第106話 結界
「う・・・ん」
アンジュが目を開けると、見慣れた天井が目に映った。
自分の家の寝室だ。すると、心配そうに覗き込むキュリバトの顔が視界に入った。
「鳥の姿じゃない・・・」
「はい、本体です。あれから八時間ほど経ちました。お身体はいかがですか?」
口内に残る苦みとニオイに、あれから、とは何があったんだっけ?と記憶を遡るまでもなかった。
アンジュはゆっくりと体を起こし、お腹を撫でてみた。
「全然痛くない!あれは本当に薬だったの・・・?」
「クランツが姿を消したあと、アンジュさんはすぐに眠ってしまったそうです。何があったのか、教えてください」
「はい」
アンジュは昼寝から起きたら腹が痛かったこと、そこにクランツが現れ、彼が作った薬を無理やり飲まされたことを話した。
「大事なときにお傍にいなくて申し訳ありませんでした。少し・・・気が散っていました」
「??」
いつも完璧に任務をこなすキュリバトが、鳥を維持できないほど気が散るとは何か問題でも起こったのだろうか。
「バラック先生がキッチンに残されていた薬草を回収し、知り合いの医師に調べてもらっているそうです」
「そうですか・・・あ、あの・・・あのとき、なぜレイフォナー殿下はここにいらっしゃったのでしょうか?」
「バラック先生が闇の魔力を感知し、殿下に報告したからです。クランツは転移を使ってここに来たのでしょう」
「なるほど・・・」
「のど乾いてませんか?お水、持ってきますね」
キュリバトは無理やり会話を終わらせるように寝室を出た。
レイフォナーはワッグラ村から王城へ戻ると幾許もなく、騎士団や魔法士を従えてエゴウェラに向かった。翌日町に到着してまず、領主の案内で被害に遭った地域の状況を確認した。
「なんということだ・・・」
「死者は私兵と町人合わせて三十人以上。負傷者は百人にも上ります」
山林に近いその場所は、まるで戦争の被害地のようだった。オーランの破壊だけでなく火災も起き、原型を留めている家屋は僅かしかない。畑は滅茶苦茶に荒れ、至るところに血痕が残り、無言で片付けをする町人たちの姿があった。
レイフォナーはすぐにピアスを通してバラックに連絡をし、国王に医師の派遣や復興の協力を仰いだ。
「予想通りだな」
被害状況の確認を終え、山林に到着したレイフォナーたちは目の前にそびえ立つそれを見つめている。
「なあ、本当にアンジュちゃんに付いてなくてよかったのか?」
と言ったのはショールだ。
「キュリバトがいるから問題ない。それに、私とは顔を合わせづらいだろうからな」
「それにしても、これじゃあ僕たちでも中に入れないね〜」
チェザライが言ったこれとは、山林全体を覆っている無数の鎖だ。レイフォナーたちがこれまでにも目にしてきたそれは、闇の魔力でできた結界だ。だが魔力がない者には鎖は見えない。エゴウェラの領主も私兵たちも魔力がないため、森に入れない理由を透明な壁と表現していたのだ。
レイフォナーは左耳の後ろに手を当て、ピアスに話しかけた。
「バラック先生」
《・・・着いたか?》
「はい。森には無数の鎖が張られています。クランツの魔力で間違いありません」
《やはりそうか。団員や馬たちを遠ざけるのじゃ。片方の耳からピアスを外し、石の部分を結界に向けよ》
レイフォナーは右耳のピアスを外して言われた通りにした。
「準備完了です」
《森との距離は?》
「三十メートルほどです」
《よし。では、結界を解除する。相当な衝撃を受けるじゃろうが、踏ん張るのじゃ。ピアスを落とすでないぞ》
「はい!」
すると、レイフォナーが手にしているピアスの宝石が白く光り出した。
直径五ミリほどの宝石から、バラックの膨大な魔力が無数の光線を放出し、予想以上の衝撃でレイフォナーは吹き飛ばされそうになった。だがその瞬間、ショールが後ろからレイフォナーの両肩をガッチリと掴んだ。
「支えてやるから、ピアスを落とすなよ!」
ショールにしがみついているチェザライの背後には、風の壁が出現している。
「一応壁を張ってるけど、できるだけ踏ん張って!」
「了解した!」
そう言っている間にも光線は放出し続けている。レイフォナーはピアスを摘んでいる右手の親指と人差指を補強するように、左の指を重ねた。
体に受けるこの衝撃をいつまで耐えていればいいのかと思っていると、森を覆っていた鎖に変化が見えた。
レイフォナーは左耳のピアスに話しかけた。
「鎖が崩れ始めました!」
《よし。あと十秒耐えよ》
バラックがそう言うと、光線の量と威力、衝撃がさらに増えた。さすがのショールも耐えきれず、レイフォナーたち三人は後方の風の壁に叩きつけられた。それを見た魔法士たちは、チェザライのつくった壁にさらに壁を重ねた。
「ぐああっ!!」
「なんて、威力だ!」
「バラック先生!まだ〜!?」
すると、ピアスから放たれていた光線が消え、白い光も消えた。
その場に座り込んだレイフォナーたちは、呼吸を整えながら森に視線を移した。
《レイフォナー、結界はどうじゃ?》
「さすがです、バラック先生。すべて消えました」
《よし。あとは任せたぞ》
「はい」
「あんのジジイ、加減てものを知らねえのか!」
《聞こえとるぞ、ショール》
「やべっ!」
布陣を整え、レイフォナーは山林をまっすぐ見つめた。
領主の話では、山林には人が足を踏み入れることがないためどんな様子なのかまったくわからないとのことで、馬は置いていくことにした。
ここにいる騎士や魔法士たちにとって、オーランなど取るに足りない相手だ。だがそれは、通常のオーランだったら、の話だ。町の被害を見ても相当凶暴化していると思われ、クランツ本人との戦闘になる可能性もある。
「これより、オーランの調査を開始する!決して油断するな!」




