第124話 帰還
目を開け、視界いっぱいに茶色の天井が広がったレイフォナーは、暖かな光が差し込むほうへゆっくりと顔を動かした。
「明るい・・・ベッド・・・?」
枕や上掛けらしきものが視界の隅に映り込んだ。自分はいまベッドの上で寝ているようだ。
視線の先には窓があり、少し開いている。そこから人々が活動をはじめた早朝のような清々しさを感じた。鳥のさえずりや生活音―――談笑や物音が聞こえてくる。それらは闇空間を脱出したという確かな証拠だ。
「戻ってこれたんだ・・・」
レイフォナーは安堵で気が抜けたのか、しばらくぼうっと茶色い天井を見つめた。だがあることを思い出し、勢いよく体を起こした。
「アンジュ!クランツ!」
ぼうっとしている場合ではない。ともに脱出した二人はどこだと辺りを見回すと、隣のベッドに眠っているアンジュの姿があった。
「アンジュ!」
レイフォナーはベッドから降り、アンジュの頬に手を当てた。
温かく、穏やかな寝息を立てている。怪我などはなさそうで、腹の子も無事だろう。
だが白い球体の気配がない。アンジュの上掛けをめくってみたが、手には何も握られていない。脱出の際、自分が背負っていたアンジュのリュックの中を調べたがいない。「クランツ!」と呼びかけながら室内も捜したが、やはりいなかった。
アンジュが眠るベッドに腰掛け、改めて部屋の中を見渡した。木造の建物で、ベッド以外にはテーブルと二脚の椅子、上着掛け。家具類は簡素な造りで、アンジュの家のような素朴な部屋だ。誰かの家か、もしくは平民向けの宿か。
脱出から先ほど目を覚ますまでの記憶はないが、自分たちで宿を手配したとは思えない。誰かがここまで運んでくれたのだろう。
そんな事を考えていると部屋のドアが開き、入ってきた人物と目が合った。
「あ、目を覚ましたんですね。体調はどうです?」
そう言った男から敵意は感じなかった。年齢は三十代半ばくらいだろうか。肩にかかる無造作な髪は、黒にも濃紺にも見える。特に目を引くのは、ショールよりも高そうな身長だ。それに加えて背筋がまっすぐ伸びた姿勢のよさ、細身に見えるが鍛えているであろう体躯はまるで騎士のようだ。
その男は水差しやコップが乗ったトレイをテーブルに置いた。そしてコップに水を注ぎ、それを手にして近づいてきた。
「あ、ああ・・・体調は問題ない」
「それはよかった」
切れ長で髪と同色の瞳の男は笑みを浮かべ、コップを差し出した。それを受け取ってもう一度見上げると、この男とどこかで会ったことがあるような懐かしさを感じた。
男は先ほどまで自分が寝ていたベッドに腰を下ろし、向かい合った。そして不躾に見つめてくる。
「その・・・変なことを訊くが、ここはどこなのだ?」
「ここは中央大陸北東部にあるツィアンで、二番目に大きい街、ルンペイの宿屋です」
「ツィアン・・・」
なぜツィアンにたどり着いたのだろうと考えている間にも、男はやはり興味深そうに見つめてきた。なんだか嬉しそうに笑みを浮かべている。
「私の顔は、どこかおかしいだろうか?」
「あ、すみません!そうじゃなくて!」
男は慌てて両手を大きく振った。
「ただ・・・期待を裏切らない美男にご成長されたなーと思いまして」
昔馴染みのような口ぶりに、レイフォナーは目を丸くした。
「俺はツィアン出身ですが、一時期メアソーグで暮らしていました。それに、あなたの魔力を覚えていたので」
「君の名を教えてくれないか?」
「フィーと申します」
レイフォナーはその名を聞いて子どもの頃の記憶が蘇り、先ほど感じた懐かしさと結びついた。
黒にも濃紺にも見える、腰まで伸びたゆるやかな髪。首が反ってしまいそうなほど見上げねばならない、誰よりも高い身長。魔法士の真っ白なローブをまとい、手のひらから繰り出される炎。上司に杖で頭を叩かれ、文句を言いつつも研究に取り組む男の姿―――。
レイフォナーは思わず、人差し指を向けてしまった。
「バラック研究室の、上級火魔法士のフィー!」
「ご無沙汰しております。レイフォナー殿下」
フィーはかるく頭を下げ、思い出してもらえて嬉しい、という顔でレイフォナーを見つめた。




