した方向に、森の入口らしき空間があった。
その入口に行ってみると、馬車が一台通れるくらいの幅の道ができている。アンジュは二人と目を合わせ、歩みを進めた。木の葉が生い茂っているため、まだ昼前にもかかわらず薄暗さを感じる。だが、意外にも不気味さはない。至るところにたくさんの野草や花が咲いているからだろうか。
しばらく歩き、休憩することにした。森の中でお昼を迎えると予想しており、サハジャイで数種類のパンを買っていたのだ。三人は道の端に腰を下ろして食べ始めた。
「今のところ普通の森だよね」
「人っ子一人いないけどな」
動物の鳴き声や気配は感じるのだが、森には自分たちしかいないのかと思うほど誰とも遭遇しない。野草や花をかき分けたような跡も、刈ったような跡もない。
「例の噂で人が寄り付かないのでしょう」
噂というのは、ロネミーチェの森の場所を確認するために、ミジュコの図書館へ行ったときに男性司書から聞いた話だ。
『森の中に集落があるそうなんですが、そこまで誰も辿り着けないという噂を聞いたことがあります』
男性司書は確かにそう言っていた。この先は迷路のような道のりなのか、凶暴な野生動物に襲われるのか、はたまた訪問者を撃退するような仕掛けがあるのか。
「怪我をしたり、命に関わることだったらどうしよう!?」
「それはないと思います」
そう言ったキュリバトは、丸いパンにかぶりついた。
「なんで?」
キュリバトは頬をモグモグと動かして、ゴクンと飲み込んだ。
「もしこの森で怪我人や死人が出ているのなら、『集落には誰も辿り着けない』ではなく、『森に入ってはいけない』というような注意喚起の言い方をするはずです」
「みんな無事に森を出てるってことか」
「おそらく。人を襲うような野生動物は生息していないと思われます。今のところ迷路でもない。とすれば、集落側が何か仕掛けているのでしょうが、怪我人や死人を出せば罪に問われてしまいます」
「つまり・・・訪問者を傷つけることなく、先に進むことを諦めさせるような何かがあるのでしょうか」
「そういうことです」
食事を終えて先に進むと、森に入ったときは余裕のあった道幅が、今歩いている所は人が辛うじてすれ違える程度しかない。右も左も頭上も木々に覆われ、まるで洞窟の中を通っているような閉塞感に包まれている。先頭を歩くキュリバトが手のひらの上に炎を出しており、後ろのイルもキュリバトに分けてもらった火を松明にして持っているおかげで周囲は明るい。
キュリバトが火魔法で作る鳥に乗っても熱くないし、火が燃え移ることもないが、彼女がいま手のひらに出している炎やイルの松明は本物の火だ。ふと、無人島に転移させられたときのことを思い出した。あのとき、火魔法が使えればと羨んだことを懐かしく思った。
そんなことを思い出しつつ、森の入口からここまで一本道だ。うねりはあったものの、迷路のような道ではない。一体何が行く手を阻むのかと思っていると、目の前に白い壁が立ちはだかった。




