第61話 凶夢
薄暗くどこまでも果てしなく続いているような、ただただ広く何もない空間。その中で目を見開きながら床を叩き、ブツブツと呟いているユアーミラは、相変わらず漆黒の瞳と湯気のような首輪をしている。
そのとき、ユアーミラの後方で空間がぐにゃりと歪んだ。それは縦長の楕円形に広がり、その中から現れたのはこの闇空間の主であるクランツだった。
「頃合いかな」
クランツはユアーミラの後ろ姿を眺めながらそう呟いた。
「ユアーミラ」
「・・・クランツ殿下」
振り返ったユアーミラは、睨むような目つきで目の下には隈ができている。肌も髪も艶が失われた不健康極まりない姿で、操られた状態でありながら自我を保ち、ひたすら悪意に満ちた雰囲気を放っている。今の彼女は嫉妬や憎悪、殺意を糧として生きているようなものだ。
(アンジュがレイフォナーのもとを離れたことは黙っておくか・・・)
「近いうちにここから出してあげよう」
「それはつまり、あの女を殺せるのですね!?」
「その通り。期待してるよ」
今のユアーミラには、皇女としてのプライドは欠片もない。異形の笑みを浮かべて肩を震わせている。
「ふ、ふふっ!待ってなさい、アンジュ!次に会うときがお前の最期よ!!」
アンジュたちは北部の町で昼食をとったあと、火魔法の鳥に乗って南東に向かった。途中の大きな街で休憩をとり、行き交う人に観光地を教えてもらって市場や豪華絢爛な神殿を訪れた。次の休憩地でも同様に過ごしているとあっという間に夕方になってしまい、北部の町からロネミーチェの森までの半分くらいしか進んでいなかった。
キュリバトの魔力は底無しなのかと思うほどまだまだ余裕だったが、これ以上先に進んだとしてもロネミーチェの森に着くのは夜で、すぐにマウべライド一族に会えるとも限らない。この休憩地の宿に泊まるか、先に進んで森で野宿をするか、話し合いになった。
「宿に泊まりましょう。見知らぬ森での野宿は危険です。お二人に怪我でも負わせたら、私は国家魔法士の資格を剥奪されて途方に暮れてしまいます」
「大袈裟な」
「それに、宿代や食事などの金銭面は心配無用です。レイフォナー殿下からたっぷり資金を持たされましたので」
「その資金は国のお金ですよね?無駄遣いはできません」
「光剣入手は国のため民のため、ひいては世界のためなのです。その過程に必要な資金は、無駄遣いではありません!」
アンジュとイルは慣れている野宿でもよいと思っていたのだが、いつもは平静なキュリバトの気迫に満ちた説得に負けてしまい、宿に泊まることになった。
この国には一人で行こうと思っていたため、自分でも王都で稼いだ分の硬貨を持ってきていた。しかし両替しようとしたところ、キュリバトに必要ないと止められた。バッジャキラに来たのは恣意的行動だ。たとえ国や世界のためだとしても、優秀な魔法士が同行してくれて、自腹の必要もないとは。甘やかされすぎではないだろうか。
逆を言えば、それだけ手厚いサポートを受けているのだから、必ず光剣を手に入れろということだ。一気に緊張感が高まり、呑気に観光を楽しんでいた自分が恥ずかしくなった。
そう気を引き締めたはずなのに、街の食堂でとった夕食は初めてだらけの料理で、あまりの美味しさに追加で注文してしまうほどだ。
「メアソーグとは味付けが全然違うけど、美味しい〜!」
「俺、まだまだ食えそう」
「遠慮なく注文してください」
村ではいつも一人で食事をしているため、こうやって一緒に食事をできる相手がいるのは楽しくて仕方がない。イルとキュリバトも食事を楽しんでおり、こんな光景が毎日続けばいいのにと思ってしまう。
「・・・いやいや、続かないから!緊張感どこ行った!?」
アンジュは突然大きな声を出し、手にしていたフォークを芋にブスッと刺した。
「何?緊張感?」
「どうされましたか?」
「な、なんでもないです・・・」
自分の緊張感とは、目の前の誘惑によって簡単に解かされてしまうほど脆いものだったようだ。異国の地で過ごす非日常の時間はお伽話の世界に入り込んだ気分に囚われ、お酒を飲んでいないのにふわふわと酔っている感覚に近いのだ。
宿に戻ってベッドに寝そべると、起きているのか寝ているのかわからない曖昧な意識は、なんて気持ちいいのだろう。きっといい夢が見れるに違いないと思っていると、目の前に一本の剣が現れた。切先を上にして宙に浮いているそれは全てのパーツが銀色をしている。柄頭にはめ込まれた黄金色の石は目を引く美しさだが、剣身が細身な至ってシンプルな剣だ。
(もしかして・・・これが光剣?)
それを掴もうと手を伸ばすと、剣は滑らかに動いて遠ざかった。一歩、二歩と前に進むと、剣も同じように遠ざかる。
(待って!)
歩みは次第に駆け足となって剣を追いかけた。しかし距離はどんどん開き、剣は煙のように消えてしまった。
ぱちりと目を開けたアンジュは額に汗が浮かんでおり、走ったあとのように呼吸が乱れていた。体を起こして辺りを見回してみると剣はどこにもない。隣のベッドではキュリバトがまだ寝ており、窓の外は空が白み始めていた。
なんて不吉な夢を見てしまったのだろう。これから向かう先での結果を見せられた気分だ。あれが光剣とは限らないし、ただの夢だとしても焦りと不安ばかりが募っていく。
「大丈夫。あれはきっと・・・光剣とは関係のない夢よ」
アンジュは手を胸に当てて、自分自身に言い聞かせた。




