13.リシアの決意
イシェルが目を開いた。
何か騒ぎの気配を感じたから。空気中に混ざっている殺意が、彼の神経を刺激している。
イシェルはそこまで神経質な人ではないから、寝るときはそれなり深く眠るが、その身につけた東方の剣術は周囲の環境と人の気配に非常に敏感だ。
イシェルが息を潜めて起きて、ほんの少し窓のルーバーを開いて外へ覗いた。町にはまだ誰も居ないが、密かに足音が聞こえる。
「王宮の方向から、ここに向かってくる。」
少し待っていても、足音がやはり段々近くなることで、イシェルがレイタスに気付かないように、密かに建物の影に潜んで自ら足音の方向へ向かう。
鮮血の匂いが空気中に漂って、人の心に潜む獣を唆す。静かな街に充満する殺意が段々昂ぶる。
一つ灰色の人影が街の裏道を素早く通り、その後ろは騎士様の一列が追っかけている。よく見れば、灰色の人が分厚い木製の箱を背負いながらも後ろからの攻撃をかわし避けて、逃げ続けている。
騎士達の鎧に纏う風の翼に気付き、イシェルが思わず舌打ちした:「鉄騎隊?!こいつ、何をやったのか?」
鎧に風の魔法を付与し、鎧の主体が軽くて固いナスカ鋼で出来ているので、着用者に負荷が少ない。彼らにとってこう言う追撃戦はお得意の分野だ。
イシェルが自分をバレナイように影に一行につく。
すぐに騎士の一人が灰色の人を追い越して、横から斬りかかって行く。灰色の人は止むを得ず進む方向を変更して一撃を避けた。
そう、ちょうどイシェルの方へ向かってきた。風でマントの下に隠していた顔もようやく見えるようになった――
「くっそ、やっばついてこないほうこそ正解か。」彼がそう呟きながら抜剣した。すると狂風が道を一掃して、両方の動きは一旦止まった。
彼はその隙間で一瞬灰色の人を連れて行った。その速度に騎士の一行は恐らく何かあったのも知らなかったのだろう。
彼が人を連れて、自分の館に戻った。
「かたじけない、イシェル様。」マントの帽子を脱いで、彼女は自分の正体を晒した。他の誰でもなく、新月軍の副団長――リシアであった。
彼女が特製の軟鋼鎧を身に着けて、左の腕に一つ長い切り傷が負われている。
「礼はいらん。それよりどういうことなのか、説明してくれ。鉄騎隊に追われる理由もな。」イシェルが薬箱を持ち出して、シリアの傷跡を消毒し、薬をかけてから包帯を包んであげた。
「ここで話せばレイタス様が起こされるのでは?」
イシェルがリシアに一瞥して、無言に彼女を書斎の中へ案内した。
彼が卓上のスタンドを回したら、ある壁の前の本棚が静かに移動して、壁に開いている穴から屋敷の地下に繋ぐ階段が現した。
「まー、ずっと昔に作ったものだ。万が一に備えるため。」
二人が階段から降りて、底にある地下トンネルに入った。
「口から説明より、お見せしたほうが話が早いかと。」
リシアがそう言って、ずっと背負っていた箱を開いた。中には細長い銃の形をしたものがあった。
オークの木の銃床、精密な撃針、滑らかな内腔、ここまでは普通だったが、
銃身に刻んでいる丁寧すぎる魔法陣から見ると、かなりが出来上がりのいい魔導兵器であった。
魔導技術はエリオンスにおける発展史は未だ数十年しか経っていない。その技術は大分試用の段階に留まっていて、普及するには未だ程遠い。精々極一部の精鋭に実装されている。
目の前のこの魔導兵器は確かによく出来ている。その完成度は恐らく彼が見たものの一番だろう。
「これをもって、中級レベルの炎魔法は瞬発できる。イシェル様も確かめてみれば分かるぞ。」彼女が銃を構えて言った。
「……では試させてもらおう。」イシェルが彼女の前方に少々離れて居る距離に立って、剣を構う。そしてリシアが彼の傍に狙って撃った。
「ぽん」と言う爆音が出て、イシェルの体の数倍の大きさを持つ火弾が放つ。眩しい赤い光と共に熱波が地下に渡る。
「!」イシェルが一瞬に抜剣し、切って、又剣を鞘に収まった。彼の居合いの一撃で、密集の剣気が火弾と相殺して、密室のかなには何事もなかったように戻った。
「これが姫様の切り札だな?」
「恐らく。イシェル様が見た通り、この魔導銃は凄まじい威力を持つ上、常人でも短時間の訓練だけで使いこなせる。今は未だ試作品だろうが、鉄騎隊に普及したら局勢が逆転されてしまう。」
イシェルがうまく魔導銃の一撃を消したが、彼のような実力を持つものはエリオンスにそもそも極少ない。
今までエリオンスにおける一番強い中遠距離兵器はアルラントから輸入の「追風重弩」だった。精巧の仕組みと風魔法の付与のおかげで、射程と精度が保障される鉄騎隊の標準兵器だった。今の魔導銃は、紛れなく性能がそれを追い越した。この魔導銃が量産に入ったら、内戦だけではなく、大陸全体のバランスが破られるかもしれない。
「だからお前が相手の切り札を知るため、これを盗み出したのか?」
リシアが苦笑いをした:「余計なことをしたかもしれない。技術自体は完成したらしい、量産までは時間の問題だね。出来れば気付かれる前に資料を盗み出すつもりだったが、既に気付かれた以上、その手も防がれるのだろう。」
「好きにしろ、お前らのことは関わりたくないから。ついてこい、公爵家まで送ってやるよ。」イシェルがだらだらと歩き始めた。
「では何故このわたくしを救ったの?」リシアが凛と聞いた。
イシェルが一瞬ぼうっとして、頭にこの娘が新月軍に入ったばかりの面影を浮かんだ。
青臭さが顔に脱げ切れていなくて、口調も未だ今のような冷たさではない時期もあった。
しかし今はすっかりルイスのお得意の部下で、時間がよく効いてくれたなと思った。
でもあの時のリシアも、今のリシアも、イシェルが見殺しにするわけがない。
「助けてあげなかった人が多すぎて、もう目の前に人が死ぬのを堪えられないだけだ。」
「イシェル様は甘すぎるのでは?仮に今日危険に遭ったのは姫様であっても、イシェル様が助けてあげるの?」リシアの眉が剣のように揚げて、じっと彼を見つめている。
「……そうするかも。」
「ならばイシェル様ご自身の行為の意味、お分かりなの?このわたくしを救ったことで、より多くの鉄騎隊の人が戦場に命が失われる。ペトラ姫を救ったら、内戦は続けていく。直接他人が死ぬことを見ていないことは、彼らが死することが存在しないとお思いなの?」リシアが最後まで問い続ける気だ。
しかしイシェルには返す言葉がなかった。
「冥王の府からお戻りなっても、イシェル様がこんなに甘いとはな。」リシアの言葉に失望の意思を表している。
「逃げるのも選択肢の一つだろう。ずっとこのままで居られるのも悪くないと思うさ。」イシェルが肩をすぼめて、今までのようにごまかそうとする。
「自分から逃げられる人はないの。」
イシェルがちょっと吃驚してリシアを見つめて、又沈黙になった。
「イシェル様がお優しい人、しかしわたくしはその優しさをよいものと思わない。人は生来立場を持つから、イシェル様もどうかご自身の立場をお分かりになるよう。さもなければ例えルイス様のご友人であっても、内戦が始まったらいいことはないの。」
「……君は正しいかもしれない。だから、君はいつもルイスの剣で居るか?」イシェルが聞いてみた。
「はい。わたくしは死ぬまでルイス様の剣として、敵を征討し、道を斬り開き、この命が尽きまで。」
少女の目線は月明かりのように澄み切って、曇りがない。
彼女が新月軍に入った頃、ルイスが貴族のどら息子達から助けてあげた。彼女があまりにも剛直しすぎるだったから災いを齎した。
実はルイスの方は唯彼女の才能を見込んだから手を貸した。その時期のルイスは既に彼と一緒に授業をサボってはしゃいでいたルイスではなかった。
「しかしルイスにとって、君は……」
「知っているの。わたくしはルイス様の剣、それだけだ。」
剣は唯の武器で、錆びたら、使えなくなったら容赦なく捨てる。
これが今のルイスだ。
リシアの目は少々曇ったが、言葉に後悔を感じていない。
――こいつは、ほんと優しくて揺るがないぐらい、眩しくて直視できなくなったな。
イシェルが目の前の少女を見て、羨ましくて口元に苦笑いが出た。