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主任さんは早く帰りたい  作者: ユキノ
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認定調査

調査の当日、私は溝端さんの家の前にいた。調査員より早めに入り、状況を確認したい。娘さんとの電話では、相変わらず溝端さんは立ち上がったり歩いたりはできないそうだ。


もう少し時間が経たないと、圧迫骨折の痛みはかないだろう。そう思いながら私はインターホンを押した。


「こんにちは。今日はよろしくお願いします」


玄関を開けて娘さんが顔を出す。挨拶を交わして玄関の前で私はコートを脱いだ。早めに到着することは事前に連絡済みだ。


木造の2階建て一軒家。入ってすぐの部屋で溝端さんは横になっていた。…お世辞にも綺麗な部屋とは言えない。


部屋には溝端さんともう1人、男の人がいる。息子さんだ。「どうも」と息子さんは軽く頭を下げる。


白いトレーナーにスラックスの出で立ちの息子さんは、身なりは整っている。毎日仕事が忙しく土日もなく働いているらしい。しかし、給料の支払いは滞っているとのことだった。今のご時世に信じがたい話だが…。私ならさっさと転職している。


ともあれ、今日は休みを取ってくれたそうだし息子さんの仕事が本題ではない。溝端さんの様子をこの目で確認しながら、普段の様子を確認するとしよう。


「あんた、こないだ病院で話してくれたなあ」


溝端さんが口を開く。普通に横になっている分には痛みはないそうだ。


「そうですね。あれからお体の加減はいかがですか?」


笑顔を作って溝端さんに語りかける。


「お薬もらったけど、あんまり変わらんなあ」


「ちゃんと飲んでくださっているんですね」


布団に横たわる溝端さんとの話は、しばらく続いた。後は、実際の調査を拝見しながら、もう少し状況を探っていくことにしよう。


−−−−


調査員は定刻きっちりにやってきた。


40代後半だろうか、少し丸味のある体型で眼鏡が似合っている。


「初めまして。本日調査を担当させていただきます、青山と申します」


調査員証を提示して、青山さんは説明する。


「今回は初めての介護保険申請とお聞きしてます。この調査の目的は介護の手間がどれだけか、判断するためのものです。調査には40〜50分かかりますが、介護保険を利用するために必要なことなので、ご了承ください。それと…皆様全員に同じことをお聞きする調査なのですが、物忘れに関することなど、失礼なことをお聞きするかもしれません。全員に同じ質問をして公平に判定するためにやっていますので、ご理解いただければと思います」


物忘れに関することとは、平たく言えば認知症に関する質問だ。高齢者介護であればこれは避けては通れない。青山さんの説明は手慣れたものだが、ご家族にはどれほど伝わったろうか。


2人に目をやると、少しばかり緊張が伺える。まあ難しい質問には私もサポートを入れよう。ここからが本番だ。


−−−−


「季節に関する質問です。春、夏、秋、冬、今の季節はどれでしょうか?」


「うーん…、秋、かな」


調査の序盤から溝端さんはつまづいた。まあ、先ほど年齢を聞かれた時も「70歳かな」と自信なさそうに答えていた。生年月日は正しく答えたので『年齢と生年月日を答える』の項目は『できる』にチェックが入っている。年齢を間違えたことは、調査員が詳細を調査票に記載することになる。


「最近は寒かったかと思えば、暖かい日もありますよね」


青山さんは顔色を変えず、質問を掘り下げる。


「秋とのことですが、秋の初めでしょうか?それとも、終わり頃」


「秋の初めくらい…かな」


やはり、溝端さんは自分や周囲の状況を正しく拾えていないようだ。見当識、と言うのだが、この認識ができないと、日頃の生活に支障が出ることもある。


この質問だけで介護度が大きく変わることはないものの、今後の生活を支援する上で注意しておかなければ。青山さんは話を否定することなく、様子を書き留めている。質問はまだまだ続く。


「では、お体の様子を拝見しますが…無理に体を動かすことはなさらないでくださいね。また気分が悪くなったらすぐに仰ってください」


あらかじめ断りを入れた上で、布団に横になった溝端さんに両手を上に上げてもらう。これは問題なくできた。


次は足。片脚ずつ、まずは膝を曲げて立ててもらい、まっすぐ伸ばしてもらう。溝端さんの足は上がるだろうか。


両足とも、伸ばしてすぐに力なく布団に落ちてしまった。痛みもあるのかもしれないが、筋力が低下しているようだ。この様子を目にして、青山さんは『麻痺』の項目の右足、左足にチェックをつける。


『麻痺』とは、脳卒中などで体が自由に動かせなくなることではない。認定調査における『麻痺』とは、筋力の低下で体が自由に動かせないことも含むのだ。


次に関節が動くかどうかを確認し、具体的な動作ができるかどうかに移る。


「今は体が痛くて横になってらっしゃいますが、しばらく座っていることはできますか?」


「ええと…座ってもらおうとすると痛がって。食事の時はなんとか体を起こしていますが」


ここは少し口を挟むことにしよう。


「先日…、約1週間前に受診されたのですが、車椅子に座っていらっしゃいましたね。痛くて保たれていないとしんどそうですが。1時間程度は背もたれありで座っておられましたし、座位は取れるかと。おそらく現在もそうです」


「なるほど…。無理に座ってもらうことはしませんが、背もたれありなら座位は大丈夫そうですね」


「一度体を起こせば、大丈夫でしょう」


私は手短に答える。今の質問は『座位保持』だ。10分程度座った状態を、どうやって保てるか確認する。どのような状態ならできるのか、或いはできないか。項目の定義がわからなければ簡潔に答えることはできない。必ずしも調査時点でできるかどうかだけで判断するものではない。


人の状態には波がある。どうやって見極めるかは調査員の力量もあるが、適切に判断できるようサポートするのも立会人の役割だ。


初めての認定調査で、家族だけで正確に伝えることができるかどうか。急激に状態が変化した溝端さんの家族には少し荷が重いかもしれない。やはり私も立会を申し出て正解だった。まだまだ調査は始まったばかりなのだ。

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