第103話 ユアーミラの訪問
イルに妊娠がバレたあと、アンジュは隣人のおばあさんにも打ち明けた。
お腹の子の父親のことは伏せたが、一人で産んで育てると伝えると『お前ね・・・』とバラックと同じような反応を見せ、いつもにこやかなおばあさんの表情は珍しく厳しかった。だが話しをするうちに自分の覚悟を感じ取ってくれたようだ。
『色々教えてあげるよ。お前は私にとって孫のようなものだからねぇ。お腹の子はひ孫だね』
おばあさんは育児のベテランだ。夫亡きあと三人の子どもを立派に育て上げた。そんな心強い先輩が傍にいてくれると思うだけで、出産への不安など吹き飛んでしまいそうだ。
それから二か月が経ち、アンジュのお腹は少しふっくらとしていた。
「体調はどうじゃ?」
「すこぶる良いです!最近は、お腹の中で子が動いているような感覚があるんです」
「元気に育っておるようじゃのう」
仕事の合間を縫って、バラックは時々様子を見に来てくれる。
この日は、いつも身に着けているピアスのメンテナンスを行った。バラックの魔力が込められているこのピアスは、離れていても会話ができる代物だ。時間の経過とともに魔力が減ってしまうため、定期的に補充する必要がある。
魔力を込め終わったバラックは、ローブの中から封筒を取り出し、アンジュに渡した。
「ユアーミラ皇女からじゃ」
と言われたアンジュは、しまった!という顔をした。
「忘れてた・・・」
バッジャキラから戻り、ユアーミラに手紙を出して、返事が来る前に王城を離れてしまったのだ。村に帰ったことを伝えていないことに今気づいた。
そんなバラックとのやりとりを思い出したアンジュの目の前には、供を連れ、腕組みをしたユアーミラが不機嫌そうに立っている。
「久しぶりですわね、アンジュさん」
「お、お久しぶりです・・・」
ユアーミラは、アンジュの肩に乗っている鳥に目を向けた。
「あなた、あのときの火魔法士・・・」
あのとき、とは丘での戦いのことだ。「お久しぶりです」と言った鳥を、ユアーミラは身を乗り出すようにして見つめている。
玄関のドアノブを握ったままのアンジュは、嫌な汗が流れ、硬直している。
バラックからユアーミラの手紙を受け取ったのは、一か月以上も前だ。公務も魔法の訓練も真面目に取り組んでいると書かれていた。自分も近況報告をしたかったのだが、レイフォナーにも話していない子のことを書くわけにもいかず、城を離れた適当な理由が思い浮かばなかったため返事を出していなかったのだ。
アンジュはなんとか平静を装い、ユアーミラを家の中に招いた。
ユアーミラは椅子に座り、お茶を準備しているアンジュへ矢継ぎ早に質問を投げかけている。
「王城にいるはずのあなたに文を出したところ、村に帰ったという知らせを受けたのですが?」
「すみません・・・」
「レイフォナー殿下とバッジャキラの小娘・・・ラハリルとの婚姻が噂されていることが関係しているのかしら?」
「えっと・・・」
「そのお腹も気になりますわ」
「はい・・・」
アンジュは淹れたベリー茶と、手作りクッキーを出してユアーミラの向かいに座った。
ユアーミラと初めて会ったのはこの家だ。そのときの彼女は敵対心が剥き出しで、自分にもお茶にも蔑んだ目を向けていた。だが今では心を許してくれているのか、ためらいもなくマグカップに手を伸ばしてお茶を飲んでくれた。
「あら、美味しいわ」
そんな彼女にすべてを話したいところだが、バッジャキラでのことは国家間の交渉であるため、そう気安く他言していいものではない。とはいえ、レイフォナーの婚姻はすでに他国まで話が広がっているようだ。
「その、バッジャキラで色々ありまして・・・ラハリル王女の輿入れが正式に決まり、身を引いたといいますか・・・」
「わたくしは、あなたとレイフォナー殿下が一緒になるだろうと思い、婚約者候補を辞退したというのに」
ユアーミラの思いを裏切ってしまっただろうか、と思ったアンジュは俯いた。
「私の取り柄といえば光魔法くらいですし、身分も教養もないですし・・・」
「まあ、以前はあなたのことを村の小娘ごときが、と思っていましたけど、光魔法は取り柄などではなく誇りであり、あなたの慈悲深い心に救われる者はたくさんいるでしょう。もっと自分に自信を持ちなさいな」
「あ、ありがとうございます」
「それにしても、レイフォナー殿下にはガッカリですわ。アンジュさんを手放すなんて。しかもそのお腹、殿下のお子なのでは?」
「レイフォナー殿下は私を側妃にするつもりだったのです。それを断り、子ができたことは伝えていません」
「王族の求婚を断るなんて・・・あなた、いい度胸してるわね」
自己評価が低い控えめな性格でありながら、思いきった行動をとる。ユアーミラはそんなアンジュを好いている。よそ者がこれ以上首を突っ込むことは余計なお世話だと思い、この話題についてはそれ以上追求しなかった。
三時間ほどおしゃべりを楽しんだユアーミラは帰国時間となり、見送るためアンジュも外に出た。
「我が国に招待するのは、お子が産まれてからになりそうですわね」
「先延ばしになってしまい、申し訳ありません!」
丘での戦いのあと、眠りについたユアーミラを目覚めさせ、ブランネイドに遊びに行く約束をしていた。
「・・・メアソーグに居づらいのなら、ブランネイドに越してきてもよくてよ。城には余るほどの部屋がありますから、あなたとお子くらい面倒見てあげますわ」
ユアーミラはアンジュから視線を逸らし、少し照れながらそう言った。相変わらずプライドは高いが、寄り添ってくれる心が嬉しかったアンジュは、ユアーミラの手をとった。
「ありがとうございます。レイフォナー殿下のことを思い出すとつらいですけど、ここには両親との思い出もありますし、クランツともまだ決着がついていません。もうしばらく頑張ってみます」
ふん、と鼻を鳴らしたユアーミラは手を払い、アンジュに背を向けた。
「次に来るときは、お子に必要なものでもお持ちしますわ」
「そ、そんな!お気遣いなく!」
「好意は素直に受け取りなさいな」
と言ったユアーミラは右手のひらに炎を出し、大きな鳥をつくり出した。
「え!?」
魔法の訓練を頑張っていると言ってたが、数か月前まではろくに火魔法を使えなかったはずだ。それなのにもうこんなに使いこなしていることに、アンジュは目を丸くした。
「すごいです!ユアーミラ皇女!」
「まだ中級ですが、必ず上級になってみせますわ。その暁には、あなたに手合わせを申し込みますわ!」
振り返ったユアーミラは、アンジュの肩に乗っている鳥を指差した。
「手加減いたしませんよ?」
キュリバトが火魔法でつくった鳥は、余裕たっぷりに答えた。
「ふふ、お互い全力で」
火魔法の上級同士で対決しようものなら、辺りは一瞬で火の海になるのでは?と思ったアンジュは鳥肌が立った。だが、鳥もユアーミラもその日が来るのを楽しみにしているような顔をしている。
供の手を借りて鳥に乗ったユアーミラはひらひらと手を振り、「では、ごきげんよう」と言って飛び立った。




