第47話 最後の思い出に①
クランツの忠告は、もはや脅しだった。アンジュは反論することもできず俯いている。部屋は静まり返り、凍てつくような空気が流れ、クランツが椅子から立ち上がる音がやけに大きく響いた。
「どうするかは君次第だよ。じゃあ、またね」
アンジュがどう行動しようとも、いくつも先を読んでいるから余裕で対応できるという表情だ。
クランツは数分だけ滞在して帰っていった。
黒い湯気のようなものから解放されたレイフォナーたちは、操られている様子もなく怪我もしていなかった。クランツがやって来たことをちゃんと覚えているが、アンジュとクランツの会話は聞こえていなかったようだ。
「クランツは!?」
レイフォナーは剣幕でアンジュの肩を掴み、その表情からは焦りや憂慮が窺える。アンジュは思わず目を逸らしてしまった。
「お帰りになりました」
「何を話した!?」
「特に何も・・・挨拶だけ、です」
「本当に?」
「はい」
「・・・そうか」
嘘をつくのは下手だが、なんとか誤魔化せただろうか。レイフォナーはどこか納得していないようにも見える。微妙な空気になってしまい、これ以上掃除を続ける気分ではなくなった。隣のおばあさんに挨拶をして王城に戻ることにした。
部屋で一息ついたアンジュはクランツとの会話を思い出し、覚悟を決めて手紙を書くことにした。だがペンを持つと、何を書けばいいのかわからず手が動かない。
しばらく頭の中で考えを整理し、いざ書こうとすると手が震えそうになった。文字には心情が表れてしまう。不安定な状態で書いたと悟られないよう、一文字ずつゆっくりとしたためた。
書き終えた手紙は机の引き出しにしまった。
その後一人で夕食をとり、入浴を済ませ、侍女たちには下がってもらった。
そして今夜ある目的を遂行するために、用意してもらったお酒を飲み始めた。お酒の力を借りないと実行に移せないことなのだ。
ある程度飲んだところで、時計に目をやった。そろそろ夜が更ける時間だ。レイフォナーは普段から多忙であるにもかかわらず、今日は帰省に付いてきてくれた。クランツが現れたことでバラックや国王との話し合いもあり、今日はもう部屋に姿を見せないのだろうか。
「なかなか酔えないなぁ」
不安と緊張のせいかと思い、空になっているグラスにお酒を注いだ。
しばらくして、濡れた髪の寝衣姿のレイフォナーがやって来た。
「お酒飲んでるの?」
「あーやっと来たぁ!おそーい」
「なにそれ・・・可愛い」
「横に座って!髪、乾かしてあげる」
「ふふ、結構酔ってるね」
アンジュはいつもの言葉遣いはどこかへ行き、子供っぽい雰囲気だ。頬はピンク色に染まり、目がトロンとしている。レイフォナーがソファに腰掛けると、膝の上に乗って抱きついた。そして鼻歌を歌いながら、風魔法で髪を乾かし始めた。
「成程、酔うとこうなるのか・・・無防備すぎる。私以外とは飲ませられないな」
「ほんとはね、イルにね、お酒飲んじゃダメって言われてるの」
「つまりイルもこの姿を知ってるんだな?あいつにもこうやって抱きついたの?」
それを想像するだけで、暴れて部屋を破壊しそうなほどの怒りが込み上げてくる。自分が知らないアンジュを知っているイルが妬ましい。アンジュのすべてを知りたい。このしなやかな体も、匂いも、心もすべて自分のものにしたい。
アンジュは楽しそうに、乾いた髪を手櫛で梳いたり毛先を摘んで遊んでいる。自分がいま嫉妬と欲で心が真っ黒になっているとは思ってもいないのだろう。
「サラサラでいい香り〜」
「アンジュの髪も同じ香りがするよ」
「お揃いだぁ」
ふにゃっと笑う無邪気なアンジュはなんて可愛いのか。もちろん普段も可愛いのだが。この笑顔を見ていると、嫉妬に駆られた心がほぐれていく。こんなアンジュが見れるのなら、たまに酒を飲ませてみようか。アンジュから抱きついてくるなんてことは、こんなときしかない。
そんな邪なことを考えていると、アンジュの手のひらに両頬を包まれ、唇にキスをされた。
「んん!?」
何!?と言いたかったのだが、唇が塞がれていて上手く言えなかった。アンジュはお構いなしに不慣れでぎこちないキスを何度も重ねてくる。この瞬間をどれほど夢に見て我慢してきたことか。想像通り、アンジュの唇はしっとり柔らかくて気持ちいい。あまりの快感に思わず全身の血液が滾ってしまいそうだ。
唇が一瞬離れ、レイフォナーはアンジュを引き離した。
「やだぁ、もっとしたい!」
「待って待って!」
「気持ちよくなかった?」
「理性が飛びそうなほどの心地だったよ」
「じゃあ、もっとキスしよ?」
「アンジュ、飲み過ぎだよ」
キスを阻害されて不貞腐れているアンジュは、少し乱暴にナイトドレスを脱ぎ捨てる。下着は身に着けておらず、一糸纏わぬ姿を晒した。