《歌紡ぎの巫女》
突然家の扉が勢いよく開け放たれた。
「アルカヌム様! 歌を歌ってくれ! 今、サカの村で大勢の人が苦しんるんだ!」
サカの村人の一人が、転がり込むように私を呼びに来た。
一瞬驚くも私まで慌ててはいけない。
「分かりました。 馬で直ぐに向かいます。 先にサカの村で待っててくださいね 」
村人を送り出すや私は直ぐに馬小屋に向かったーー
私はアルカヌム。
歌で人を癒す巫女ーー
それは…… 歌詞なんて無い、ただ節を口ずさむだけのものだった。
何か道具が必要なわけでも無いから、ホント身軽なのが良い。
大人しい馬の手綱を慎重に操りながら揺れる景色を無意識に見つめ、つい考え事をしていた。
ここのところ、普段のなんてことない時にやけに昔の記憶が呼び起こされる。
(こんなに昔の事を考えるのは、お父様が死の間際に言った、あの約束があるからかしら…… )
苦しそうな息の合間、
「ーーはぁ… はぁ… いいか、アルカヌム…… 東へ…… 行くんだ… 東へ… 」
私は泣きながら頷く。
「分かったわ、お父様… 分かったから 」
物心つく5歳頃から… 何故か父と二人で旅をしていた。 そして私達が最後に辿り着いた場所がーーここエルムの街だった。
母は私を産んですぐに亡くなったそうだ。 父もこの街に着いて程なくして亡くなってしまった。
私は今17歳。 一人暮らしももう気付けば一年になる。 悲しみに沈んだ時期をなんとか乗り越えて、次の場所に旅立つべきか悩んでいた。
ーー父の死の間際に言った……
「…… アルカヌム…… 東へ…… 」
(お父様の言葉が頭から離れない )
そうこう考えていると、サカの村に着いた。
村の広場には、苦しんでいた人達が集められている。
集団食中毒を起こしている事が病状から直ぐに分かった。
お年寄りから小さな子供までが、苦しそうに呻き声をあげている。
大きな災いでないことにホッとした私は、一斉に歌が届く場所を探した。
(あっ、あそこなら…… )
広場の噴水のヘリに上ると、私は歌を紡ぎはじめた。
#€☆♪*×>☆*○:〆・・・・♪
この歌の歌詞なんて誰も理解できない。
しかし紡がれる節が心の琴線にバシバシと引っ掛かかるのか、身体中から毒が抜けていくのだった。
暫く歌を聴いていたサカの村人は、一人二人と立ち上がり、嬉しそうな顔でアルカヌムにペコリと頭を下げて感謝した。
私もニコリと笑顔を返し、全ての人が回復するまで暫く歌を紡いでいた。
その集められた村人の中にいた、一人の青年が中々苦しみから救われない。
最後の一人になっても苦しそうに呻き、顔色は一向に良くならなかった。
私も、こんな事は初めてなので、とりあえず村人に頼み、青年の家まで運んでもらい暫く様子を見ることにした。
アルカヌムが治せないものはーー
人の死・・・つまり寿命や死んでしまった人を蘇らせることは出来ない。
なのに青年は苦しみから抜け出せない。
(とても死にそうな人には見えないのに )
家の中は、一人暮らしのようだが綺麗に片付いていた。
今、青年が眠っているベッドと、テーブルとイスに鞄が三つ・・・悪く言えば簡素だ。
(少しは、良くなったかな? )
私は心配で青年の顔色を見ようと静かに近寄った。
すると、窓際に置いてあったガラス玉が太陽の光に反射して、アルカヌムの顔を明るく照らした。 反射的に目を逸らす。
「眩しいわ! このガラス玉のせいね。 でもすごくきれいだわ…… 」
私は、思わずガラス玉を手に取って、マジマジと眺めて驚愕せざるを得なかった。
ガラス玉に何故か見覚えのある紋章が浮かんでいる。
(あれ? これは…… )
「うっ、うう…… 」
時折、青年が苦しそうに呻く。
「ううっ… くっ… 」
私はなんとか治してあげたくて青年の手を握りしめ、一心に歌を紡ぎはじめた。
(どうか、この青年が治りますように… )
暫くすると歌に気が付いた青年は、薄らと眼を開き苦しそうにしながらも私に視線を向けてきた。
それに気が付いた私も青年を見つめる。
青年が驚きで目を全開に見開く
「ア…… ル…… カヌム様……? 」
と呟いていた。
「そ、そうですが 」
青年は激しい苦痛からか、また身を捩って瞳を閉じる。
(痛みから冷や汗が止まらないのね。 何か拭くものは無いのかしら? )
私はキョロキョロと辺りを見渡す。
青年の荷物の少なさと質素な部屋は旅を続けている私と同じ様な室内だと既視感を覚えていた。 私はこの青年が、この村の者ではなく、どこからか来た旅人であると思った。
(それにさっき何故、切なそうな顔で私を見たのかしら? )
青年は苦しみから、次の言葉を話すことが出来ずにいる。
「うっ…… くっ…… 」
私は、この青年を一緒に運んだ村人を再び呼んで、医者にみせたのか聞いてみた。
村人は困惑した顔で
「いや、医者にみせようとしても……
〈歌紡ぎの巫女〉 に診てもろうんだって。 そうこうしているうちに、意識を無くしたから 」
「そう。 この青年の名前は? ずっと、この村にいる人なの? 」
「名前は、ウンブラと言ったかな。 こいつが来たのは、半年くらい前だよ 」
「この村の前は、どこから来たか分かる? 」
村人は首フリフリと振って
「いやあ、聞かなかったな。 無愛想な訳じゃないけど、あまり自分のことを話さない奴だから。 それにこいつ…… かっこいいから村の女どもが騒ぐんだ。 だから、俺は…… あまり好きじゃない 」
「それなのに、気にして運んでくれたのね。 ありがとう 」
美しいアルカヌムにお礼を言われた村人は、頬を染めた。
「べ、別に。 放っておけなかっただけだがら。 こいつ村に来た時に、誰かを探していたんだ。 そしたらある日! …… そうだ! 初めてアルカヌムさんが、この村に来て、村人のために歌を歌っているところを見てたんだよ。 そしたら、嬉しそうな顔していたな…… て、関係ない話かも知れないけど 」
「私が初めて、この村に来たのは三ヶ月くらい前だったかしら。 そう、気が付かなかった。 それにしても…… 」
私は益々混乱していた。
仕方なく身寄りもない様なのでアルカヌムがこの青年、ウンブラの様子を見ることになったのだが。
アルカヌムは自分の歌で治らなかった人がいなかったので、誰にこの状態を訊けば良いのか分からなかった。
今日の午後には、この村の医者が来てくれる。 薬師も呼んだ。
(それまでウンブラさんの、側に居なくちゃね )
意識を保てないで、ベッドに横になっているウンブラの容姿は、村の娘達が騒ぐのも仕方ない程美しかった。 白銀の髪に、色白で薄く開ける眼は蒼い空を閉じ込めた様に美しかった。
「ふふ、確かにモテそうね 」
私は、ウンブラを治せない不安を抱えつつも…… なるべく冷静を保つために、あえて軽口を言葉にしてみた。
ノックが静かに聞こえた。
「この村の医師でございます。 薬師と共に参りました 」
私は静かに招き入れ、診察をする様子を見ていた。
医師がウンブラの前をはだけさせると、診察を始めた。
私は慣れない青年の肌から目を逸らして、顔を朱に染めてしまった。
「アルカヌムさま。 あなたの歌で治らないこの青年は、もしかしたら呪いの類ではないかと思われます。 医学的には、どこにも悪いところが見受けられないのです 」
続いて薬師も
「私の見解も、そのように思います。 どのような呪いかは分かりませんが…… 」
私もほとほと困ってしまった。 既に、考えを窮していた。
(どうすれば良いの…… こんな時に、お父様が生きていれば…… お父様!…… )
物心がついた時からーー
今まで、歌で人を癒してきた・・・
医者と薬師がこの部屋を出たことに気がつかないくらいに、私は父と旅していた時々と…… 突然、歌紡ぎの始まりが思い起こされた。
暫く思い出そうともしなかった過去の自分。
なんで歌を紡ぎ始めたんだっけ?
あれは…… お父様の持っていたペンダント…… ?
綺麗な宝珠がついたペンダントだった…… 。
目を瞑る。 私が一番古い記憶を辿り、思い出す時…… いつも始めに聞こえてくるのは、阿鼻叫喚の群衆の声! 沢山の人たちの怒号…… 激しい剣と剣の打ち合う音! お父様が、沢山の騎士たちと一緒に、私を抱いて戦っている。
…… 私を守ってくれていた巫女たちが、騎士に捉えられそうなところを、散り散りと逃げてゆく。
なんとか逃げられたんだ…… それから…… それで…… あっ!… 私は、逃げる直前に見た、母の肖像画を… 不意に思い出した!
母の額にあった紋章…… そして父の持っていた、宝珠のペンダントに彫られた紋章は同じ紋様だった! この青年の部屋にある、ガラス玉の紋章が、繋がった気がした。
私が歌紡ぎになったキッカケは、確かに10歳のあの時だったわ。
ある村に着いたら、沢山の人が病に倒れていて…… そのことを知ったお父様が、私に宝珠のペンダントを握らせた。
そして私の肩を両手でしっかり抱いて膝をつき目線を合わせてゆっくりお話ししてくれた。
「いいかアルカヌム。 お父様は一度、この宝珠の力を使ってしまったんだ。 一度力を使った者は二度と使う事が出来ないんだ。 それに次で力は尽きてしまう。 だから、アルカヌムが… このペンダントを割るんだ 」
そう、言われたんだわ。 そうしたら、直ぐに…… 歌に癒しがかかるようになった。
でもお父様は、納得した顔をしなかった。
『これだと、まだ…… 癒しの言葉は紡げない 』って……
まさか!
一度、苦しむウンブラを見て、私は覚悟を決めた。 窓際のキラキラ光るガラス玉を手に取ると、迷わず床に落とした。 すると、ガラス玉は真っ二つに綺麗に割れた。
割れたガラス玉の周りに、優しい光の輪が煌めくと…… その光は私を包んでくれた。
私の中に…… 確かな、力を感じる……
やはり…… 間違いじゃなかった!
今までの…… 私の歌紡ぎには、言葉が無かった。 人々は勝手に治っていくから。 だから私は、理解しようとも思わなかった。 理解する必要も無かったから。
私もそれで良かったからーー
でも、それは違うんだ! お父様が言っていた、歌紡ぎが出来ていなかったーー
〈歌紡ぎの巫女〉として、私は溢れる想いを歌詞にのせてみた。 初めての感情…… 心の中に浮かぶ、素直な言葉が不思議なメロディーに乗った……
この世の生きとし生けるものよ
私の歌に耳を傾けて
私は祈るわ
あなたの心が健やかであることを
あなたの身体が健やかであることを
私の歌があなたを癒し
周りは幸せの世界で溢れるでしょう
この世の人よ
その中のあなた
一人一人が大切な人
簡単な言葉で良かった
ただただあなたが大切な人
愛しい人
ただの音に…… 言葉を乗せたら
それはより強い力を持ったーー
私は理解した。 何かがストンと、呆気なく心に落ちた様だった。
ーーただ旅をしていたのではなく、何かから逃げていたのだと。 だからお父様は、最後に…… ああ言ったのだ。
「アルカヌム…… このまま東に、向かうんだ…… 」
私は、このまま… 逃げ続けなくちゃ駄目なのかな…… 。
「アルカヌム様…… 」
ハッとして、ウンブラを見た。
「治った…… の? 」
「はい。 ありがとうございました 」
私は気まずく、顔を伏せて返事をした。
「それは良いのよ。 それより私、あなたのガラス玉を割ってしまったの…… 」
ウンブラは優しく笑う。
「そのようですね。 でも、それを望んでいたのです。 あのガラス玉は、アルカヌム様の最後の楔が解かれる枷でした。 私の呪いを解くのも、アルカヌム様に… あのガラス玉を割っていただく必要があったのです。 アルカヌム様以外に、あのガラス玉を割ることは、できなかったのです 」
「あなたは誰? どうして、そんな秘密を知っているの? 」
「私はウンブラと申します。 東のカントゥス国から、あなたを探す命を受けました 」
「私を? …… どうして? 」
(東…… 東のカントゥス? )
私は戸惑いながらも、このまま覚悟を決めて、話を聞く事にした。
ウンブラも話が長くなると思ったのか、私に椅子を差し出してきた。 そして、私が聞きやすいようゆっくり話し始めた。
「あなたの父君と母君は…… 元々カントゥス国の巫女と神使騎士だったのです。 カントゥス国にいた、歌紡ぎの力が強いあなたの母君と沢山の巫女たちを、遥か遠いファルサの国が攻め込み…… 連れ去ってしまいました。 当時は、侵攻してきた国がファルサ国とは知らず…… 5年にも渡り、あなたの父君と我が国は巫女たちを取り戻そうと、力を尽くしました 」
「お父様が…… カントゥス国の人達と? 」
「…… そうです。 妊娠中に連れ去られた母君は、生まれて間もないあなたを必死に守りぬきました。 ファルサの国で、後に…… 4歳になったアルカヌム様の隣で、亡くなっていたそうです 」
「えっ? 母は、私を産んですぐに亡くなったのではないの? 」
説明するウンブラの表情は硬かった。
「…… はい…… 歌紡ぎの巫女たちが連れ去られ… 5年後にやっと父君がファルサ国の犯行と断定しアルカヌム様を見つけられました。 しかしアルカヌム様は…… 全くの感情が抜けたお顔をされ… 一言も声を発しなかったそうです。 我が国が奪還した巫女たちから、当時の話を聞くことができました 」
私は驚きのあまり、ウンブラに驚愕の表情を向けていた。
「声を発していなかった?…… 私が?… 」
(こんな事…… 知らない…… )
ウンブラも沈痛な表情で、アルカヌムを気遣いながら話を続ける。
「…… はい。 母君を亡くされた、アルカヌム様が余りに不憫で、一緒に連れ去られた巫女たちがあなたを育て母君の肖像画を描いて慰めたそうです。 そんな時、助けに来た父君に…… 母の死を知らないのに、それを思い出すと、アルカヌム様が心を失うのではと… 暫くは本当のことは言わない方が良いのでは? と、当時の巫女が伝えたそうなんです 」
「…… そう。 そうなのですか。 あの、なぜ、あなたが呪われたんですか? 」
ウンブラは静かに笑った。 そして一瞬、諦めたような…… しかし、覚悟を決めた表情で話した。
「…… 私は…… 影なのです。 今ここにいる私は、実ではありません。 アルカヌム様をカントゥス国に連れて行くと、影の役目を終え消えます。 実が、カントゥスにいるので…… 」
「影? 実? 」
私は混乱した。
ウンブラは優しく笑う。
「ふふ。 不思議ですよね。 我が東の国カントゥスは、古来より幾つか不思議な力があるのです。 アルカヌム様の、歌紡ぎも… その一つです。 ガラス玉の紋章に、よく気がついてくれました。 あれには…… その紋章の証を継ぐ者にしか、封印を解くことが出来なかったのです 」
「封印? 先程も言ってましたね 」
「そうです。 あの緑の羽を広げた様な紋章を受け継げるのは、〈歌紡ぎの巫女〉だけです。 私たちの国が過去に何故? 侵攻を許してしまったのか…… それは、ファルサ国から《 呪詛の秘薬 》を撒かれたからです。 当時、王城と教徒の塔に撒かれてしまって国は大混乱になりました。 アルカヌム様の父君が、いち早く母君から賜った宝珠のペンダントで呪詛を取り除いてくれました。 でもカントゥス国の王太子に掛けられた呪詛は強力で、9歳の時から意識を取り戻せていません 」
「えっ意識が…… ? 」
「そうです。 このガラス玉が無ければ、より早く王太子は亡くなっていたでしょう。 アルカヌム様の母君が、大切な人を…… 家族を守るために造られた、宝珠のペンダントは父君に。 ガラスの玉は生まれてくる、あなたに用意したものだったのです 」
「えっ!?」
「父君がある村で、宝珠をアルカヌム様に握らせ割らせたのを覚えていますか? 閉じられた力を呼び覚ますためでした。 それによって父君に張られた結界は消え、徐々に呪いによって衰退されていったのです…… それでも父君は、村を救いたかったのでしょう」
私は思い切り頷きながら涙が溢れていた。
「ええ…… ええ……そうです! お父様は、覚悟を決めたお顔をしていました。 今にして思うと…… 」
私は父を思い出し、胸が張り裂けそうで唇を噛み締める。
ウンブラは一旦、話をやめてアルカヌムの側で膝をつき、優しく手を握った。
「アルカヌム様…… 父君はアルカヌム様のことを、とても愛しておいででした。 そして…… とても大切に思っていたのでしょう。 本来なら…… こんなに長く時間を掛けて、この街に来る必要は無かったのです。 とっくに着いている距離ですから。 しかし父君は、少しずつ町や村を移動して、アルカヌム様の心を癒しながら旅をされたのです 」
「お、お父様…… 」
私は堪らず、小さく震え涙を流した。
「そして当時、父君は呪詛の解けないカントゥスの王太子に…… 大切な紋章のガラス玉を使い、呪いを吸わせ時間稼ぎをしてくれました。 王太子は時に影を使い、カントゥス国を守り…… 眠っていてもずっと、アルカヌム様たちを気にかけていました。 父君は、随時カントゥスに手紙で知らせや報告をくれました。 そして一年前、エルム街に着いたと父君から連絡をもらい…… 私は半年かけて、隣村のこの地に来ることが出来ました。 しかし父君を亡くされたばかりのアルカヌム様を…… すぐにカントゥス国に連れて行く事は、出来ませんでした。 暫くは、アルカヌム様の様子を見ていようと思ったのですが…… ガラス玉の呪いが溢れてしまいました 」
「あなたは…… ウンブラ様が…… 王太子様の影なのですか? 」
「そう……です。 私は、身体中に溜まってしまった呪いを解いていただきましたが、カントゥス国の王太子は未だ眠りの中で苦しんでおります。 どうか…… 共に、カントゥス国にお帰り願えませんか 」
(帰る…… ? )
私は、握ってくれていた暖かい手を解いて涙を拭きながら、父の…… 最後の言葉を思い出していた。
ーーアルカヌム…… 東へ……行くんだ…
「わ、分かりました。 お父様も… 最後の言葉に…… 東に向かえと仰ってました。 お父様の最後の言葉を…… 最後に託された思いを継いでいきたいです 」
ウンブラの瞳に明るい蒼が差した。
「!…… アルカヌム様! ありがとうございます! ですがあの…… 申し上げにくいのですが…… カントゥスの王太子には、時間がありません。 すぐに発っても大丈夫でしょうか? 」
(病や困っている人がいるなら…… )
「私は旅に慣れています。 もちろん、大丈夫です 」
ウンブラは心からホッとした顔をした。
「普通の旅にはなりません。 私は呪いのせいで、この村に着くまで半年もかかりましたが、今から道繋ぎの魔法で向かいますので、すぐに着きますよ 」
「魔法? 分かりました。 荷物を、荷物を取りに行っても? 」
「もちろんです。 私の物は、たいしたものではないので、村の者に処分してもらいましょう。 一度、道繋ぎの魔法で、アルカヌム様の家に行き、そしてカントゥス国に向かいます。 よろしいでしょうか? 」
「それなら大丈夫です。 馬は村の人に、引き取ってもらいますね 」
私は、さっき割れてしまったガラス玉が気になって仕方なかった。
「あのう、私に…… 割れた紋章の… ガラス玉をいただけますか? 」
「もちろんです! そのガラス玉は、元々はアルカヌム様のものだったのですから 」
二つに割れたガラス玉を拾って、ウンブラ様が皮の袋にしまってから、私に渡してくれた。
それから私たちは最速で準備をした。
最後にお世話になった、サカの村とエルムの街に…… 歌を紡いでから、カントゥス国に向かった。
ーーどうか、どうか…… みなさんお元気で
私とウンブラ様がカントゥス国に着くと、王家の扉は開いていた。
苦しげにベッドで呻く王太子を囲んでいる家臣たち。
王太子の影のウンブラが戻り、後ろから私が続けて寝室に足を踏み入れると、家臣たちがざわめき出した。
「影! 〈歌紡ぎの巫女〉を連れ戻したのか!? 」
「はい。こちらに…… 」
「そうか! でかした! 長々戻らぬ故、いらぬ心配をした! すぐに歌を紡がせるのだ! 」
私はあまりの言いように、怒りが湧いた。
「暫しお待ちを。 アルカヌム様…… 早速ですが、ご用意は宜しいでしょうか 」
恐縮しきりのウンブラが希った。
「分かりました…… 」
私は影としてのみしか、存在価値を認められないウンブラにツキンと心が痛んだ。
(この国のために誰よりも働いているのに…… 影だからって…… )
しかし気を取り直し、苦しむ王太子様に向かい私は歌を紡いでいった。
言葉に言霊が宿り… 節に乗って王太子のそばに寄り添う。
王太子の身体から、ドス黒い煙が上がり暫く漂っていた。
その様子を見ながら、私は歌を続ける。
煙は王太子の身体に戻ろうとするが…… それもやがて、私の歌に包まれ静かに消えていった。
「どうだ? 上手くいったのか!? 」
一人の家臣が突然騒ぎ始めた。
「ははは。 なんだ! こんな簡単なことだったのか!? 長年王太子様を苦しめていたものが! 」
家臣達は呆気ないほど簡単に呪いが鎮まったと、今更ながらシラけた様子だった。
臥していた者の側で、これほど騒がしくする事に… 私は益々腹を立てていた。
「うっ…… う 」
「あっ! 王太子様が目覚められた! 」
猫撫で声で一人の家臣が話す。
「今すぐに、メイドに水を! 」
点数稼ぎが見え見えの別の家臣も話す。
王太子様はゆっくり目を開け、暫く焦点の合わない瞳を揺らしていた。
そしてゆっくり言葉を話す
「ウンブラ…… 良くやってくれた。 ありがとう…… 」
ウンブラは片膝をつき、頭を下げ家臣の礼をした。
「〈歌紡ぎの巫女〉アルカヌム…… ありがとう…… 」
それから、王太子はウンブラに顔を向けた。
「…… 戻った早々だが…… ウンブラ… 私の核に帰るか……? 」
「はい。 しかし… 少々お時間を頂戴します。 アルカヌム様…… この度は、誠にありがとうございました。 アルカヌム様のおかけで、主人の王太子様は無事呪いを解くことが出来ました。 どうか末永く… この国をよろしくお願いいたします 」
王太子そっくりのウンブラ…… 青空を閉じ込めた瞳が…… 微かに濡れていた。
私は… 余りにも優しく笑うウンブラが消えてしまう事を怖く思った!
「あの、どうしても…… 消えなくてはダメなのですか! こんなに国に尽くしていたのに! 王太子にも尽くして…… 言葉ばかりの家臣より、よっぽど忠義があるではありませんか! 」
この家臣達のことを、誰一人私は知らない! でもほんの数分で分かることもある!
「な、何を言う! お前に何が分かるのだ!歌をうたったぐらいで、偉そうにして! 」
「ほう。 歌を歌ったくらい? 」
ウンブラは五月蝿い家臣の胸倉を片手で掴み、高く持ち上げた。
「私に何を言おうが構わない。 あなたは王太子様の命をお救いした、アルカヌム様に言ってはならないことを言いましたね 」
家臣は地に着かない足をバタバタとして声を張り上げた。
「や、止めろ! 影の癖に! 」
とても今まで呪いで苦しんでいたとは思えない程、ゾッとする冷たい声だった。
「ウンブラ…… 手を離せ。 こやつは私が処分する 」
ウンブラはニッコリ笑って手をバッと放した。
「…… はい 」
ほんの数言のやりとりだが、戯言をいう家臣を震え上がらせるには充分だった。
「アルカヌム様…… ありがとうございました。 ですが、私がいることは、本来あってはならないのです。 幸せな治世では、私は不要の者なのですから…… 王太子様、私をあなた様の核に…… お戻しください 」
私は何故か、心の中に出来た暖かいものを…… ごっそりと、もぎ取られる様な気持ちになった。
「あ…… い、いや…… やめて 」
王太子は苦渋の顔を私に向ける。
「アルカヌム…… すまない。 ウンブラは影とは名ばかり、私の半身なのだよ。 本来、考えを持たない影が…… 私の長い眠りの中で代わりを努め過ぎて、意志を宿してしまった。 ウンブラにはすまないが、一つの身体に戻らなくては、私はいずれ崩れてしまう。…… ウンブラ核に戻れ 」
胸に手を当てたウンブラ様が、私に笑いかけながら王太子様に吸い込まれていった。
私はたった一日のうちに起こった過去の真実の話と…… たった今、心が軋む悲しい別れ…… その全て飲み込むには、負担が大き過ぎたのだった。 気がつくと、目の前が真っ黒に染まっていた。
どれほど眠っていたのかーー
目を覚ますと、母と一緒に攫われたという巫女達が私の手を握り見守っていてくれた。
一人の巫女が優しく手を摩り、目元に涙を浮かべている。
「よくご無事で…… このカントゥス国にお帰りになりました。 父君は…… 惜しい方を…… 亡くしました…… 」
私は手の温もりに心が安らいで、自然とお礼の言葉が出ていた。
「ありがとうございます。 小さな私を育ててくださったそうで、重ね重ね…… 本当にありがとうございました 」
それから私は、巫女達から色々な話の顛末を聞き、自分の過去をハッキリと知ることが出来た。
私は逃げていたのではなく…… 帰ってくるための旅だった。 そして使命のある旅だったのだと知ることができた。
「アルカヌム様…… その後… 12年前、この城に戻ってから…… 私はアルカヌム様のお母様である<歌紡ぎの巫女>の絵を再び描きました。 どうかお納めください 」
私は肖像画にそっと指で触れた。
「ああ…… この方がお母様…… 」
肖像画は黄金色の長い髪に紫の瞳…… 額には紋章がある。 紋章以外は、アルカヌムにそっくりな顔だった。
顔を覚えているようで、ちゃんとは覚えていなかった。 ただ額の紋章が記憶に引っかかっていただけ。 まるで緑の羽を大きく広げた様な紋章……
初めてマジマジと母の顔を見て、嬉しさと気恥ずかしさで心が暖かくなった。
アルカヌムは持ってきた鞄の中から、父の小さな肖像画を出すと、母のそれと並べた。
コンコンコン
そこに杖をついて、ゆっくりと王太子が現れた。
「目覚めたと聞いた。 早速だが…… まだ自己紹介もしていなかった。 私はイーデム。 イーデム・カントゥスだ 」
正直に言って、ウンブラ様と同じ顔をしたイーデム王太子に少しの苛立ちが湧く。
しかし挨拶を返すのは礼儀。
私は小さな溜息を呑み込んで話した。
「わざわざ王太子様より、ご紹介を賜りましてありがとうございます。 長い間寝たきりだったので、歩くのも辛いのではありませんか? 」
「そうだな。 しかし歌紡ぎとは不思議な力だ。 長きに渡り、苦しく辛い日々が嘘のように身体から消え去った。 そなたは大丈夫なのだろうか? 」
「……はい。 ご心配をおかけしました。 ウンブラ様の事でも…… し、失礼を…… いえ…… やっぱり本当は…… まだ、納得できなくて…… 」
私の無礼を咎める訳でもなく、イーデム王太子は力無い声で話す。
「…… そうだろうな。 あいつは私の半身で、この呪いも半分…… 身に受けてくれたんだ。 私の身体から離れると、ウンブラには害がないはずなのに…… 。だから私は、託したんだよ。 あのガラス玉を…… 私の側に置くのではなくて、ウンブラに託した。 それで私も死んでしまうなら、それまでだと…… 」
私は王太子の情けない感情が、到底納得出来なかった!
「ウンブラ様と、共に死んでも良かったと言うのですか? ウンブラ様は諦めていませんでした、最後まで! なのにあなたが…… 王太子様が諦めていたなんて! 」
「…… 」
イーデムは下を向いたまま、一言も話さなかった。
私は部屋に入らず、入り口で佇むイーデム王太子を部屋のソファーに招いた。
「イーデム王太子様。 言い過ぎてしまいました。 まだ身体の戻っていない王太子様を立たせたままお話ししてしまったことも謝ります 」
「いや、そなたは悪くない。 正直、私もウンブラが大切で…… 私の半身かも知れないが…… 友のような家族のような…… もう自分とは違う、一人の人格ある人だと思えるのだ 」
(私も、、そう思うわ…… )
イーデム王太子の心情を吐露した言葉が、私にも沁みこんでくる。
「イーデム王太子様も苦しいのですね。 私なんて、たった一日だけ…… なのにこんなに苦しいとは、思いませんでした。 この国に来る前に、ウンブラ様から影は消えるのだと教えてもらったはずだったのに…… 」
イーデム王太子は、自分の半身を影として生み出し意のままに操る力があるそうだ。
さっきの巫女から王家継承の者に現れる特別な力で、代々王家を文字通り影で支えてきた力。
しかし巫女は、アルカヌムに諭す様に続けて話した。
その力が大きくなると、実が影に飲み込まれてしまう…… 実が心を強く持たなければならない、恐ろしい力でもあるのだと言った。
私は、ウンブラを取り戻したい衝動に駆られるが、それは果たして、ウンブラが望んでいる事なのだろうか?
ウンブラは、イーデム王太子の呪いを半分受けて自分も苦しみながら、半年もかけて私を探して迎えにきたほどの忠誠心を持っていた。
呪いを受けず、実を飲み込めば自分がこの国を支配できたかも知れないのに…… それをしなかった。
私は心が乾いていく様な焦燥感に飲み込まれそうになっていた…… せっかく出来た、小さな思い出の記憶が砂の様にサラサラと心から漏れていく感じをなんとか掻き集める。
(なんでこんなに辛いの…… ウンブラ様! ウンブラ様に会いたい! )
イーデム王太子とアルカヌムの間に沈黙が流れる。
その時、
「アルカヌム様…… 」
私は、この優しい話し方にハッとして、そちらに顔を向けた。
目の前にイーデム王太子とウンブラがいる。
「ウンブラ様…… 」
私の眼から止めどなく涙が溢れていた。 それ以上の言葉が出てこない。
ウンブラは、アルカヌムを見て優しく微笑んでいた。
「私の主人は、優しい方なのです。 早く私を主人の核と同化してくだされば良いのに…… ふふ 」
私とイーデム王太子様は、なんとも言えない表情でウンブラを見ていた。
心が満たされる様な切ない様な…… このまま刻が止まって欲しかった。
しかしウンブラは、優しいだけじゃなく堅固な意志をも持っていた。 覚悟を持って話す。
「主人…… イーデム王太子様…… 今から生意気を言いますね。 どうか…… 強くなってください。 悲しみも喜びも辛さも… 何もかも抱えて、乗り越えてください。 私の全てを尽くすに値する、国王になってください。 イーデム王太子様なら、必ずなれます! そして最後に…… アルカヌム様に、もう一度会わせてくださってありがとうございます…… アルカヌム様…… 父君と母君に継いで、アルカヌム様にも… この国を守る役目をお願いして、申し訳ありません。 しかしどうか、私の主人をお助けください。 影の私が愛した、この国をお守りください…… 主人はこれから強くなります。 お側で…… どうかこの国の行く末を…… 主人と共に…… 歩んでください…… 私の… 最後の願いでございます…… 」
「ウンブラ様…… あなたが、それを言うの…… 」
「私は主人の核と同化し、これからもアルカヌム様のお側にいる事でしょう。 私の代わりに、主人とこの国の未来を歩んでください。 託せるお方はアルカヌム様しかおりません。 どうか…… どうか…… 」
私は気づくと、ウンブラ様の手を震えながらしっかりと握っていた。
「ウンブラ様…… 長年お側にいた、お父様が亡くなった時の様に悲しいです。 私も…… イーデム王太子様も…… ウンブラ様が大切なのです。 ただの影じゃないのです。 人が亡くなった様に悲しいのです! 私にも… よく分からない気持ちですが…… 多分…… 好きなのです…… この最期かも知れない時に…… この気持ちを押しつけて…… すみません 」
ウンブラは強く、私の手を握り返していた。
「アルカヌム様…… 最後にその気持ちをいただき、主人の核と同化しましょう。 ありがとうございます…… 主人、もう充分です 」
「ウンブラ…… 完全同化すると消えてしまうだろう。 長きに渡り… 今までありがとう…… ウンブラ…… 約束は守る。 絶対に守る! 」
ウンブラはコクリと大きく頷き、笑顔を見せている。 目元はうっすらと赤かった。
私は止まらない涙を流して…… イーデム王太子様も…… ポロポロと大粒の涙を零してウンブラを消した。
それから2年の歳月が流れた。
時は薬になる。
私とイーデム王太子様は、大切な人を亡くした悲しみを共に乗り越えていった。
今も心の中には、しっかりとウンブラ様がいる。
少し心配性だった顔から、今は穏やかな顔のウンブラ様が……
イーデム王太子様は約束通り、心も身体も強くなり先日国王より正式にカントゥス国を引き継いだ。
そして今、私とイーデム国王は夫婦となるべく盛大な式を挙げている。 私の妃のティアラには、父の形見の宝珠と母の形見のガラス玉が本物の宝石と一緒に飾られている。 父と母の想いものせて、カントゥス国のこれから迎える明るい未来を築いていくのだ。
イーデム国王の身体の中で眠る、優しい頑固者のウンブラ様との約束を守るために
最後まで読んでいただきありがとうございました。
悲しいだけじゃない。心は時間でいつか癒されていくと思える… そんな救いがあるお話を書きたかったのです。
忘れない・・・は本当の無ではないと思えるのです。
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今週金曜日に新連載をはじめます。
ハイファンタジーですが楽しんで読んでいただけるよう
頑張って書きました。ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
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