第105話 薬
ベッドで昼寝をしていたアンジュは、寝ぼけているのか目を開けてもぼんやりとしていた。
ふと腹部に違和感を感じ、体を起こした。それは次第に痛みへと変わり、間違いなく腹の子に関係していると思った。だが何が起こっているのかわからず、痛みと不安、恐怖や焦燥で呼吸が荒くなるばかりでどうしていいのかわからず動けないままでいた。
「キュリバトさん?」
アンジュは助けを求めるようにあたりを見回したが、鳥の姿はなかった。
すると、寝室のドアがガチャっと音を立てた。ドアが開き、コツコツと足音を鳴らしながら姿を現した人物に、さらなる恐怖で呼吸が止まりそうになった。
「クランツ、殿下・・・」
「顔色が悪いね、アンジュ」
ベッドの横で足を止めたクランツは、呆れたような顔でアンジュを見下ろした。
「まったく・・・あのときと一緒じゃないか」
「・・・?」
「腹が痛いんでしょ?」
「なぜ・・・」
「二百年前もそうだったから」
そう言ったクランツはアンジュの肩を掴んで寝かせた。
「今世のアンジュも自分の治療って苦手なの?」
ギクッとしたアンジュは、クランツから目を背けた。
「ふうん。でも一応、光魔法で腹の痛みをなんとかしてみて。やらないよりはマシなはず。その間に僕は薬を作るから」
クランツは、左手に数種類の薬草らしきものを持っている。
部屋を出ていくクランツを、アンジュは訳がわからず見つめていた。
自分はクランツに憎まれているはずだ。それなのに、なぜ助けるような行動をとるのだろう。
いくら考えても一向に答えは出ず、その間にも痛みは継続している。今はとにかく腹の治療が最優先だ。自分を治療するには相当な魔力と時間を費やす。庭仕事などで擦り傷ができたときに練習はしているものの、クランツの言う通りまだ苦手だ。それでも、腹の中で何が起こっているのかわからないが、子を宥めるように光魔法を使った。
だが色んな考えが頭の中を駆け巡って治療に集中できずにいると、キッチンから音が聞こえてきた。包丁で何かを刻む音。すり鉢を使っているであろうゴリゴリという音。お湯が沸く音。クランツは一体、なんの薬を作っているのだろうか。
それにしても、寝室でそんな音を聞くのは久しぶりだ。母が亡くなってからは父が食事を作ってくれていて、いつからか自分も料理をするようになってーーー昔のことを思い出していると、気持ちが落ち着きを取り戻したのか、それとも光魔法が効いているのか、うとうとしてしまった。
「起きて」
という声に、アンジュは目を開けて体を起こした。
手に小鉢を持ったクランツがベッドに腰掛けている。
腹の痛みとクランツ。こんな緊急事態にもかかわらず眠ってしまった。感覚的に三十分ほどだろうか。危機感のなさを恥じていると、顔を歪めずにはいられないニオイが鼻をついた。
アンジュの表情を察したクランツは、手に持っている小鉢に視線を落とした。
「ツツザケ虫って、すり潰すとすごくクサイんだよね」
「!?」
ツツザケ虫とは、畑仕事をしているとよく見かける昆虫だ。作物の成長を妨げる虫を食べてくれるありがたい存在だが、腹には毒液が満ちた胃袋のようなものが備わっている。
「安心して。毒袋は取り除いてあるから。これは他にも数種類の薬草を使っていて、子が早く産まれるのを防ぐ薬」
「え・・・」
「アンジュはいままさに早産に直面している。数か月も早く産まれれば、母子ともに助からない」
クランツは小鉢をアンジュに差し出した。
「飲み干して。二口くらいだから。砂糖を入れたから、多少飲みやすいはず」
小鉢を覗き込むと、生肉が腐ったようなニオイを放っている。薬草を煮詰めたのか、どろっとした見た目のそれは緑の絵の具に黒を混ぜたような食欲を削ぐ色で、刻んだ赤い果実が浮いている。
とても口にできるものではなく、クランツはこの機に自分を毒殺するつもりなのだろうか。焦りが増すと、腹の痛みも強くなってきた。
アンジュが腹に手を当てると、クランツが急かしてきた。
「痛いんでしょ?早く飲まないと手遅れになるよ」
「あなたを信じろと?」
「騙されたと思って飲んでみなよ」
「あなたが私を助ける理由がわかりません!」
クランツは大きなため息をつき、アンジュに顔を近づけた。
「僕はね、死を懇願するくらい痛めつけてからお前を殺したいんだ。こんなかたちで死なれては、お前を生まれ変わらせた意味がない」
憎しみに満ちた目を向けられたアンジュが微動だにできずにいると、クランツは小鉢の中身を口に含んだ。そしてアンジュの顔を両手で掴み、唇を重ね、強引に唇をこじ開け、口に含んでいたそれを流し込んだ。
アンジュは鳥肌が立った。
ニオイも味もまさに毒物かと思うほどで、こんなものを飲めばよけいに体調が悪化しそうな気がした。だが反射的にそれを飲み込んでしまった。
「ごほっ!う、うえぇ!」
唇が離れ、アンジュはむせた。
「僕だってこんなもの口にしたくないよ」
と言ったクランツは小鉢の残りを口に含み、再びアンジュに唇を重ねた。
「んゔぅ!」
飲みたくないのに先程と同じようにゴクンと飲み込んでしまった。それなのにクランツは唇を離さない。それどころか舐め回すように舌を絡めてくる。体を押し離そうとしても、びくともしなかった。
そのとき。
「何を・・・している?」
混乱と怒りが混ざった声が響き、唇を離したアンジュとクランツはドアに目を向けた。
そこにはレイフォナーが立っており、その後ろにはショールとバラックの姿もある。アンジュは大きくなったお腹がバレないよう、慌てて上掛けでお腹を隠した。
「あらら、見られちゃった」
と言ったクランツに、レイフォナーは目を見開いたまま問いかけた。
「答えろ。何をしていた?」
「薬を飲ませてただけ」
「お前・・・!」
怒りを露わにしたレイフォナーは、クランツに向けた右手に水をまとわせ、今にも攻撃を仕掛けようかという勢いだ。すると、クランツは抱き寄せたアンジュの喉元に指を突き立てた。
「僕に攻撃してもいいけど、その前にアンジュの喉を切り裂くよ」
「落ち着くんじゃ、レイフォナー」
バラックに肩を掴まれ、レイフォナーはしぶしぶ手を下ろした。
「僕は本当に薬を飲ませただけ。感謝されこそすれ、怒られる筋合いないんだけど」
クランツはアンジュを解放して立ち上がると、足元に手のひらを向け、黒い影ーーー転移の円を出現させた。
「待て!なぜお前がアンジュを助ける!?憎んでいるのだろう!?」
「それはアンジュに訊いて。まあ、副作用でじきに眠気に襲われるだろうけど。六時間くらいは安静に。では兄上、またね」
クランツは黒い影に吸い込まれるようにして消えてしまった。




