第5話ー記憶の名残
衣類やおやつが詰め込まれたバックパックを持ち上げ、先ほど夜空に輝いていた星に、大勢の薄い雲が迫ってきて、あっという間に、辺り一面が暗闇に覆われ、星群がふっと消えてしまい、空はすっかり暗くなった。
壁にかけてある古い時計の針がチックタック動い、やっと来た。12時ちょうどを指す針を見上げた僕は不意に頷いて、バックパックをさっと背負う。ロック画面を解除し、電話をかけつつ、家を出る。
真っ暗な夜空の下に、ホタルのようなぼんやりと光る街路灯はいくつか歩道に立っている。影が長く引き伸ばされていた僕は全く気づかず、奥深く静かな連なる山々に向いて歩き始める。
「も、もしもし?」向こうから届いてきた声がゆっくりと震え、彼女の乱れた心臓の鼓動になんとなく気分が晴れた僕は、妙にワクワクする心持ちを抑えられなく、いつもと違って声を張り上げ、言う。
「こんばんは!今何してる?」
「......げ。たくと話してるよ?」
にこやかな笑顔で返し、僕はマーブルチョコをバックパックから取り出し、ポリポリ食べ始める。
「まあ、そりゃそうやろな。実は僕、初めて1人で旅に出るの。」
「へええええ!!!そっかあ!」予想外だった驚きの声、今回の旅、彼女がいてくれるからこそ、面白くは絶対なると、僕は確信している。
「で、今はどこ行くの?」
「わからん、このまま突き当たりまでまっすぐ歩いていけば、この先見たことのない景色は見えるはず」
未知の景色だ、本当に楽しみやなぁ。真っ暗な夜に星が再び出て、キラキラ光っている恒星の下に、愉悦に浸る僕たちは同時に心の中で小さく呟いた。
* * *
横断歩道を通って、コンビニでも寄る。飲み慣れたスポッツドリンクを買い、和やかな街灯の光がゆったりと僕を照らし、コンビニの自動ドアの前に、僕らは楽しく話し合ったり、歌を歌ったりした。
元気を取り戻し、再度出発。チラッと腕時計に目をやる。2時きっかりだ。彼女も今夜のために徹夜してくれるのだ。申し訳ない気持ちが心の底から湧き上がったけれど、この気持ちを伝えた結果、明るい笑みで全然大丈夫と返した彼女も僕と同じ、この旅を楽しめるのかも。
橋を渡りきる頃、霧に霞む山が真夜中の闇に包まれ、ぼんやりとした山の稜線はいくつ重なり、冷たい風がふわりと吹き、頬をそっと撫でられた僕は眩しい。
直感に従って、一番奥の山、未知への階段を僕は一歩一歩踏み上げ、周りの景色が高さによって刻々と変化を見せる。
頂上に上がって、黄金色に染まった輝く絨毯は目の前に広がっていたら、ひんやりとした風がふいに吹いてきて、顔に当たる。隙間なくびっしりと並んでいる家、整然と流れている自動車、不規則に交わる縦貫道、それぞれ組み合わせて呆れるほど完璧すぎる夜景が眼前に広がっている。さっきまでの悩みは周りの景色と比べると、一瞬どんでもないことになってしまい、遠くの空に消えてしまった。
白い月が煌めく星空を女王のような姿で浮かんでいる。今日の天気が良かったので、福井の賑やかな街並みから奥のうっすらと霧に覆われた東尋坊まで見渡せる。なんだかピークに立つと無性に叫びたくなるよね〜と僕はキラキラと輝いてる絶景に目を凝らし、両手を口の前に添えて、周りを気にせず声を腹の底から張り上げて叫ぶ。
「我愛你我愛你我ー愛ー你(wǒ ài nǐ )ーー!!(愛してる愛してるアーイーシーテールーー!)」
僕の叫び声はこだまとなって、静寂に包まれた山林に響く。そして谷や湖に反射され、残響が山上の清々しい空気に満ちる。電話の向こう側はしんと静まる。......ゆり?ゆり?
先の言葉は何よりも重い石を落とされるように、心を強く打たれた。
そして、一粒の涙が大きく見開いた潤んでいる茶色の目から無意識にみるみるこぼれた。
とっさに、空気が重くなって、部屋に淀む。驚きのあまり、私は何も言えなくなってしまった。
息が詰まるような沈黙がしばらくの間続いた後、小さな声を出して、ドキドキしながらも、私は勇気を出して彼に問う。
「たく、あの言葉の意味、知ってる?」
何か硬いものが強く心臓に当たったような気がして、僕は唖然とした。そして気まずい雰囲気が山に限界まで満ちた時、僕はさりげないふりをして、堂々と言う。
「もちろんわかるよ?ただ叫びたいだけ叫んだよ」
「え?そっか......」向こうからがっかりしたようなため息をかすかに聞こえた僕は胸に手を当ててホッとする。それじゃバレないはずだなと、心密かに思っていた。
* * *
彼の叫んだ言葉の残響は未だに耳の奥で鳴ったり、頭の中をぐるぐる廻ったりしている。その夜に起きた記憶は全て心の奥に鮮明に刻んでいる。授業終了の5時の鐘は雷の如く静寂を破り、私は席に座ったまま、暫くぼんやりした後、カバンを肩にかけて、教室から歩き出す。
いつもの帰り道と違った歩道を私はがむしゃらに歩く。冬の夕闇に包まれた空をピンクに染まった層積雲が一面に広がり、ふいに夕焼け空に目をやった私は呆気を取られて、顔あげたまま目を凝らした。
カードをポケットから取り出して、ドアセンサにタッチをし、自動ドアがすっと開いた。
玄関ともロビーとも、人影は1つたりとも見つからない。キョロキョロと見回し、今日管理人は休みらしいと思った私は思わずエレベーターに入り、中に立っている女子大生2人の目の前で2階ボタンを押し、へとへと疲れた身体をなにげないようにみせながら5秒の重苦しい空気に耐える。(5秒はしょっちゅうエレベーターを乗った私からの精密な計算、1階につき5秒かかるとのことだ)ドアが開いた、私は申し訳なく思いつつ頭を下げ、すみません......と小さく囁いたら、一番奥にある自分の部屋を向いて行った。
「さて、今日の視聴回数はどのくらいかなぁー」
YouTubeのアイコンを私に押されるが早いが、あるあやしいコメントが目に映した。
昨日投稿したばかりの動画に入って、指で下にずらし、コメント欄に書いてあるリスナーさんからの返事を私は睨みつける。
アイコンは知らない外国人の顔を写っている、
「さめきさんはきれいです!本当に好きです!❣️俺と付き合ってください!❤️」
露骨に表す疑わしい内容を今までチャットアプリで話した全ての男子にブスと思われた私は何度読んでも信じられない、信じるわけもない。
刹那、救いてくれたたくからの着信音が鳴り始め、よかったー!と私は顔を綻び、さっとボタンを押し、電話に出る。
「もしもし?」
「たく!たく!」涙が出るほど感動した私の声を聞こえた彼は少し心配になった。
「......え?どうしたの?」
「あのさー聞いてる?」
「うん、聞いてるよ?」たくの声は前よりやや明るくなり、心に溶けるくらい優しい返事を聞こえたとたん、緊張を解させる魔法がついてるみたいに、口角がなんとなく上がり、気分は少しでも晴れてきた。
「昨日投稿した動画やさ、ある変な人が好きですとか付き合ってくださいとかコメントをしたよ!ほんっとにキモいよねー」
放課後の涼しい風がふわっと流れて、たくの前髪をそっと揺らし、今日はツバサとの帰り道。ゆりのこぼした愚痴がはっきり聞こえたつばさは自分を指し、その一瞬、僕は何か知っていた気がする。
「あーあれね、あれは嘘じゃないと思うよ?」
「え?!そうなん?」
「そうそう、今彼は隣にいるから。」
「え?!まじで?!」
僕の隣を歩いてるツバサは僕を向いて、シワが眉間に寄せたまま、空気の中に手で大きく円を描く。大袈裟に言って欲しいのか!さすがこいつだなー、今日の帰り道は一層面白くなるのかもと、僕は考える。
「まじー!彼はほんっとにゆりのことが好きだよ?」
「信じらんなーい!付き合うことはおろか、会ったことさえもないのに、なんかキモくない?」
僕はツバサを向いてニヤつく。
「まあ、確かにキモいね!」
「でしょー」
「でも、」青かった空はみるみる暗くなってきた。見るともなく、僕は遠くにうっすらと光る月に眺め、冷たい風がふわっと流れてきて、何か良くないことも起こりそうな気配を僕は感じ、引き続きを言う。
「本人と話してみない?彼はゆりとたくさん話したいよ」
「まあ......」彼女の返事を待たず、スマホを耳元から離れ、ツバサにあげる。
彼はひっそりと笑い、感激の気持ちはすべて顔に出てしまう。僕はなんとなく背筋に寒気がして、ゾクゾクする。
「も、もしもし?あのう、俺はあのコメントを書いたツバサです!」普段明るく凛々しい彼でも緊張するんだ!と思わずにはいられない僕は耳を澄ませる。時折冷たく凍るような乾風が吹き渡り、落ち葉が狂った風に舞い散る。
「俺のこと、キモいと思うの?」
「いや、あのう......そうだね!」汗を彼女の額にかき、おずおずとしながらも、自分の立場や原則をしっかり持って真剣さを示す。
「かなしいー!心が傷ついたよー!」こいつめんどくせえなーと思わず感じた、そして彼女もきっとそう感じていると、僕は確信しながらも続きを聞く。
「俺は本気でさめきさんのこと好きだよ?」ツバサも負けなく自分の本気を見せる。
「え?本当?!」
「本当に付き合いたいんだよ!」
ツバサは突然大声を出す。
「そうなんだ。」
「俺のことを信じてください!」
「うんうん、信じるよ?」彼女は最初より少し落ち着いて、口調が優しくなった。いつも大まかな性格を持って僕と話してる中国語先生なのに。薄暗く空に暗雲が流れ漂い、月を遮って何も見えなくなった夕まぐれを僕は見上げ、寒々とした風が吹き抜けて、僕らの顔に当たり、髪全体が止まらなくゆらゆらと揺れている。あっという間に、何を考えれば良いのか、すっかりわからなくなってきた。
「まあ、とりあえず友達から始めてみようか?」
僕らはお互いの顔を見て、思わずふっと笑ってしまう。
台湾人である彼女はまた1人の友達が増えたようだ、めでたしめでたし。星ひとつ見えない真っ暗な夜空を、瑕疵のない真っ白な月がぽつんと浮かんでいる。窓を開けて、外からさっと流れてきた冷たい空気を僕は大きく吸い込む。まじまじと月を望みながら、心底から彼女の幸せを願った。