食堂の貴公子
ある日、カレンは午前の仕事を終えて城の食堂へと来ていた。
「おばさん、いつものお願い!!」
「あいよ! 魔女ランチね~」
使用人や衛兵たちが使う、下級魔力者たちの集う大食堂。
カレンはすっかりここの常連となっていた。
最初は余所者扱いでランチを一品減らされるといった意地悪もされたが、今は違う。
自分で採った野菜を提供し、城ではベテランにも負けない働きをしていると知った食堂のおばさま達がカレンのことを気に入ってくれたのだ。
現在ではカレンが提供したレシピを使った魔女ランチなるものが開発され、この食堂の人気メニューとなっている。
だから今日もカレンのトレーには、他の者よりも一品だけ多い。
「さて、どこに座ろうかしら?」
少しだけ豪華なランチを受け取ったカレンは、トレーを持ちながら盛況となっている大食堂を見渡す。
空いている席はほとんど残ってはおらず、相席するしかなさそうだ。
と、そこでこの場にしては、かなり珍しい身なりの人物が目に入った。
アンニュイな表情を浮かべながら、難しそうな分厚い本を片手に食事を摂っている、銀髪の美少年。
彼は下級の肉体労働者が着るにしては、質の高過ぎるシャツを身に纏っていた。
カレンはここで働き始めてまだ一ヶ月ほどだが、こんな人は初めて見る。
外で勤務している兵隊かとも思ったが、それはないだろう。
日焼けもしていない、真っ白な腕や顔。
この国では珍しい眼鏡もしているし、他の王や将軍とは違って線の細い彼は戦場向きではない。
どちらかと言うと、ウェステリアの国に居た学者や文官に近いとカレンは思った。
興味を持ったカレンは、彼に話し掛けてみることにした。
「本が好きなんですか?」
「ひんっ!?」
「ぷふっ……ひ、ひん?」
女の子みたいなリアクションに、不意を突かれたカレンはつい笑ってしまった。
自分でも恥ずかしい声を出してしまったと思ったのだろう。
日焼けの無い白い顔を羞恥心で真っ赤に染め、プルプルと震えながら俯いてしまった。
「ご、ごめんなさい!! 私が急に声を掛けちゃったから……」
「いや、こっちこそ取り乱してごめん。僕も人に話し掛けられたのが久しぶり過ぎて、つい」
流石に悪いと思ったカレンは、直ぐにペコペコと謝った。
幸いにも彼は気にしていない様子で、ニコニコしている。
その上カレンがトレーを持ったままだと気付き、空いている席に座るよう勧めてくれた。
「僕は今、どうして人々に魔力の偏りが出るのかっていう研究をしているんだ。恥ずかしながら、僕は生まれつき魔力が少なくて……そのせいで、皇子なのに平民以下の扱いをされている……だからディアンなのさ。」
ポケットから出したハンカチで眼鏡を拭きながら、彼は自嘲気味にそう語る。
ディアンと名乗った彼は、なんとリグド皇国の皇子だった。
彼は計測でほとんど魔力が無いと分かった瞬間、この城に軟禁されてしまったらしい。
だから国民はディアンが居ることも知らないし、城では幽霊のような扱いをされている。
だが戦うのが嫌いな彼にとって、この境遇は渡りに船だった。
戦闘の為の魔法ではなく、国民の生活に役立てる魔法を考えたいそうだ。
「どうにかして、万人が魔法を使えるようになれば……今みたいに、魔力の大小で夢を諦める必要が無くなると思うんだ」
この研究が進めば、自分と同じように虐げられている民達も、簡単に魔法が使えるようになるんじゃないか……ディアンはそう考えているらしい。
だけど魔法が使えるようになってしまえば、この国のトップたちは兵として前線へ送り出すだろう。
それはディアンとしても、決して望むところでは無い。
あくまでも彼は、暮らしを豊かにするために魔法が使えるようにしたいのだから。
「これはまだ僕の仮説なんだけどね。魔力っていうのは人間以外にも存在しているんじゃないかって」
「えっ……」
「道具を使って空気中に漂う魔力を引き出せれば……人間が持っている魔力の大きさに関わらず、魔法を使えるようになると思うんだ」
「魔力を測る水晶みたいにってことね!!」
謁見の間でカレンも使い物にならないと判断された、あの水晶。
あれだって魔力が少なくても使うことが出来た。
「その通り。魔法が一切使えないんだったら、水晶だって使えない筈でしょ?」
「そうよね。でも、だとしたら」
「――そうだ。周囲を漂う魔力を扱う、補助具みたいな道具を開発出来れば……だから伝説の技術大国ウェステリアに、いつか学びに行ってみたいんだ」
まるで恋する乙女のように、ディアンは夢を語る。
今の彼の境遇のままでは、国を出ることは適わないだろう。
だが、ここにはその国の出身であるカレンが居る。
「素晴らしい夢ですわ、ディアン様!! 是非とも私にも、その研究のお手伝いをさせてください!!」
「ははは、僕なんかに様付けは要らないよ。でもありがとう。今まで周りにこんな話をしたら、いつも馬鹿にされるばっかりだったから……誰か一人でも助けになってくれると嬉しい」
「協力してもらいたくても、知識もお金も足りなくて……」と恥ずかしそうな笑いを浮かべるディアン。
そんな彼の様子をみて、カレンは自分の胸がドクンと弾むのが分かった。
最近やって来たカレンとは違い、この国で生まれた彼は幼い頃から虐げられてきたという。
にもかかわらず、未だにこの国の民のことを想い続けている。
自分の権力と、強い兵力を手に入れることにしか興味がないジェイドとは大違いだ。
だから、カレンはつい思ってしまう。
この皇子こそ、今のこの国に必要な存在ではなかろうか、と。
なにより、彼の眼はまだこの国のことを諦めてなどいなかった。
ディアンは自分のことを気弱で情けない男だと思っているかもしれないが、とんでもない。
たった一人で戦い続けていた人間の、いったいどこが弱いというのだ。
たしかに実力主義のこの国では、彼の考えは異端だろう。
しかしカレンはこの国の出身ではない。
だからこの国の常識は彼女には通用しないのだ。
――ディアンのことをもっと知りたい。
――もっと語り合って、この国の未来を一緒に作りたい。
すっかり彼女は、会ったばかりのディアンに興味津々だった。
実際には興味だなんて、生易しいものではなかったかもしれない。
本人も忘れかけているが、元は燦爛の魔女と呼ばれた一国の姫だ。
太陽のように明るい可憐な少女も、国の為とあれば獰猛なケモノへと変貌する。
そう、カレンは欲していたのだ。
誰よりも優しく強い男、ディアンを。
たとえどんな方法を使ってでも……彼を手に入れたい。
『自分ならこの人の一番の味方になれるはず』
この国に来て初めて得た同志に、カレンはディアンに対して恋に似たトキメキを感じていた。
いや、彼女はもうすでに、この心優しき野心家との恋に落ちていたのかもしれない。
「……ところで君は?」
「え? ……ああっ!?」
ディアンの言葉で、カレンは思わず椅子から飛び上がった。
彼の話に夢中で、自分が何者か名乗りすらしていなかったのだ。
それにどうやら、ディアンはカレンの事を知らなかったらしい。
そもそも今の彼女の姿は平民の服を着ている上に、先ほどまで畑仕事でクワを持っていたせいで泥だらけ。
城に出入りしている農民とでも思われた方が自然だ。
ましてや今の彼女はウェステリアの姫でも、ジェイドの妻でもないのだから。
「わ、私としたことがっ!! ごめんなさいっ!」
「ふふ、大丈夫だよ。僕も夢中で話してしまっていたから……」
ううう、恥ずかしいと心中で思いながら、必死に謝罪をする。
しかし大国の皇子に対しての無礼にも、当の本人であるディアンはこの態度である。
いったいどうしてジェイドとこんなにも差が出てしまったのか。
テーブルにペコペコと下げていた頭をガバっと上げた。
ディアンの前にスタスタと向かうと、ウェステリア国仕込みの綺麗な一礼を見せた。
「私の名はカレン。この国の民と将来を想う、ただのカレンですわ」
「カレン、か。良い名前ですね。では、カレンさん。これからよろしくお願いします」
ニッコリと微笑んだディアンは自ら右手を差し出した。
一瞬、彼の言葉の意味が分からずに、ポカンと立ち尽してしまうカレン。
(意味はない? ……違うわ。無礼を無かったことにして、改めて友人となろうとしてくれたのね)
心中を察してくれたのか、ディアンは笑みを深めた。
久しぶりに受けた紳士的な態度に、今度はカレンの顔面が真っ赤になってしまう。
熱くなった顔を誤魔化すように、カレンはディアンの手をそっと取るのであった。
その後カレンとディアンの二人は魔法の仕組みや民の普段の暮らし、好きな物語などを心ゆくまで語り合った。
残念ながら短いお昼休憩の間だけであったが、お互いに充実した時間であった。
「また……いつかこうして僕とお話してくれるかな?」
女性を誘うようなことも初めてだったのだろう。
ディアンは別れ際に、不安そうな声色でそう言った。
しかしその眼鏡の奥の瞳は真剣で、真っ直ぐ彼女を見つめていた。
彼なりの精一杯のお誘いだったのだろう。
なんだか心が温かい気持ちでいっぱいになる。
会いたいと思っていたのは自分だけじゃなかった。
カレンは太陽のような笑顔で、「また、明日」と彼に伝えるのであった。
オブシディアン(黒曜石):火山地帯で採れる石。熱せられ溶かされた結果、強い石となる。