第43話 対話
その日のうちに、魔法学校へ向かった。
アンジュはバラックの研究室に入るなり、一目散にイルに駆け寄った。外傷もなく呼吸も正常なイルは、ただ静かに寝ているだけに見える。アンジュは先程騎士を治療したときのように、イルの手を両手で包み込む。目を覚まさない理由を探るため、光魔法を意識して心の中で呼びかけてみた。
(イル、聞こえる?)
(・・・アンジュ?)
(そろそろ起きようよ)
(無理)
(なんで?)
(・・・俺、お前を殺そうとしたんだぞ。合わせる顔がない)
(起きたら詳しく話すけど、あのときイルは操られてたの。それって私のせいなんだ。イルは何も悪くないんだよ)
(それでも俺は自分を許せない・・・それに怖いんだ)
(私も、イルを巻き込んだ自分が許せないよ)
(・・・)
イルは言葉が出てこなかった。
あのとき、アンジュを殺そうとしたことをはっきりと覚えている。自分の意識は、鍵が掛かった檻に閉じ込められているような感覚だった。檻の外には誰かの邪悪な意識が居座っており、体はそれに従って動いていたのだ。
アンジュの放った光を浴びたことでその意識はどこかへ行ったが、自分は鍵が開いた檻から出れずにいた。自分の意思とは関係なく動いた体と、何よりアンジュを殺そうとしたことが怖くて仕方ない。
だが今話しかけてくるアンジュの声は、優しく説得するような柔らかな響きで、そんな自分をふわりと包みこんでくれる温かさと慈愛に満ちている。その声は心地よく、檻の中から手を伸ばしたくなった。
バラックは、イルの手を握ったまま動かないアンジュを眺めている。
「イルと話をしておるようじゃな」
「そのようですね」
バラックには何も言わず突然治療を始めてしまったため、レイフォナーは先程の訓練場でのことを説明した。バラックは、このあと発動されるかもしれない光魔法に期待が膨らむ。それは研究室にいた魔法士たちも同様で、ペンと紙を手にしてアンジュとイルの様子を細かくメモしていく。
(私ね、イルとはこれからも仲良くしたい。イルの気持ちを断っておいて我儘なのはわかってるけど)
(・・・)
(おじさんもおばさんも、ハルも、村のみんなもイルが帰って来るのを待ってる)
(・・・うん)
(このままイルが目を覚まさなかったら寂しいよ。イルに・・・会いたい)
(うん)
すると、アンジュの手のひらが光り出した。
「イル、そこから出よう!」
その光りはイルを包むようにして広がっていく。
アンジュは、心の中でイルが手を伸ばしてきたように感じた。その手を掴み、ゆっくりと引き上げていく。
話をしたことで、目を覚ましたいと思ってくれたのだ。光魔法とは、怪我を治したり心を癒やす効果がある。それは一方的に行っていると考えていたが、実際は対象者の心に寄り添うカウンセラーのような役目も担っているのかもしれない。
まばゆい黄金の光りに目を細めながらも、バラックはその様子を一瞬たりとも見逃さぬよう凝視している。
思わず、杖を握っている手に力が入る。アンジュに出会うまでは光魔法を拝めるなど考えたこともなかった。二百年前に途絶えたその魔法が、今この目に映っていることに感動と興奮で体が震えてしまいそうだ。
しばらくすると光は消え、イルはゆっくりと目を開けた。
「イル!?イル!!」
アンジュはイルに抱きついて、声をあげて泣き出した。
「アンジュ?・・・ここ、どこだ?」
「魔法学校だよ」
泣きじゃくっているアンジュの代わりに答えたのはレイフォナーだ。
目を覚ましたばかりでぼんやりしているが、見慣れない天井と見知らぬ魔法士たちを不思議そうに見ている。なぜ自分がここにいるのか理解できていないようだったが、アンジュを殺そうとしたことを思い出したのか、すぐに顔面蒼白になった。
「アンジュ・・・ごめん、ごめんな。俺・・・」
イルは眉間にシワを寄せ、苦しそうな表情をして言った。
「気にしてないよ!イルが目を覚ましてくれて嬉しい!」
イルはバラックから、光魔法書の内容やクランツに操られたことを聞かされた。にわかには信じられない話だったが、自分は巻き込まれたと理解したようだ。
「私のせいでこんな目に合わせて、ごめんね」
「俺よりお前のほうが大変そうだな」
まだ立ち直れていないイルは、アンジュの肩にもたれかかった。
レイフォナーはそれをムスッとした顔で見ているが、愛する者を手にかけようとした恐怖からは、そう簡単に解放されるものではない。今だけは見逃してやることにした。するとキュリバトが、元気づけようとしたのかイルの頭を思い切り撫で始めた。髪がグチャグチャのイルは「やめろよ!」と言って手を払う。少しだけ、いつもの調子が戻ったように感じた。
イルの話では、アンジュが村に帰ってくる数日前に、黒いマントを纏った者に声をかけられたという。フードを深く被り、顔はよく見えなかった。小柄で声が高かったが、少年という印象を受けた。
『アンジュをレイフォナーに取られてもいいのか?』
そう言うと、その者の手のひらから黒い湯気のようなものが発生し、それはするすると自分の口の中に入り込んだ。ほどなくして湯気は消え、マントの少年もいなくなっていた。
何が起こったのかわからなかったが体調に変化や違和感はなく、特に気に留めていなかったようだ。
「マントの人物はクランツだな」
「何が目的なのかねぇ?」
「アンジュちゃんに復讐とか?」
二百年前にアンジュに封印されたことへの復讐の可能性は大いにある。そもそも二百年前のクランツは、なぜ国に災いをもたらしたのかも気になるところだ。
「バラック先生はどう思いますか?」
「復讐の線は最有力じゃろうな」
イルはしばらく魔法学校に滞在し、様子を見ることになった。




