第49話 遺品
村の自宅に帰ってきたアンジュは、ベッドの上で仰向けになって濡らしたタオルで目を冷やしている。王城から帰ってくる途中、堪えていた涙が滝のように流れてしまい、目が腫れてしまったのだ。
「これでよかったんだよね・・・?」
クランツの忠告は決して冗談ではないだろう。昨夜の行動は完全に私情だが、結果レイフォナーのもとを離れたことは正解だったのだと自分に言い聞かせた。
それともう一つ、気がかりなことがある。バラックには何も言わずに帰ってきてしまった。光魔法の訓練を放棄したことになり、強制的に王城に連れ戻される可能性がある。そんなことになったら、レイフォナーと顔を合わせるかもしれない。気まずいにも程がある。
あれこれ考えていると、お腹がぐぅと鳴った。
「気持ちを切り替えなきゃ!」
時間はすでにお昼を迎えていた。
朝食を食べずにひたすら飛んで帰ってきて、すぐにベッドに寝転がってしまったため、まずは昼食を作ることにした。隣人のおばあさんに手入れを頼んでいたこともあって、庭には野菜が実っている。それを収穫してスープを作った。王城の料理のような手の込んだ美味しさはないが、素朴な味に懐かしさを感じた。
そのあと庭の手入れをし、昨日できなかった場所の掃除を始めることにした。
あらかたやり終えたとき、隣のおばあさんがやってきた。右手には杖を、左手には布に包まれた四角い物を持っている。まだ少し腫れているアンジュの目をじっと見たが、そのことには触れなかった。
家の中に入ってもらおうとしたが、おばあさんは遠慮した。
「これを渡しに来ただけだよ」
そう言って、布に包まれた物をアンジュに渡した。
「これ・・・何?」
「中身が何かは私も知らないよ。お前に転機が訪れたとき、これを渡すようアーメイアから預かっていてね」
「お母さんが?」
「転機というのが今なのかは、わからないがね」
アンジュは布に包まれた物を机に置き、椅子に座った。
子供の頃に他界した母の遺品だ。嬉しいのと同時に、今になって渡されたことに不安も感じている。
布を外すと、蓋付きの長方形の木箱が現れた。それは両手に乗るくらいの大きさで程よい重みがあり、ひんやり冷たい。全面に金の細工が施されており、上面には緑色の大小の石がいくつかはめ込まれている。背面には二か所に蝶番、正面の留め具には鍵穴がある。
一体何が入っているのだろうか。それとも中は空で、ただこの木箱を遺してくれただけなのか。試しに振ってみると、木箱の内側に何かが当たるような感覚がある。蓋を開けようとしたが、鍵がかかっていた。自分がもっている鍵といえば家の鍵くらいだが、明らかにサイズが違っている。
「鍵なんて他に持ってないし・・・」
どうやって開けようかと考えていたとき、チェザライが風魔法でクランツの部屋の鍵を開けたのを思い出した。きっとそれが正解だと思い、アンジュは右の手のひらに風を発生させた。それを鍵穴に流し込み、鍵を開けるイメージで右手を動かしてみるが無駄に終わった。
机に突っ伏したアンジュは、あとはもう斧で木箱を破壊するしかないと思った。だが高級品に違いない木箱を壊すのは気が引けるし、中の物を傷付けずに取り出せるだろうか。
そのとき、誰かに話しかけられた気がした。何を言われたかは聞き取れなかったが、自分の近くに誰かがいる気がする。それは、訓練場の騎士やイルを治療したときを思い出す。耳から聞こえるというより、心に直接語りかけてくるような感覚だ。
アンジュは木箱を優しく撫でた。
「あなたなの?」
木箱は先程とは違い、どことなく温かい。自分に話しかけてくるのはこの木箱だと確信し、手を添えたまま目を閉じて光魔法を意識してみた。
(アンジュ)
(その声、お母さん!?)
(あなたが光魔法に目醒めこの箱を手にしたとき、このメッセージが聞こえるはず。中には手紙が入っています。少しでも力になれたらと思い、したためました。それを読み、為すべきことを為してくだ、さ、い・・・)
(お母さん!?お母さん!)
アンジュは途切れた母の声に何度も呼びかけてみた。だがそれ以上何も聞こえることはなく、木箱の鍵が解錠された音だけが響いた。
蓋を開けると、白い封筒が入っていた。それには何も書かれておらず、封もされていない。中には二つ折りになっている手紙が二枚入っていた。