第44話 もどかしい
アンジュはバラックの研究室でうなだれていた。椅子の上で両足を抱え、膝に額を乗せている。
「なんで光らないのよぉ・・・」
光魔法書には、光魔法は怪我を治したり、心を癒したり、闇魔法を打ち消すことができると記されている。心を癒すとは、反省していない犯罪者を改心させたり、生きる気力をなくした心の病の患者を治すことだ。
アンジュは毎日バラックのもとに通い訓練しているが、一度も光魔法を発動できなかった。イルの件でコツを掴めたと思ったのだが、とんだ勘違いだった。どうやら、その場の状況や心情に左右されてしまうようだ。
試しに、収監されている犯罪者に光魔法を使ってみたのだが、全く効果がなかった。
「使いこなせているとは言えんのう」
「アンジュさんは緊迫した状況に強いのですよ」
キュリバトはフォローしてくれたが、いついかなるときでも発動できなければ意味がない。
イルは検査台の上であぐらをかいて、そんなアンジュを静かに見ている。
アンジュを殺そうとしたこと、そのときのアンジュの苦しんでいる顔、アンジュを悲しませたことは一生忘れることはできないだろう。だがアンジュが置かれている状況を考えると、自分の心の傷なんかちっぽけに思えてくる。生まれ変わりや光魔法、王族や魔法士たちからの期待、それらは逃げ出したくなるほどのプレッシャーに違いない。くよくよしている自分が情けなく思えてきた。
「俺も魔法が使えたらな・・・」
これまで何度そう思ったことか。そうすれば、アンジュのつらさをもっと理解できるだろうし、力になってやれるのに。
イルの呟きが聞こえていたバラックは手のひらから水を出すと、机の上に置いてある半透明の石に垂らした。石は採掘したてのような歪な形をしており、手のひらサイズの大きさをしている。水は石を包み込みながら、美しい球体へと形を変えた。
バラックはそれをイルに渡した。
「何?これ」
「よいか、今から水を外す」
イルは不思議そうに首を傾げ、バラックは手に持っている杖をコツンと球体に当てた。するとそれは弾けるようにして消え、球体の中で浮いていた石はイルの手のひらにボトッと落ちた。
「どうじゃ、重いか?」
「めっちゃ軽いけど」
「・・・ほう?」
イルは石が乗っている右手を、さも当然のように上下に動かして証明した。バラックはそれを興味深そうに観察し、イルにいくつか質問をしている。
それを見ているキュリバトはいつもの無表情が消え、目を丸くしている。アンジュはわけがわからず、その様子をただ眺めていた。
その日の夜、入浴を終えたレイフォナーは自室のソファに腰掛けている。その後ろに立つアンジュは、風魔法で髪を乾かしてあげていた。
「また村に行ってもいいですか?」
「え?」
「イルの両親に直接謝りたくて・・・それに、王城で過ごす間は定期的に村に行きたいのです」
「いいよ。そうだな・・・明後日なら私も行ける」
「ありがとうございます!でも殿下はご多忙ですし、キュリバトさんと二人で行きますよ?」
そう言われたレイフォナーは表情が曇った。
乾いた髪を手櫛で整えているアンジュの手は心地よいが、今の発言はなんとも心地悪い。気遣ってくれたのだろうが、お前は必要ないと突き放された気がした。絶望のような不快感が全身を駆け巡り、気持ちをうまく制御できない。
「アンジュ、おいで」
叱るような声で言われたアンジュは、不思議そうな顔でレイフォナーの前に立った。
「私はアンジュに必要ない?」
「えぇ?」
アンジュに頼られたい。一瞬たりとも離れたくない。自分だけを見てほしい。目を覚ましたイルに抱きついて泣きじゃくっているアンジュに、苛立ちすら感じた。そんなにイルが大事なのか。自分は頼りないのだろうか。
一度不安になると色んな感情が溢れてくる。心が不安定になり、いつもの体裁が保てそうにない。アンジュのことになると、王子という特殊な立場でありながらも、一人の女性に恋い焦がれるただの男なのだと実感する。
レイフォナーはアンジュを膝の上に乗せると、肩にもたれかかって抱きしめた。
「もっと頼ってよ」
先程とは違い、どこか悲しそうな声だ。
縋ってくるレイフォナーが可愛く見えてしまう。できることならずっとこの人の傍にいたい。だが、彼はいずれ婚約者候補と婚姻を結ぶのだ。そのことを考えると、胸が締め付けられるように痛む。
光魔法を使いこなせるようになったら、この生活は終わりを迎える。こうやって一緒に過ごせる時間は残り少ないのかもしれない。いや、もともとレイフォナーのことは忘れようと思っていたのだ。それにユアーミラや王妃にもそう言われている。
どう返事をしていいのかわからず、話題を変えることにした。
「殿下、そろそろ休みませんか?」
アンジュは宥めるようにして、レイフォナーの頭を撫でた。
「・・・もう少しこのままで」
そう言われ、会話が途切れた部屋は驚くほど静かになったことに、なぜだか少し緊張してしまう。ただでさえ抱きしめられているこの状況にドキドキしているのに、緊張でさらに大きくなってしまった心音は、部屋中に響いている気がして恥ずかしくなった。




