常笑の魔女、ラズリーの輿入れ
そうして半年ほど経った頃。
城が俄かに騒がしくなった。
「ねぇ、使用人だけじゃなくて武官の人たちまで忙しそうだけど、城で何かあったの?」
すっかりメイド服がお似合いになったカレンが、食堂でグッタリしている使用人仲間のおばさまに尋ねる。
カレンは日替わりでメイドのハウスキーピング業から庭師の真似事、農村での農作業までありとあらゆる仕事をマルチにこなしていた。
今日はたまたま仲良くなった貴族の令嬢にドレス選びやメイクのお手本を乞われたので、王城の一室まで出張していたところだった。
生憎と彼女たちは詳細を教えてはくれなかったが、どうも最近の美容に対する気合の入りようがまるで違っていた。
(もしかして、パーティでも開かれるのかしら?)
ウェステリアではあまり貴族のパーティというものが無かったので、年頃の女であるカレンもそういったものに少しだけ憧れはある。
ちなみにこの時のカレンは知らなかったが……この国のパーティは彼女が思い描いていたものとは全く違っていた。
あくまでも魔法の腕試しをする場で、ダンスや美食を楽しむ華やかなイベントでは無かった。
カレンが相手した令嬢たちも、美しく戦いたかっただけなのである。
根本的にこの国の貴族には、脳筋しか居なかった。
「それがね……実は他国から魔法に秀でた、新しい王妃候補がやってくるらしいのよ」
「王妃候補!?」
何となくどこかで聞いたような話である。
この国は強くて魔力の豊富な美姫を集め、王族の権力を高めるのに必死らしい。
実力主義なだけあって、次代の王へ優秀な因子を引き継げる母体を求めているようだ。
まぁカレンがガッカリな結果だったので、早く次を探そうとするのは当然と言えば当然なのかもしれないが……。
(それで国中の御令嬢が慌てていたのね。私が王妃候補から外れてからその座を狙っていたのに、また別の魔女が現れたわけだ……今のうちにどうにか手籠めにしてやろうっていうのも頷けるわ)
弱肉強食の中で育った令嬢は、死に物狂いでジェイドを我が物にしようとうするだろう。
商魂逞しいというか、あの手この手の権謀術数を駆使したアピール合戦が始まるのだ。
「でも、その他国からやってくる女性ってどんな人なのかしら?」
カレンは情報のお礼として、自分で採って淹れたハーブティーを彼女に差し出す。
情報提供者のおばさん使用人はそれを有り難く受け取って一服すると、ふぅ~と脱力したようなため息を吐いた。
五十歳を超えたベテランの彼女は、この城でも上級の使用人の一人。
仕事はバリバリにこなすし、かなりの情報通だ。
城の内情をほとんど掌握していると言っても良い。
当初このおばさんはカレンに対して厳しく当たっていたが、彼女が長年抱えていた持病の腰痛と便秘に効く薬草茶を教えてあげたら、いとも簡単に陥落した。
他にも食堂のコックには腱鞘炎に効く薬草湿布をあげたら夕食のデザートが一品増えたし、うっかり腕を負傷傷した庭師に血止めの生薬を渡せば、彼からは定期的に花を分けてもらえるようになった。
彼女の分け隔てなく親切にする人間性はこの国では非常に珍しく、多くの人々を魅了していた。
そんな経緯もあって、カレンはこの城の下働きの中ではかなりの信頼を得ることに成功していた。
だから城で起きていることの情報も、こうやって得られているのだが……。
「なんでも、西の果てにある国で常笑の魔女と呼ばれていた人らしいわよ」
「常笑……?」
ちなみに、カレンは燦爛の魔女と呼ばれている。
母国のウェステリアの民たちは『明るく燦爛と輝く太陽のように温かい』と親しみを込めて彼女をそう呼んでいた。
その西方の魔女の二つ名も常に笑うということは、彼女も似た所以なのだろうか。
「笑顔が素敵な、優しい女性なら良いわね……」
しかしカレンの期待は、残念ながら大きく外れることとなる。
金銀、ルビーやサファイアといった宝飾類が惜しみなく飾られた煌びやかな一室。
賓客の中でも特別な客を迎えるために設えらえたこの貴賓室には、ここで生活が出来るように天蓋付きのベッドや最上級の布で作られた家具が置かれている。
貴族でもこれほど贅沢な生活は出来ない。
そんな部屋のソファーで寛いでいたのは、一人の女だった。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、均整の取れたプロポーション。
傍で世話をしているメイドたちも、思わず溜め息を吐いてしまうほどに整った顔。
この国では見たことも無い踊り子のような紫紺のドレスからは、ハリのある褐色の肌が惜しげもなく晒されている。
周囲には半裸に近い美男子を何人も侍らせ、全身をマッサージさせている。
賓客の中でも最上級の扱いを受けている彼女こそ、常笑の魔女と呼ばれているラズリーだった。
「ちょっと~! 早くお酒持って来なさいよぉ~!! いたっ!? 貴方……揉むのが強過ぎるのよ。ったく、使えないわね!!」
パァン!という爆発音と共に、彼女にマッサージをしていた男の顔面が吹き飛んだ。
首を失くした胴体がビクビクとケイレンしながら、床に血糊をぶちまけながらゆっくりと倒れていく。
ラズリーは何か特別な魔法を放ったのではない。
ただビンタをしただけである。
その代わり、彼女の手のひらには無数の氷の刃が生えていた。
「アーハッハッハ!! しょーもないわねぇ、この国の男どもも。弱っちいったらありゃしないわ。これで本当に周辺国を恐怖に陥れたのかしら? 私一人でこの国、取れちゃうわよ?」
ラズリーの高笑いが、血の海が広がる部屋に響く。
彼女は紛うことなき、圧倒的な強者だった。
二つ名の常笑というのは周囲を、ではなく彼女自身が勝利で笑い続けると言う意味なのだろう。
使用人やお付きのイケメンたちも、恐怖で凍り付いている。
それをどこからか見ていたのか、リグド皇国の皇嗣であるジェイドがこの凄惨たる部屋にノックもせず入ってきた。
「素晴らしい。その手に澱みなく練り込まれた濃密な魔力、我が国の高位魔力持ちを一撃で屠る威力。なにより、その圧倒的強者の貫禄。どれもが実に素晴らしい……俺の伴侶としてこれ以上ないだろう」
ラズリーに臆することも無く、余裕の笑みで称賛の拍手を見せているジェイド。
しかしラズリーは侮られたと取ったのか、この国の次期皇帝をギロリと睨みつけた。
「馬鹿にしないでいただける? 私は私の力をより発揮できる国を探して、ここへやって来たの。くだらない男の持ち物になる気は更々ないわよ?」
彼の物言いで相当頭に来たのか、言葉と共に殺気をぶつけた。
一瞬で極寒の地のような冷気が辺りを漂い始める。
あたかもそこから一歩でも近づけば、周りに転がっている肉片と同じ道を進むことになるだろう。そんな危険なオーラを発している。
まだどうにか正気を保っていたメイド達も、殺気に当てられてしまったのだろう。
急にガタガタと震えだし、次々と泡を吹いてバタバタと気を失っていった。
「ジェイド様……」
「よい。お前らは邪魔だ、下がっていろ」
対するジェイドは護衛を後ろに控えさせたまま、一歩、また一歩と近付いていく。
彼がラズリーの攻撃範囲まで入った瞬間。
二人が同時に笑った。
――パァン!
「「ジェイド様!!」」
空気が破裂したような乾いた音と共に、ジェイドの護衛の叫び声が響き渡る。
ソファーに寝そべっていたはずのラズリーが掻き消え、ジェイドの頭部は彼女の右手によって吹き飛ばされていた。
「……嘘でしょう!?」
――が、それは残像だった。
確実に仕留めたと残心していた彼女の首筋には、いつの間にかジェイドの宝剣が突きつけられていた。
「ククク、まだまだ甘いな。本当の強者というモノを理解していないようだ」
「……分かったわ、降参よ。この私が全然反応出来なかったんだもの。妻でも奴隷にでも好きにするといいわ」
両手を上げ、敗北宣言をするラズリー。
あっさりと負けを認めるあたり、彼女も実力主義には忠実らしい。
ついでに護衛たちも改めて主人の格の違いを見たことで、彼への尊敬の念が増したようだ。
ラズリーの態度に満足したジェイドは、カチャリと剣を収めた。
「それでは早速、婚姻の儀を始めよう。俺と一緒に来てもらおうか」
「分かったわ。ところで貴方の事は何て呼べばいいの? ご主人様?」
「はっ、俺には従順な妻や奴隷など要らん。そのままジェイドと呼べ」
「ジェイド、様……」
少し赤らんだラズリーの顎を、背の高いジェイドがそっと右手で自分の方へと向かせた。
「これは予約だ。取っておけ」
「んんっ……」
同意も説明も無しの、強引なキス。
美男子をあれだけ都合の良いように扱っていたラズリーも、悩ましい程に熟れた肢体をブルッと震わせた。
時が止まったかのような長い接吻が終わり、二人の顔がゆっくりと離れていく。
唇を繋いでいた液体が細く伸びて、やがて切れた。
その頃にはもう、ラズリーの瞳には敵性は少しも残っておらず、メラメラと情欲の炎が灯っていた。
もし護衛たちが居なければ、この場で彼に襲い掛かっていたかもしれない。
「ククク。そんなに物欲しそうな顔をするな。婚姻の儀が終わったら、幾らでも可愛がってやる」
「……早くその時が来ることをお待ちしておりますわ」
ジェイドは逞しい筋肉で覆われた胸元にしな垂れかかるラズリーを、片腕で可愛がるようにして抱える。
この国の次代の王となる男は余裕の笑みを浮かべながら、血臭が立ちこめるこの貴賓室を後にするのであった。
ラピスラズリ(瑠璃):ラピスが「石」ラズリが「青」を意味する。幸運を呼び込む石とされている。