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あの日の約束  作者: 桜井さめき
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第8話ー離別

 夜明けにいくつかのやわらかい雲が漂っている。その中に小さな隙間ができていて、仄かな曙光が差し込み、優しく大地を照らしている。まるで朝になったと知らせに来た白みがだんだん丘から草原に広がり、次々と駅前、校庭、敷き詰められたビル群に広がって、視界の果てまで明るくなりつつある。みるみる強くなった日差しを浴びて目覚めた僕が瞼を揉み、揉めば揉むほど痒くなる。また学校に行かなあかんとわかっていた時、いつもやめたくなるほど嫌いなのだ。


 こんな生活いやいやー!早く卒業してどこかに行きてえー! ランドセルを背負っている僕は、薄くなった空気に、愚痴をこぼしたあと、部屋を出た。


 テーブルに目玉焼きや食パン一つずつ置かれていた。こんな時間でも焼きたてならではの香りが漂ってくる。さすが母さん、僕の起きる時間が自分より詳しすぎるぞ、食パンをちらっと見て、内々感服しながら玄関に向かって、急いて歩く。

「遅刻しそう!朝食は大丈夫!」

「待って!」雷のごとく響いたその声がスッと耳に入り、ぞわりと全身の肌が粟立った僕は動けなくなり、玄関の前でじっとしている。

「ど、どうした?」僕は母さんの顔をゆっくり向いた。暑くもないのに、ひんやりとした汗が額から出て、止まらなく背中までかいている。ゴミ箱に捨てられたテスト用紙を母さんは取り出し、

「加藤くん、5枚もあるかい?」母さんは怒ったときいつも僕の苗字を呼ぶのだ。前に落ち着いたとき聞いたけど、そうすると怒りが抑えられるとのことだ。

「75、69、大変や!58でも!さすが加藤くん、すごいやん!」バレたテストを一枚一枚母さんにチェックされながら、皮肉な口調で怒られる僕は容疑者めく、顔を俯いたまま何も言えずに立っている。「あ、こりゃまあいいけど、80、最後は......49?!」

「いやあれむずすぎるもん、で......」いや、違う、彼女の目はどこ見てんの?

 何か悪いことでも起こりそうな気配がし、胸がざわめいてしまう僕は思わず母さんに向かって走って行く。

 須臾、静かにテストを覗き込んだ母さんは僕を向いて、冷静ぶって重くなった声で訊く。

「なんで中国語ばっか?」問題以外ほとんど中国語の単語やフレーズに詰め込まれたテストに目を凝らした。その刹那、何も言えない、認めるしかできない気持ちに襲われた僕は不意に怖くなる。

「約束して。」

「何を?」

「これから中国語の勉強をやめて、一心不乱に勉強すること!」

「へえええええー!」信じらんない、悪いことをするよりこりゃ別によくね?と、心底から湧き上がってきた様々な気持ちや理由を、僕はなんでも言い出したいのに、母さんの前でなんとなく、なんでも言い出せなくて、喉が詰まる感じで息苦しくて、なにも主張できないで生きている自分は大嫌い、大嫌いで......

「悔しい?」誰もわかってくれない気持ちが顔に表れた僕は不器用なのだと思った瞬間、彼女が言った。「悔しいと思ったら中国語をやめて、共通テストの勉強に励みなさい!」

 いや待ってよ!中国語と関係ある?!不平を強く感じて言おうとした僕は、また母さんにいつも通り叱られた。

「東大行けんでもいいけど、せめて国立大学を目指せ!」

 またかー!となぜかこの言葉に嫌悪感を抱く僕は不意に唇を噛み、不快な思いをしながら顔を上げて、母さんをじっと見つめる。本当に嫌いなのは彼女じゃないけど、ただこの聞き飽きた言葉なのだ。

「悔しい?悔しいならさっさと勉強しなさい!」

 むぅ......母さんに対する憤ろしい心持ちを限界まで抑えつけ、恐ろしく、悔しく、言う。

「今から学校に勉強しに行くじゃねえか!」言ったか言わないかのうちに、僕はランドセルの肩ベルトを下に強く引き、玄関へ颯と靴を履き、力を込めてドアを大きく開けて、強く閉じる。



 *                   *                    *


 師走の慌ただしい季節の中、福井でも雪が降り始め、ただ2時間で足首までまで降り積んできた。大雪に覆われた白ずくめの世界を眺め、今年は去年にひきかえ、大勢降ったおかげで、自動車の立ち往生や鉄道の運転見合わせが相次いだ。

 降り止んだ雨、泥だらけの水たまり、人々の気持ちをよそに地面を強くあたためた陽射し。弱気の風すらも吹いていなかった午後。多くの人が集まった賑やかな夜の街を私は歩く、クリスマスはいよいよ明日だ。この全くクリスマスの雰囲気のない町で素晴らしい生活を送れないまでも、せめて自分の部屋を飾らなければと、文房具屋さんの自動ドアから歩き出した私は強く思ったとたん、チャットアプリからのメッセージ通知が来た。

「今電話かけていい?」

 たくからのメッセだ。彼からの電話のお願いは滅多にないからこそ、私は心中ひそかに喜んだ。

「もちろん、いいよ?」

 幸せがまっすぐ胸を貫いた着信音が瞬く間に鳴り響く。早速電話に出たのに、電話の向こうから届いたのは想像も納得もできない、悲しさや寂しさの波に襲われた、それ以上低くなれない声だ。

「ごめんあのう......最近ある少女漫画を見て、ゆりに対する気持ちや、自分は一体何を考えるか全然わからなくなって......」

 なんだこりゃ、怪しすぎる......ふと、鳥肌が立った私はすごく嫌な予感から胸騒ぎがする。

「お前、何言ってんの?」不安な気持ちが夜空の黒雲になり、今にも激しい雨が降ってくるかのように、ひっそりとした道を覆われている。

「ごめん、許して、自分の感情はなかなか理解できないというか、」心苦しがり、申し訳なさそうな口調で自身の心境を語ったたくに対する自分は、まるで胸を真っ直ぐな剣で刺されように、そばから離れていく痛みを切実に感じた。

「しばらく離させて、また自分の本当の思いがわかったら帰ってくるよ。それでチャンネルも続いて投稿してください、僕、見てるよ」ゴーヤより苦くて切ない声を、私はじっくり味わった。

 実は、出会ってから、いつかきっとそばから離れて、彼方へ遠ざかってくと、私は思ったことある。

 そしてこの日はいつ来るかわからんけど、来るときは必ずあると知っているけど、こんなに早く来るとは、予想だにしなかったのだ。

「ごめん、本当にごめん......」泣き出しそうなほど辛い声で、彼は引き続き言う。

「ゆりが動画投稿したら、必ず見るよ」

 彼の心残りが最後の声になって、いつもと違うスピードでじっくり考えながら言った。知らず知らずのうちに、私はアパートに戻ってきた。どこまでもしんとした部屋の中、耳を澄ませると、彼の言わない悔しい気持ちさえも聞こえるようになった。私は強いて笑顔作りながら、少し震える声で、訊く。

「これは、冗談だよね?」

「いや、本当やわ」

 当たり前の答えなのに、どうして、どうして、言いたいことはたくさんあったのに、頭が真っ白になって、まるで無重力空間にフワッと浮いてるかのような、何も考えられなくなり、何も言い出せなくなった。今いるこの小さなお部屋の空気はさらに薄くなった。ひょっとしたら、これはたくがそばにいなくなろうとする兆しじゃないだろうか。

「ゆりちゃん?今夜は最後の夜かも

 ー」

「一緒に履歴書をやったあの日、まだ覚えてる?」彼の静寂を破った言葉を私に切られた。彼の言う通りだ、今夜は最後の夜。最後の夜からこそ、素直じゃなきゃいけないのだ。

「うん、覚えてる。」素直に、急がずに、彼は言った。

「たくは旅しながら一緒に楽しく話したあの真夜中、覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。」

「中国語をやりながら一緒に愚痴を言うことは?」

「もちろん、覚えてる。」

「居酒屋で泣いた私を慰めてくれたことも」降り止まない大雨。いつまでも薄くなれない灰色の雲。涙ながらに私は聞いた。普段の彼ならきっとイラついて怒ってくれるのに、今日は何度聞いても、耳慣れない優しい口調で穏やかに返してくれるのだ。

「すべて、覚えている。ごめんね......」

「いや大丈夫やけど、ここまで歩んできたのに......」壊れた蛇口から溢れる水のように、感情を抑えきれず、今まで堪えてきた涙がどっと溢れ出してくる。こんなに大変泣いてきたのは、初めてだ。おそらく彼は、私に驚かされたんだろう。


「君のチャンネル、諦めないでください。応援してるからさ」

「そっち見てもわからないんやろ?」

「わかるよ、僕の友達は僕の代わりにコメントをするから、今日の出来事とか感想など。」静寂や涙声に囲まれた夜に、彼は息詰まるほど苦しげな声で最後の一言を絞り出した。

「また、連絡できるよ」

 無言になった私は顔をゆっくり見上げ、天井に目を凝らし、視界がだんだんぼやけてきた。



「初めまして、よろしくお願いします。」電話の向こうから暖かい声が聞こえてくる。これは間違いなく日本DKの声だ。小春日和の暖かな日差しが差し込んで、晴れ渡る空からひんやりと澄んだ風が優しく吹いてくるような感じで、彼の声は柔らかくじんわり温まり、暖かさが全身に広がっていた。



「朝の中国語は『早上』、『好』はこんにちは、『よい一日を』という意味も含めるよ。じゃここで一回読んでみて。」

「『早上好』」ぐずぐずと自信がなさそうに、たくは復唱した。まだ磨いてない玉の声で。



「じゃ、まず自己紹介してください。」

「えっと......初めまして、私は桜井優里と申します。本日に貴重な時間をいただき、ありがとうございます。」

「違う。まず名前+と申しますでいい、私はは要らん、しかも最初は趣味じゃなく、自分の学歴や経歴を面接官に伝わるということだ。」

「え?」突然真剣にやってくれて、私は驚いた。



「ふぅ〜やっと終わったー」

「お疲れ〜面接はどうだった?」刹那、彼のそばにいたら自分らしく生きていけると私は強く感じ、心を一瞬落ち着かせた。なぜかわからないけど、この世の中に一番わかってくれる人は彼をおいて他にいないのだ。

「散々だったよーでもたまにたくの話を頭に浮かべて、また話せるようになった。本当に助かったよ!」

「それは良かったね!」



「ありえない......全部......正解」私はスマホに向かって睨みつけながら、ポカンとした顔で囁く。

「え?!まじで?!」

「うん!おめでとう!」日々連綿と続ける努力は必ず報われるから、どんなことがあっても絶対に諦めないで、という言ったことのない励まし言葉は証になって、彼から輝くように見えた。



「我愛你我愛你我ー愛ー你(wǒ ài nǐ )ーー!!(愛してる愛してるアーイーシーテールーー!)」


 僕の叫び声はこだまとなって、静寂に包まれた山林に響く。そして谷や湖に反射され、残響が山上の清々しい空気に満ちる。電話の向こう側はしんと静まる。......ゆり?ゆり?



 いいか?気が小さく、自分に自信が持てなければ、きれいな発音のコツを理解して習得しても、人の前で絶対話せない、発音を正しくすることができない!」深い静謐な青い空を2つに引き裂いたほど、部屋中に響き渡る声をゆりが出た。


「だから諦めないでくれ、どんなことがあっても、そばに支えるから!」


 彼女の励ましは、突如差し込んできた強い日差しが顔に当たるみたいに、恍惚から覚めた。



「だって、好きと言っても全然無理やん!私のことそっちは全然好きじゃないし......」陽だまりのような笑顔がほころぶ彼、伸ばした手で仄かな光を掴み、私の手のひらを広げて、その暖かさをこれからも見守るよと言わんばかりの優しげな眼差しで渡してくれるような、大切にしたい存在だ。

 もし彼がいなかったら、今の私もいないと確信してきた。

「なんでてっきり僕はゆりのこと好きじゃないと思ってるの?好きじゃないわけじゃないかもしれない場合もあるじゃない?」

「え?」



 眩しかった天井が清楚な白に戻り、こころの隅に残っていたかつての名残が蝶の群になり、窓の外の煌めく星空へゆったりと舞い上がり、まるで何も起きてなかったような、夜空の果てまで消えていく。


 凛とした静けさに包まれた夜空の中に、一輪の月かかって銀の如し。こらえた涙を流さないため、僕は窓に映った月影に覗き込む。その瞬間、どこからともなく弱々しく、心細い声が微かに聞こえてくる。僕は少し驚き、目を見張った。



「あの日の約束は?」

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