第102話 国王と王妃とアーメイア
「お前は馬鹿だねぇ」
「本当に、呆れてものも言えませんわ」
と言ったのは、国王と王妃だ。
レイフォナーは二人とティータイムの最中である。
両親とお茶をするのはいつ以来だろうか、と思い出せないくらいに久しい。珍しく二人に呼ばれて嫌な予感はしていたが、アンジュを村に帰したことへのお叱りを甘んじて受け入れているところだ。
「王命だと言って、強引にでも妃にすればよかっただろうに」
「今からでも連れ戻しては?」
好き勝手言っている両親に、レイフォナーはため息をついた。
「私はアンジュに命令したくありません。そんな圧力をかけて繋ぎ止めても彼女は幸せにはなれない。心優しい子なのです。もし側妃になったとして、人前では平静を装いつつも望んでもいない地位に気持ちが追いつかず、心を病んでしまうのは目に見えています。私のもとを離れるという結論に至り、それで彼女が心穏やかに過ごせるのなら・・・それを見守ってあげたい」
王妃と目を合わせた国王も、ため息をついた。
「お前も優しすぎるな・・・いつか国王の座を譲ることが不安になるよ」
「国政とアンジュは別物です」
国王はふっと鼻で笑った。
「わかっていないな、レイフォナーよ。国を統べる地位と好いた女、両方を手に入れてこそ真の統治者だ」
そう言われたレイフォナーは、目を丸くした。
「あのときの問いに答えてやろう」
あのとき、とは以前レイフォナーが国王と二人で酒を酌み交わしたときのことだ。なぜ婚約者候補全員を娶らなかったのか、というレイフォナーの問いに、国王は面白がって答えなかった。
「三十年ほど前のことだーーー」
それは王都の学園に通っていた三年生、十八歳のときのこと。そのときすでに他国の姫二名が婚約者候補として名が挙がっており、数か月後には卒業、それと同時に正式に婚約を結んで婚姻という流れが定められていた。
自分はお世辞にも品行方正とは言えないスレた性格で、「なぜ好いてもいない女を妻にせねばならんのだ」と疑問を抱いていた。正直、学園に通うことすら面倒だと思っていたくらいだ。かつて家庭教師がついていたため授業の内容はすでに履修済みで、新鮮味のない教師の話は退屈でしかなかった。学園での楽しみといえば、自分の臣下となる優秀な人物を発掘することだった。
そんなある日の放課後、門へと向かっていたときのこと。心地よい風が優しく頬を撫で、ふと中庭に視線を移した。すると、ベンチで姿勢よく座って書物に目を落とす女性が目に飛び込んできた。一瞬で心を奪われてしまった。なんて美しいのだろう、と。
引き寄せられるように、勝手に彼女のもとへ足が動いた。
『こんにちは』
声をかけずにはいられなかった。顔を上げた彼女は、愛らしい瞳をまっすぐ向けてきた。青みがかった長い銀髪をポニーテールにし、首元には学年によって色が異なる黄色のリボン。一年生だ。自分のことを知っているようで、目を見開いている。
『レ、レイン殿下!?』
想像通り、雑味のない美しい声だった。
『となり、いいかな?』
『は、はい・・・』
彼女はそう言ったものの、辺りをキョロキョロと見渡している。空いているベンチは他にもあるのに、と思っていそうな顔だ。不躾だと思いつつ、肩が触れ合ってしまいそうなほど体を寄せて腰を下ろした。
『君の名を教えてくれる?』
『は、はい!ヴォーグ侯爵家長女、ターナと申します』
『ああ・・・才色兼備と噂に名高い、ヴォーグ家のターナ嬢とは君のことか』
『いえ、わたくしはそんな・・・』
照れている彼女があまりにも可愛くてじっくりと眺めていると、正面から快活な声が聞こえた。
『ターナ、お待たせ〜!遅くなってごめー・・・ん?』
大きな声を上げながら駆け足で近づいてくる人物は、自分と目が合うと顔を歪めた。
『うわ・・・』
そう言ったのは、王家の傍系であるラプラナ公爵家の娘だ。幼少期から何度も顔を合わせているが、なぜか嫌われている。
『アーメイア!』
ターナはそう言って立ち上がった。
『ターナ、レイン殿下と仲良かったんだ?』
『いいえ!いま初めてお会いして・・・』
アーメイアと待ち合わせをしていたようで、落ち着きがあって聡明と評判なターナは、慌てて書物を鞄に詰め込んだ。
『ターナ嬢、またね』
赤い顔のターナはさらに赤くなり、一礼された。
『失礼します!』
「そう、私と王妃は運命的な出会いを果たしたのだ」
と言って、国王は懐かしんだ。
レイフォナーは両親の出会い、アンジュの母であるアーメイアとの思い出話を初めて聞いた。
「それから毎日ターナの教室に通い、口説き落とし、デートを重ねたのだよ」
自慢げな国王に、レイフォナーは疑問をぶつけた。
「父上、問いの答えになっていませんよ。その出会いからどうやって婚約者候補たちを退け、母上だけを妃にしたのです?」
国王は紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「父上に、ターナしか娶りたくないと正直に伝えた。駄目だと言われても、何度も何度も食い下がった。するとある日、ツィアンとの国交をこぎつけたら認めると言われた」
「大陸の外れで距離もあるツィアンを、お祖父様はなぜ・・・?」
ツィアンは中央大陸の北東に位置し、アンジュが無人島に転移させられて脱出後最初に訪れた国だ。
「父上の執事を知っているか?」
「黒髪で切れ長の目の・・・」
「ああ、あの者はツィアン出身でな」
祖父の執事は幼少の頃母国で誘拐され、他の子どもたちと共にメアソーグの貴族に奴隷として売られようとしていたのだ。だがメアソーグは奴隷売買を禁止している。取締りを強化していたときに、祖父が彼らを保護したという。一部は親元へ帰したが、親がいない子どもたちはメアソーグの孤児院に預けることにした。祖父はその中でも才覚を見せた彼を引き取り、教育を受けさせ執事にしたのだ。
ツィアンは小国であるが、当時は閉鎖的だった。祖父が彼から聞いた国の内情は凄まじく、強盗、殺人、誘拐などは日常茶飯事で、王に才があるとは思えなかった。こんな国では民は幸せになれないと思い、国政の見直しや教育にも支援を惜しまないと何度も国交の交渉を続けたが、その度に突き放されてしまった。
「お祖父様は絶対に不可能だと思われた国交を課題にしたものの、父上はそれを成し遂げ、母上を唯一の妃にしたのですね?」
「ふふん、そういうことだ。まあ、国交を開くまでに数年を要したがな。その後ターナの妃教育が始まり・・・婚姻まで長かったねぇ」
「ええ、懐かしいですわ」
見つめ合って微笑む両親は、心から幸せそうだ。叶わないとわかっていても、自分とアンジュをそれに重ねてしまう。自分ももっと己の気持ちに素直になるべきだったのだろうか、という後悔ばかりが込み上げてくる。
「つまり、好いた女のためなら国をも動かし、国政には好いた女の存在が必要ということだ」
と言った国王は、寂しそうな表情を浮かべた。
「だが・・・父上に婚約者候補を決められてうんざりした経験があるにもかかわらず、お前に同じことをしてしまった。とても反省している」
「父上・・・」
「ラハリル王女との婚姻を白紙に戻してもらえないか、私からバッジャキラ国王に交渉しよう」
「いけません!そんなことをしては、我が国は約束を違える信用できない国と見なされてしまいます!」
「だが、そうしなければアンジュは戻ってこないだろう?お前はこのままでよいのか?」
「今回のことは、私もアンジュも納得した上でのことですから・・・」
国王と王妃は再び目を合わせ、ため息をついた。




