第113話 遭遇
目的の場所に到着し、アンジュは鳥から降りた。
懐中時計を見ると、一時間ほど飛行していたようだ。どうりで徒歩では距離が縮まらないわけだと納得したのと同時に、改めて異空間の広大さを実感した。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとう」
アンジュに顔を撫でてもらった鳥は、姿を消した。
ここにたどり着く途中、何もないこの空間に人形やぬいぐるみなどをいくつか見かけた。バラックが転移の実験に使ったものだ。それらを見かけても回収しないようにとバラックから言われていたが、置き去りにするのは心が少し痛んだ。
アンジュは気を取り直して、目の前を覆う球体を見つめた。数歩進んで手を伸ばせば触れられそうなほどの至近距離だ。
「どうやって中に入ろう」
入口などご丁寧にあるはずもなく、アンジュは考え込んだ。
そして、入口がないのなら自分で作ればいいのだ、という結論に至った。闇の魔力でできた空間なのだから、光の魔力を使えば可能かもしれない。だが未知のこの空間に直接触れることに多少なりとも恐怖がある。
それならばと思い、アンジュは腰の光剣を鞘から引き抜いた。すると銀色の光剣は黄金に輝き出した。切先を球体に向け、柄を両手で握り、光剣に光の魔力を流す。数歩進むと、切先がいとも簡単に球体に刺さった。まるで、パンにナイフを突き刺したような軽い感触だ。
アンジュは剣を引き抜き、刺さっていた場所に顔を近づけると、真っ黒な球体に五センチほどの灰色の亀裂が入っていた。
「これって・・・」
アンジュは再びその亀裂に光剣を突き刺した。そして勢いよく振り下ろすと、灰色の亀裂は一メートル以上に広がった。
「入口だよね?」
闇空間に触れた光剣は特に異常を感じなかったため鞘に納め、おそるおそる亀裂に右の指を入れた。これといっておかしな感覚はないが、冷たく、滑らかでやわらかい。左の指も差し込み、亀裂を左右に開くように動かしてみた。すると、縦一直線だった灰色のそれはアーモンドのような形に広がった。
「よし!行こう!」
アンジュは足を踏み入れ、ゆっくりと闇空間内部に入り込んだ。
視界には薄暗い空間が広がっている。色彩が異なるものの、何もなく静かで距離感や立体感のなさは、異空間とよく似ている。振り返ると、入口は跡形もなかった。手を伸ばして周辺を調べてみたが、壁のようなものもない。入口は塞がってしまったのか、それとも侵入地点と到着地点が同じとは限らないのか。不可解なこの空間でただわかるのは、異空間にいたときよりもレイフォナーの魔力を強く感じるということだ。
アンジュは目を閉じて集中し、レイフォナーの魔力を探ると右へと歩き出した。
「レイフォナー殿下ー!!」
何度か呼びかけているが応答はない。それだけまだ距離があるということだろうか。
「不思議な空間・・・」
アンジュは足元を見た。
歩いている地面は本当に地面なのかと疑ってしまう。まるで透明な板の上を歩いているような感覚なのだ。その下にも薄暗い空間が広がっており、足音が一切鳴らない。歩いても歩いても景色は変わらず、先に進めているのかも疑わしく思えてくる。
何より不気味なのは、孤独感に襲われることだ。ひんやりとした空気のせいか、薄暗いせいか、未知の空間への恐怖心のせいか。操られていたとはいえ、こんな空間に閉じ込められていたユアーミラはさすが肝が座っている。
歩き出して数分経過したとき。前方の空間が歪み、楕円形の穴が開いた。そこから姿を現したのは、いま一番会いたくない人物だった。
「やあ、アンジュ。体調はどう?」
「クランツ殿下!」
「飲ませたアレ。間違いなく薬だったでしょ?」
アンジュは腹に手を当てた。
「その節は・・・ありがとうございました」
数日前。昼寝から目を覚ましたときのこと。腹が痛み、どうしていいかわからず焦っているとクランツが現れ、持ってきた薬草でつくった薬と称するものを無理やり飲まされた。薬草の残りを回収したバラックは知り合いの医師に調べてもらい、それは確かに早産を防ぐ薬だったと報告を受けている。
「それにしても驚いたよ。この空間に侵入したのはアンジュが初めて」
「ここは闇空間ですか?」
「うん」
「ずいぶん簡単に入れるのですね?」
「ここは僕が連れてきた者を閉じ込める檻のようなもの。現実とは異なる空間に、自ら望もうとたどり着ける者なんてまずいない。だから侵入者に対しては無防備なつくりなんだよね。でも脱出はそうはいかないよ。過去に自力で脱出できた者は一人としていない」
アンジュはクランツを睨んだ。
「それでも、私は必ずレイフォナー殿下と脱出してみせます!」
「へえ、それは楽しみだ」
そう言ったクランツの後方に再び歪みが生じて、楕円形の穴が現れた。
「じゃあ、がんばって」
クランツが穴に入ると歪みは小さくなっていき、跡形もなく消えてしまった。
アンジュはその場に座り込んだ。もし戦闘になっていたらーーーと考えるだけで呼吸が乱れ、手足が震えてしまう。クランツが支配するこの空間はあまりにも心細く、誰かに縋りたくなった。両手で腹を包み込み、深呼吸を繰り返した。
「弱音なんて吐いたら、この子に心配かけちゃうわ」
気を引き締めたアンジュはゆっくりと立ち上がった。




