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修羅の刻  作者: 高山 仁
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第四章 心を壊す者


ACT.1 御槻優香


 葵と話していた仁は、別の存在を感じて振り返った。そこに立つ最愛なる者……。そして、仁を斬り裂くことのできる刃でもあった。

「どうしてここへ?」

「……誰と話していたの?」

 仁の問いに、優香は逆にそう返す。不思議そうに、振り返った仁の目には、ついさっきまで話していた葵の姿が無かった。

「……そうか、記憶か……」

 少し考えて、仁は納得していた。人の記憶。それは意識が近ければ、幻をも生み出す。葵という存在の記憶を、仁は知っていた。だから、死んでしまった人間とでも話すことができたのだ。

「ねぇ、葵は憎んでるのかな」

「なんで、そんなこと俺に聞く?」

 冷たい口調で答えて、仁は優香を睨んだ。好きだから、だからこそ表現できないこともある。何かする、何か求める。それ以前に、どうしたらいいのかわからなくなる。

「だって、私が……」

「おまえ、本気でいっているのか?」

「……」

 死んだから、自分を責める。何もしなかったから責める。何もできなかったから、責める。自分を責める。死んだから、だから伝わったから、少しは伝わったから、だから自分を責める。

「何もしなかった。考えてなかったわけじゃないのに、何もしなかった。あの人の言ってたことは当たってるのかもしれない……」

 麗那が優香にぶつけた言葉。それを思い出していた。感情のままのストレートな表現。

「わからないね……。確かに、死なずに済んだかもしれない。けれど、遅いか早いかの違いだろ……。あんたが受け入れても、それはきっと、わずかな間だけだろう?」

「え?」

「……嫌いな奴を、一生受け入れられるわけなんてない。あいつの存在そのものを、あんたは受け入れられはしない。だから、何もできなかった。だから何もしなかった。それだけじゃないのか?」

「……」

 自然と優香は涙を流した。哀しいわけでも、悔しいわけでもない。ただ、自然と流れた。苦しかったが、その苦しさは今の自分には心地いいものだった。今、苦しく感じられなかったら、きっとそんな自分を不快に感じるだろう。

「壊れてるのは葵の方。あいつはあんたのせいで死んだわけじゃないし、憎むなんて事は絶対に無いよ」

「でも」

「最愛なる者。葵にとってあんたは、全てだったんだよ。あんたっていう、一人しかいない存在の近くに、ずっと行きたかったんだ。他の誰でもなくね。だから、恐かったんだ。拒絶されるのが……」

 自分の中の記憶。葵の存在。仁は葵が自分自身でもある事に気づいて、胸が圧迫されるのを感じた。

「拒絶なんてしてないよ」

「でも、避けてはいた。あんたにとっての一日が、葵には一ヶ月にも一年にも感じる。大袈裟かもしれないけどね。だから『俺みたいな奴じゃ嫌われて当然か』ってね、そう思うことで納得するしかないんだよ」

「それが、嫌なのに……」

「なら、それを直接本人に言えばいいのに。あいつは、肯定されもしなければ否定だってされない。何もないよりは、否定されても、何か言われる方が、独りだなんて思わなくなる。受け入れるってことは、あいつの言っている思考そのものを肯定するってことじゃないだろ?」

「……」

「自分のこと曝け出して、伝えようとして、それであんたの考え方が、伝わってくるなら、たとえ否定されても、避けられてるなんて思わない。無視されてたら、ただ受け流されてるだけだから、あいつは恐かったんだ。いつか拒絶される日がくるってね」

 いつのまにか口調は静かなものに変わっていた。言葉は優香を責めているようにも聞こえる。けれど仁にはそんなつもりはなかった。ただ、想いが伝わっていない気がして、それだけが恐かった。

「憎めないさ。簡単だろ、好きになってしまったんだから……」

「わからないよ、そんなこと言われても」

 優香の表情をただ、仁は見つめた。笑うことのないその表情をただ、ずっと見る。

(俺って、そんなに暗いんかな……)



ACT.2 望み


「どうしたら、良かったのかな」

 風が止まっていた。まるで、時間そのものが動かなくなってしまったように、雲一つ無い空と、鳥の姿もみえない屋上の光景は、全てが止まっているような錯覚を与えてくれた。

 二人しかいない。そう、二人しか。仁は優香の言葉に、思考が混乱しないように堪えている。そう、しなければ、葵と同じ事をしてしまいそうで恐かった。感情を抑えることで、心を閉ざすことで、冷静になろうとした。

「……そんなに、嫌だったのか。あいつと話をするのが?」

「……」

 答えは返ってこなかった。肯定もなければ、否定すら存在しない。本物に似せようとしているが、やっぱりただの創造と推測の産物でしかない……。

「はぁ~。望みは沢山ある。言ったらきりがないくらいね。ただ、受け入れて欲しかった。それが、具体的にどんなことかはわからない。けど、無視されるのも、避けられるのも、拒まれるのも、あいつは全部感じてたんだ……。それを感じられなくする感覚が欲しかったのかもしれない。どうすればいいのかなんて、本人もわかってないよ。

 わかってたら、こんな結果にはなっていないだろ?わからなかったんだ。葵自身、どうしたかったのか、どうして欲しかったのか」

「難しいよ……」

「そうなのかな……わかっているんじゃないか?少なくても、あいつに関わった奴なら。あいつの言葉を、聞いたことがあるなら」

 優香の反応を、仁は見ることができなかった。表情も、仕種も全て、苦しんでいるようにみえて、それが全部自分に返ってくる。刃は肉体を擦り抜けて、魂そのものを斬り裂いてしまう。ただ、苦しいだけ……。

「ただ、話したかっただけ。ただ、遊びたかっただけ。誰もが、何気なくやっていることを、やりたかっただけ。

 そう、誰もがあたりまえにやっているであろうことを、あいつは何一つ体験してなんていない……」

 否定しているくせに、結局は普通のことを望んでいる。望みが叶わないから、否定するしかできなかったのかもしれない。叶わないことを、体験できないことを肯定したくなかっただけ。

「嘘は言ってない。満たされたことなんて、何もなかった。逃げている?前向きじゃない?そんな簡単な言葉で、そんな言葉をいえるのは、満たされてるからだろ?

 前向き?じゃあ具体的に何が前向きなのかって、聞けば、誰も答えられはしない。逃げてるだけなのは、本人もわかってる。なら、どうしたらいい?

 誰も、教えてはくれない。

 教科書に書かれた知識はあるくせに、結局誰も、何もわからないで、ただ、流されてきてただけ。運良く、友達もいて、同じように流されている仲間が近くにいたから、疑問を抱いても、深く考えることやめて、順応してきただけ。

 ……そうゆう人間には苦痛なのかな。俺や、葵みたいな存在は?そうやって順応できなかった人間の存在は、苦痛なのかな?」

 答えはかえってこない……。ただ、沈黙したまままっすぐに仁を見ていた。その表情に感情が無いのは、仁の気のせいではない。

「限界かな……。創造し続けるのさえ苦しいことなんだろ?」

 誰に話かけているのか、仁は無表情のまま空を見つめて問う。

「わかってる。苦痛なのはみんな同じだから。ただ、紛らわせる存在が側にいるかいないか。それだけなんだろ?」

 いつのまにか、葵が仁の目の前に立っていた。まだ、優香の姿も消えていなかったが、人形のように微動すらしなかった。

「……弱いな……。自分を嫌になることしか、思考できずにいる……」

「だから、変われない……」

「わかっているくせに、結局は逃げてる。自分を受け入れることから……」

 仁は葵を睨んで、そう冷たく言う。

「……わからないな……。ただ、一人でいいから必要とされてはみたい。それを実感できる感覚が欲しい。ただ、それだけ」

(伝わらないのか、それとも望むことが重過ぎるのかな……)

「なっ!」

 突然だった。沈黙していた優香の身体が、急に痙攣を始めたのだ。抱きしめて、抑え込もうとする仁は、優香に触れることさえできなかった。目にみえているのに、優香の身体を仁は擦り抜けてしまったのである。

「違う、お前が消えようとしているんだ」

 葵のその言葉に、仁は自分の身体を見る。優香に触れられないのは、仁の存在が、優香と同じ場所に存在していなかったからだった。重ならないのは、此処に存在していないから。それを実感して呆然としてしまう。

「……なんで抜け出せないんだよ!」

「本当に望んでることは、なんなんだ?望んでることは在るのか?」

(……何言ってっ……る……)

 哀しそうに見下ろす葵の視線に、薄れていく意識の中で仁は、戸惑っていた……。



ACT.3 接触


 無機質なだけの世界が広がっていた。空は人工的な物質で覆われ、街らしきこの場所を包み込んでいた。

 自然という言葉が不釣り合いな、閉ざされた空間。厚く固められた此処は、現実とは異なっていた。

「あなたも来たのね」

「麗那?此処は……」

 目覚めた時、立っていたのは麗那だった。大人びたその表情に、仁はただ戸惑う。

「未来の世界。だと思う。確かに『律』はそう答えた。でも、本当にそうなのかしら」

 理解できたはずの感覚を麗那は疑っていた。もしその感覚すら、『律』の干渉なら、感覚ですら信じられなくなってしまう。

「……これが?まるでオリジナルじゃないか此処は……」

「?どうゆうこと!」

 素朴な感想を口にした仁に、麗那は怪訝そうに強く反応する。

「此処は厚い壁で覆われてる。外の様子は何も解らない。誰もいないし、暖かさを感じさせる形が何処にも存在しない」

 麗那は仁の説明に、あたりを見回した。此処に来たことがあると思っていたのは、勘違いだったのだ。自分は、この世界で創られた。

 しかし、疑問が残る。それならば『律』の存在にもまた疑問が生まれる。麗那は確かに接触した、この世界の『律』に……。

「……やっぱりまだわかっていないんだよ。お前は『律』に干渉されている。オリジナルとの接点を歪まされて。この世界は『律』がお前に見せているオリジナルの形だよ」

「?未来じゃないの?」

「此処は違う。ただ、あんたが未来を見た、それがいつの未来なのかは別として見たという事実は確かなはずだ。『律』はあんたを混乱させようとしている。オリジナルから創られた俺や、あんたを消すことくらい『律』にはそれほど難しいことじゃない……」

 麗那は怪訝そうに仁をみた。繋げられているはずの、繋がっているはずの意識と感情のネットワークが途切れていた。今の仁の言葉を理解できる感覚を麗那は感じることができなかった。

「……あなたは違う……誰なの?」

「高山仁……という名の形……」

 答えた『仁』は、拡散するようにして消えてしまう。瞬間呪縛が解けたように背後に存在を感じて、麗那は反射的に振り返った。

 不意に脅えたようにして振り返る麗那の様子に、仁は不思議そうにその不安そうな瞳を見た。風の無い此処では、振り返った勢いで舞った麗那の髪は、すぐにまっすぐ下へと流れた。

「どうした?」

「えっ?」

 すぐにその仁が、自分の知っている仁であることを理解して麗那は少し呆然とする。此処がオリジナルの中だとしたら、『仁』という形が一つでなくても不思議ではない。

「……そうか、別の俺か……。いや、多分それも俺だと思う……オリジナルが、『仁』という形を確定させるまでに、いくつもの『仁』が創られたはずだから……」

「此処は私の見た未来に似過ぎている……オリジナルが『律』なの?」

「……違うよ、あいつは呪縛から逃れられないからな。そんな風に錯覚するのは『律』の影響力が強いからだろ……。どんな『思考』を創り出しても、俺の言葉は今ある世界に順応してしまった者には届かない。面白いほど否定しようとする。でも、否定なんてできないけどね」

 仁は答えて哀しそうに笑う。二人は、少し無言のまま無機質な街の中を歩いた。酸素が薄い。そう感じられるほど息苦しいそんな感覚が全てを包み込んでいる。

「……みんな与えられた知識だけ。それを受け入れて、その中で生きている。だからね、自分の言葉を言っているつもりでも、結局順応した人はみんな同じことしか口にしないよ。だからね、そうゆう言葉は痛いんだ」

「逃げている……でも、はずれているわけではないでしょう?」

 こくり、と仁は頷いた。自分の言葉、それに答える人、反応する人、その人たちの言葉が間違っているのかといえばそうではない。

 敵と味方、光と闇。正義と悪。そんな対立関係に似ているのかもしれない。

 正義だと思っている側からすれば、悪は悪だが、悪から見れば、正義だと思っている側こそが悪という存在なのだ。いる場所、思考する根本的な場所が異なる。

 基本、基準、『もと』となる部分が異なっていれば、互いを肯定しあうことは簡単なことではない。

「……あいつは自分の中で俺たちを作って、問いと答えをずっと自分の中で造り出す。それしかできないから、こんな世界の中にしかいられない……」

「壊れると思う?」

 街を覆う壁。それがどれほどの厚さなのか、判断はできない。そんな壁を麗那はゆっくりと見まわした。

「壊さないとなんだろうか?」

「?」

「壁があるから、あいつは今のまま成立している。そう考えれば、それを壊してしまうのは、あいつを変える以前に、本当に壊してしまうってことになるんじゃないか?」

 麗那はただ街を覆っている壁を見つめている。そんな麗那を見てから仁は、ゆっくりと空が見えない空を見上げた。

 経験。人はそれによって、人という形であり続ける。恐らく、『人』として育てられた存在は『人』以外に変わることはない。

 生まれ、生き続ける間に経験する多くのことは、それ自体がその人の形を形成していく。それ自体、誰一人として、同じ経験をすることはできない。状況が酷似していても、それを判断するのが経験した本人故に、それをどう記憶し自分を形成する、知識、思考、感情とするのかは、『個』なのだ。

 そして、オリジナルの経験から創り出された厚い壁もまた、その形。壊すという行為は、オリジナルという存在そのものを消すということに他ならない。

「こんなところで何をしているんですか?」

 呆然と考え込んでいた二人の前に、突然その存在は声をかけてきた。中性的なその容姿からは、性別を判断することはできない。

 声は穏やかで、女性的な印象もあるが、むしろそれよりは、『音』としての声ではなく、頭の中に直接響いてくる感覚の、声だった。だからこそ、麗那には麗那の、仁には仁の感覚に適応した『音』に変換されて聞こえてくる。ただ、二人はそれに何故か違和感を感じなかった。

「誰なんだ?」

「……ここに、人なんているの?」

 ほぼ同時に、二人は異なる問いを口にした。その中性的な顔の人は、自然に微笑むと少し考え込む。線の細いその人は、漆黒の黒い髪を丁度、耳が隠れるくらいの長さまで伸ばしている。ストレートでそのさらっとした髪の質は、触れなくても見るとそう感じてしまうほど軽い動きをした。

「くす、此処が私の世界ですよ。あなたたちは『律』に戻されてしまったんですね?」

「俺は知らないぞ、おまえなんて」

 怪訝そうにいう仁の言葉を、微笑みで返して楽しむような素振りをする。

「そうですね。私は『特殊』な存在ですもの。そうそう迦屡羅かるらとでも呼んでくださいね」

「女性なの?」

「くす、秘密ですよ。もっとも、此処ではそんなことあまり関係ないですし。此処は精神世界ですもの」

 そう答えた迦屡羅は、不機嫌そうに見る仁を、ただ優しく見つめた。それに懐かしさを感じた仁だったが、それの意味することを知ることはできない。

「それより、どうして『律』のことまでしっている?それに、おまえもオリジナルから創られた存在なのか?」

「違いますよ。私は私、そうですね傍観者ですよ。だから知っている、あなたたちのことも、『律』のことも。それに、あなたたちがオリジナルと呼ぶ存在もね」

 迦屡羅の雰囲気に包まれて、仁は何かが麻痺してしまう気がした。見えているはずのものが、知っているものなのに、それがどんなものなのか不意に忘れてしまったような、そんな不快感があった。

「……なんで……」

 麗那は、迦屡羅のその楽しそうな雰囲気が痛かった。暖かくその穏やかな存在そのものが……。

「私は自由ですもの。私は私。それだけなんです。苦しませるのは、なにものでもないでしょう?そう思ってしまう、そう感じてしまうあなたたち自身が、自分を拘束しているだけ。違いますか?」

「でも、それはあなたが強いからでしょ!」

 麗那は、少し感情的になって迦屡羅を睨む。その視線を包み込むように受け止めて迦屡羅は微笑んだ。

「くす。どうしてですか?そもそも強い、弱い。そんなこと口にする時点で、束縛されているんですよ。どこかに『基準』や『境界』を自分で創ってしまう。だから、その創ってしまった『枠』で、自分自身を狭い場所に追い込んでいく。違いますか?」

「それはそうだけど……、でも、そんなに簡単なことなの?」

「それも違いますよ。簡単、難しい。それも違うんです。ただ、あるがままを受け止めればいいんじゃないですか?

 流れに逆らう必要はないんです」

 不機嫌そうに、仁は迦屡羅を見る。全身から、怒りにも似た不快さが込み上げてくるのがわかった。それは、与えられた状況にあるがままに順応しろといっているようなものだ。そうとしか聞こえない。

「それが嫌だから、苦しいんだろ?そうやって、ただ流されるだけで、それに反発しているから、独りになって、痛くて……」

「どうして反発するんですか?流されることが順応することなんでしょうか?」

 微笑んでいた表情を急に変えると、迦屡羅は真っ直ぐに仁の瞳に視線を集中させる。それは、哀しそうな光を発しているように、仁には見えた。

「あなたはあなた。なら、それでいいでしょう?順応する、つまり意識的に別の形に慣れようとする。そんなこと考えなければいいんですよ。確かに、あなたから見れば、『大人』と呼ばれるようになってしまった人も、それを受け入れた人も、『順応』したように見えるんでしょうね。でも、そうなんでしょうか?自分を自分として認識して、その周りにある全ての『事』をあるがままに受け止める。それのどこがダメなんです?」

「それは反発するより痛いからだろ?自分を自分として受け入れて、周りの人、社会、存在、その全てをあるがままに受け入れる。

 その結果……、自分っていう存在の意味がわからなくなったんだろ?それだけじゃない。この世界、そもそも存在に意味があるのかさえわからなくなった……。

 思考の何処かで、存在の無意味を肯定している自分がいるんだよ。孤独だとか、認められないからだとか、そんなんじゃなくてさ」

 ゆっくりと、仁は壁に寄りかかりながら地面に座り込んだ。全身の力が抜けていくような、そんな気がする。

「無意味ですか?」

「……少なくてもそう思った。もちろん答えなんて無いんだろうね。もう存在してしまっているんだから、『どうして?』って考えること自体、馬鹿げているのかもしれない。ただ、なんとなくかな、在っても無くても、たいして何も変わらないんじゃないかなって。そう感じたら、わからなくなったんだよ。自分は何処にいるのかってね」

「でも、『死』そのものは望んでいない。在るという自分と、この世界、この先にあるものに期待している。違いますか?」

 仁は蹲るだけで、迦屡羅の言葉には反応しない。それに代わるようにして、麗那は仁の横に立ったまま並ぶと口を開いた。

「そう。存在していて『刻』っていう見えないはずの流れの中で、その流れの先にあるものを期待してる。

 どうせ死ぬのはわかってて、それなのに在り続けようとして、その過程の中で、痛い感覚に耐えながら、瞬間、瞬間の心地よさだけをただ求めてる……」

「くす。ならそれでいいじゃないですか?先にあるものを求める。それだけじゃ不満ですか?今、この瞬間、瞬間が楽しめないのは不満ですか?」

「ううん。たぶん、確かな存在が欲しいだけ。自分以外の、自分を受け入れてくれる存在」

 麗那はそんな風に答えると、仁の横に座った。そのまま仁に寄り添うようにする。

 「求められたい……。そうゆうことですね。居るという『事』を、此処に居てもいいって言う『事』を自分が、認識できる存在が欲しいんですね?」

「そうよ……」

 絞り出すような声で、麗那は肯定する。泣いているようなその声を迦屡羅は自分の中に受け入れる。

「……自分はどうすることもできます。苦しむこも、憎むことも、楽しさも、嬉しさも、自分で自分は制御できてしまうんですよね。演じる、でもそれを本当にしてしまうことは、自分の中だけなら難しくはない……」

「……求めるのが他人の心じゃ、どうにかしようとしたって、感覚で拒絶されたら、少しでも避けられてるの感じたら、近づけないのよ……。そう感じてしまう感覚まで、逸らかして、笑って近づきつづけること、けっこう苦しいんだからね」

 泣いたままの顔で、まるで少女のように麗那は迦屡羅を睨んだ。仁は蹲ったまま、ただ、堪えるようにして震えている。

「そうですね……私は、ずっと一人ですから、此処には誰も存在しない。他人はいないんですよ。初めからね。だから、そこに他人が現れても、私には『もの』と同じなのかもしれません。存在の認識を他人に求めたりはしませんから」

「……それでも存在し続けるのか?」

「くす、これは意思ではないんですよ。私は此処なんです。存在していて、此処にいる。そして、私は私です。私が私であり続ける限り、私は存在し続けるんですよ。それが、永遠なのかは解りませんけどね」

 ゆっくりと、仁は顔を上げた。焦点を全ての『もの』から外している迦屡羅を見て、その存在がなんとなくわかってきた。

「そうか……。生き物としての呪縛も、『人』としての呪縛もあんたにはないんだな」

「ええ、その呪縛がある時点で、あなたたち……いえ、オリジナルは自由になんてなれないんですよ」

 軽く微笑んで、迦屡羅は仁を麗那と挟むようにその横に座った。肩を寄せてくる迦屡羅の存在を、仁はその身体で感じることができた。不思議とそれは温かかった。

「だから、死ぬって考えるのね……」

「くす、結局あなたたちは、自分で自分否定しているんですね……」

 迦屡羅は正面にある建物の看板を意味もなく見ながら、何気なく言った。

「それじゃぁ、存在している存在として、別の存在が認めるわけないでしょう?在るのに、それを認めないあなたたちが、存在に拒まれるのは当然でしょ?自らを否定する存在は、あなたたち以外の存在には痛いんですよ。違いますか?」

 冷たい感じの迦屡羅の言葉。しかし、その意味を仁はなんとなく受け入れることができた。わからないことをいわれているわけではないのだ。ただ、だからこそその言葉は痛かった。本当のことだから……。

「無くなってしまうべきなのかな?もう、こんな風にしか言えない奴は、無くなるべきなのかな?」

「……本当にそれでいいんですか?私にはそうはみえませんよ?あなたは誰かを求めてる。ずっと求めてる。どうして求めるんですか?……哀しい人ですね。あなたは自分で自分を受け入れられないんですから……」

「……誰かに必要とされないと、駄目みたい。でも、こんな状態じゃ、必要とされるわけないわよね。だから、悪循環……甘えている、わがまま、勝手……そんな風に言われたら、何にも言えなくなる……」

 弱いなと、麗那は感じた。それは自分が弱いのかオリジナルの影響なのかわからない。でも、どっちでも良くなっていた。結局、オリジナルがいなくなってしまえば、自分もなくなるのだから。

 不意に風が三人を吹き付けた。それが、何故発生するのかは正確にはわからない。ただ、乾いたその風は、不思議と気分を和らげる。

「なぁ、どうして俺は生まれてきたのかな?いらないなら、初めから俺なんて存在させなければ良かったんじゃないか?」

「くす。どうしていらないと思うんです?少なくてもあなたは存在してしまった。そして、あなたは少なくても、あなたと言う存在を認識してしまった人と出会っているんですよ?それも事実。起きてしまったこと、なかったことになんてできないんですよ。

 それに、あなたと出会った人は、少なくてもあなたという存在に触れた時点で、なんかしらの影響を受けた。例え、それが些細でもあなたの存在によって、また成立する人もいるんですよ。だから、なかったことになんてできるはずないんです」

「……なら、今、無くなっても、それも一つの現実として成立するんだろ?」

 急に、仁は冷静な表情で迦屡羅を直視した。冷静というよりはむしろ、無表情のほうが適切かもしれない。そんな、仁を麗那はただ苦しそうな、泣きそうな目で見つめた。

「そうですね……」

「……存続することを他人に求めてもらえないんなら、俺は、俺のことなんていらないから……きっと、死ねるよ」

「仁……。でも……」

「わかってる……死にたくなんてない。逃げることなのもわかる。でも、このままをずっと耐え続けて、ほんとに、いつか安心できる日が来るん?独りって感じなくなれるん?そんな保証、誰にもできやしないだろ?」

「……麗那や真深、それに葵という存在だけじゃ駄目なんですか?」

「……存在していても、触れられない。居場所が重ならないからな。オリジナルは、俺たちよりもずっと一人だよ……。独りになったことの無い奴にいっても、絶対、わからない感覚だけど……。ひとりなんだよ」

 仁は胸を押さえるようにして、大きく何度か呼吸する。息苦しくなる感覚が、不快だった。

「そうやって、自分を追い込んで何が楽しいんです?悲劇のヒロインを演じれば、誰かが助けに来るとでも思っているんですか?」

「……そうかもな……」

 迦屡羅の言葉を仁は否定しなかった。応えて、少しだけ笑う。

「どうしたらいいのか、誰か教えてよ。考えれば考えるほど、自分のこといらなくなってくるもの……」

「案外、それを望まれてるのかもな……、病院にも行くほどの精神状態でもない。薬も飲んでるわけじゃない。肉体的にも健康体、日常生活をするのにも問題はない……。普通の人間なんだろうな……」

「……なぁ、好きになるのは、苦しいことなのか?ずっと苦しいままなのか?」

 迦屡羅はただ微笑んだまま仁を見る。答える言葉がみつからなかった。麗那はそっと仁に寄り添う。

「……御槻優香か……」


 時間が再び動き出した。そこには、驚いた表情の優香が立っている。

「仁……?」

 一瞬、消えてしまった仁の姿を見た優香は、錯覚を見てしまったのかと思って、その名を呼んだ。ただ、仁はその声を聞くと、涙を流した。必死に何かを堪えるように、ゆっくりと歩きはじめる。

「えっ?」

 それは瞬間の出来事だった。葵が落ちた場所に立つと、全く同じようにそこから落ちた。

 優香は何が起きたのかはわからない。ただ、仁が落ちた事実だけしか認識できない。ざわめきが、校庭から聞こえてくる。しばらく呆然としていた優香を覚醒させたのは、救急車の音が聞こえてきてからだった……。


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